TWEET「神々のお出でましの間に間に」

「言葉」,「ことば」,「コトバ」の荒びゆえに、「こころ」は亡ぶ。主客の転倒なきことを旨としている。

「井筒俊彦は、「存在はコトバである」と措定した。「言語哲学者」としての空海の内に、井筒は同様のものを認めた。空海は、日本で最初の「深層的言語哲学者」だった。
 なお、「井筒俊彦の風景」としての「空海の風景」とは、「言語に関する真言密教の中核思想を、密教的色づけはもちろん、一切の宗教的枠づけから取り外し」、「一つの純粋に哲学的な、あるいは存在論的な立場」(『井筒俊彦全集 第八巻 意味の深みへ 1983年-1985年』 慶應義塾大学出版会、「言語哲学としての真言」,425頁)から眺めた際に広がる「空海の風景」のことである。」


 心が荒んでいる。荒ぶった心を鎮めるには、洗練された言葉と馴れ合うに如くはなく、と認識している。
 「はじめにことばありき」。言葉を整えるのが先決である。
 思えば、令成になり、わずかばかりの活字しか目にしておらず、今日を令成の「読書はじめ」とすることにした。
 神無月である。神々のお出ましの間に間に、ひとり抜け駆けしての読書である。 まず、ブログに引用したあれこれの文章を読み直すことからはじめることにする。

以下、
「存在はコトバである」_「井筒俊彦の風景」としての「空海の風景」〈『意識と本質』_はじめから〉
◇ 井筒俊彦「『言語哲学としての真言』_はじめから」
◇ 井筒俊彦「『意味分節理論と空海 ー 真言密教の言語的可能性を探る』_はじめから」
です。