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TWEET「投稿数が1000件を超えました」

投稿数が1002件になりました。検索にひっかかる数も少しずつ増えてきました。 一昨日から閲覧数が急に増えました。一部のいくつかのブログにたくさんの視線がむけられています。思いあたる節はなく、不思議に思っています。 「旧制三高」 深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫(337頁) 京大教授の梅棹忠夫さんが「きらいなもの」を聞かれ、「ざっくばらんが大きらい」と答えているのも面白い。ざっくばらんとは、つまり野蛮なのだろう。 2016/11/30 に書いた「ざっくばらん」に端を発した、「ざっくばらん」が続きます。「ざっくばらん」を続けます。

シリーズ授業「That summer, he became a part of the Alaskan wilderness.」

中学校三年生の英語の教科書『NEW HORIZON 3』東京書籍 (106-111頁)には、 「An Artist in the Arctic」 と題された、星野道夫さんについて書かれた文章が載っています。 学生時代、荒野に囲まれた 一枚のアラスカの村の写真に魅せられた星野道夫さんは、その村の村長さんに手紙を書きます。六か月が経ち 返事が届き、星野道夫さんはその村に招待され、イヌイットの人たちと一夏を過ごしました。 その夏の体験を綴った文章の最終行には、 That summer, he became a part of the Alaskan wilderness. と書かれています。 かっこいい一文ですので、かっこよく訳してください、と私は子どもたちに注文をつけましたが、いつまで経っても格好のつかない訳ばかりでした。そして、しびれを切らした私が、 That summer, he became a part of the Alaskan wilderness. 「その夏、彼はアラスカの荒野の一部となった」 「その夏、彼はアラスカの荒野の一部と化した」 と訳すと、意味がわからん、とのお答えが返ってきました。中学生とは、とんでもなく、とてつもなく、とても私のかなうような相手ではないことを再認識した次第です。 私が授業中に説明したどれだけのことが、子どもたちに伝わっているのかは、私にはわかりません。私のあずかり知らぬことです。「あなたまかせ」の世界です。 村上春樹が「僕の作品は誤読の集合」と述べているそうですが、さもありなんと思っています。 以下、 中野好夫「万古不易の翻訳論の名言」 です。 下記、 星野道夫「ハント・リバーを上って」(全) です。

「P教授の『わがまま』宣言です」

拝復 P教授様 「人のためによかれとおもい」と歌ったのは、泉谷しげるですが、 人への関心はしだいに失せ、色あせ、やがて興味を失います。残るのはやるせなさばかりです。いつまでたってもこんなことの繰り返しです。 P教授に倣いて、「わがまま」に生きることにします。「わがまま」を通すことにします。 お疲れのことと拝察いたします。くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸です。 拝啓、拝復 P教授様を繰り返すうちに、P教授とは、私が作りあげた架空の人物のように思えてきました。架空のP教授宛にブログを書くこと、それもありかな、と思っています。

「今どきの子どもたちと交わす社交辞令」

ご近所の、高校受験をひかえた女の子と挨拶をかわし、ことのついでに、「解らないことがあったらみますよ。遠慮なくどうぞ」というと、何日もしないうちに、遠慮なく早速おこしになられました。「社交辞令だったのに」といって笑うと、どうやら社交辞令とは耳慣れない言葉らしく、あわてました。 偶然にも卒塾生と出会い、別れ際に、またみんなで集まる機会があるといいね、というと、早速連絡を取り合い、たちまちのうちに準備を終え、連絡がありました。費用は全額先生もち、と決めこんだうえでの狼藉ですから、「オレオレ詐欺」にあったようなものです。 就職が決まったら連絡します、大学に合格したらメールします、といわれれば、多少なりとも気になり、心配にもなりますが、春が過ぎ夏を迎えたころ、鈍感な私は社交辞令だったことにようやく気がつきます。 暗黙の了解のもとに交わされる、挨拶としての 社交辞令について、子どもたちと私の間には、受けとめ方に開きがあります。子どもたちは社交辞令を都合よく解釈します。社交辞令は口にしない、社交辞令だと思いあらぬ期待はしないことに限ります。形式的、儀礼的なものからは遠ざかるのが賢明です。

