「動詞_荒ぶる_その一」

 栂尾・高山寺、湖南の日吉大社、湖北に位置する渡岸寺さんへの旅から帰豊し、一週間が経った。
 その間に、中二生の塾の解散、二人の塾生への退塾勧告。ケアマネージャー、ヘルパー、新聞配達との諍(いさか)い、叔父、また父との徹底抗戦と、良識をわきまえず、道理の分からない輩たちが相手なだけに、私の瞋恚のほどのいかほどが伝わったのかさえ、怪しいものである。
 2021年度からは、「大学入試共通テスト」がはじまり、「英語 四技能」が課されることになるが、いま思えば、今回の私の荒ぶりは、「日本語 四技能」、日本語を「読む、書く、話す、聞く」ことさえままならない強者たちに向けらたものであって、始末に負えない。今後、「英語」が「母語」を駆逐する時代がやってくるとでもお考えなのであろうか。顚倒もはなはだしく、内実をともわない英語がいくら話せ、いくら書けたところで、いかほどのことでもあるまい。
 一人がいい。一人でいい。
 これを機に、捨てる(捨てられる)ことを続けます。

塾生のお母さん方からのメールの返信には、
「今後 メール、お電話、またご来塾は、固くお断りいたします」
との断り書きを連ねている。早速 定型文として登録した。

「旧制三高」
深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫
京大教授の梅棹忠夫さんが「きらいなもの」を聞かれ、「ざっくばらんが大きらい」と答えているのも面白い。ざっくばらんとは、つまり野蛮なのだろう。(337頁)

「ざっくばらん」とは、前後なく、節度なく、見境なく、ということなのでしょう。
「あまざかる鄙」の明け暮れは、もの言わず腹ふくるることばかりです。