小林秀雄「神様の忘れもの」

 年齢(とし)のせいか、物忘れ、置き忘れをすることが多くなりました。老眼のため、取っかえ引っかえするたびに眼鏡を置き忘れ、ときには眼鏡をかけていることを忘れて、あわてて眼鏡を探しまわり、眼鏡の上に眼鏡をかけて苦笑し、財布の所在を忘れ、自動車の鍵のありかを忘れます。 「小林秀雄の眼」 白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫(49-50頁)  それについては面白い話がある。ある日、例によって(骨董の)茶碗(ちゃわん)か何かを買い、一杯機嫌で横須賀線に乗ったが、鎌倉で降りる時、大事な買物を電車の中に忘れてしまった。酔っても本性違(たが)わずで、ほんとうに大事なものなら忘れなかったと思うが、そんな風に合理的に解釈する必要はない。何より「(骨董を)買うこと」の一事に集中していた時だから、買ってしまえばあとは野となれ山となれ、ーー そこに小林(秀雄)さんの実に端的で爽(さわ)やかな一面がある。  お嬢さんの明子(はるこ)ちゃんが子供の頃、東京へ連れて行くというので、喜んでついて行ったが、鎌倉の駅に着くと小林さんはさっさと切符を一枚買って改札口へ入ってしまった。明子ちゃんがいることを忘れたのである。だが、彼女はちっともお父ちゃんを恨んではいない、あれはああいう人だと思っている。お父ちゃんを全面的に信頼しているからで、もし骨董にも心があるならば、あれはああいう人だ、といったに相違ない。  さすがに神様の忘れものは、私のちまちまとした置き忘れとはスケールが違い、「実に端的で爽やか」です。後くされがなく、おおらかで、あっぱれというほかありません。  いつしか私の置き忘れも習い性となり、置き忘れた物を見つけるには、探さないのが一番、と達観してみたものの、確かにあずかったはずの、三つ連なった父の差し歯をなくした際には、躍起になって探しまわりましたが、数ヶ月経った今も行方不明です。現在治療中で、抜け落ちた歯は用をなさない代物とわかりましたが、私はあっさりと諦観を返上しました。  行方をくらました父の歯は、ひょんなことから見つかるやもしれず、どこに影をひそめているかを想像することは楽しくもありますが、いつまでたっても愚にもつかないことを思っているうちは、歯は見つからず、私は父の抜けた歯に、諦念をうながされているのかもしれません。

「大雪の日の今日納竿(のうかん)です」

大雪の日の今日 納竿することに決めました。 昨年は  2015/11/09 の立冬の日に納竿しましたので、およそ一か月遅れです。 「納竿(のうかん)」 あきらめが悪かったというわけはなく、名残惜しかったというわけでもなく、大雪の日の今日 やっと重い腰をあげたまでのことです。思えば  2016/10/30 の 「ブラックバス_’16 秋季シリーズ 第九戦」が、今シーズン最後の釣行でした。2016/11/11 には、水に手をひたしに行きましたが、大雪の日を迎えた今、そんな勇気はもちあわせておらず、リールやルアーと戯れつつ、釣り文学の書を傍らにストーブリーグを過ごし、「水温む(みずぬるむ)」春に期することにします。

TWEET「拝復P教授様_後ろ髪を引かれ、未練がのこるばかりです」

おはようございます。 上手く、私がお手伝いをするをことができるといいのですが。 文章を書くとは、この上なく厄介なことで、いくら推敲を重ねても、後ろ髪を引かれ、未練がのこるばかりです。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

「團伊玖磨の七転八倒 『薬研堀』」

「薬研堀」 團伊玖磨『パイプのけむり 選集 食』  味噌汁にぱらりと薬研堀(やげんぼり〈唐辛子 〉 )を振りかける。その程度なら一寸(ちょつと)乙なものだと思う。ところがその程度では最早(もはや)僕には効(き)かないのである。従ってどうするかと言うと、蓋(ふた)を開(あ)けて、がさがさと内容を味噌汁に落とし、箸(はし)でかきまわして、真赤な汁を作り、それを辛さに打ち震えながら飲むのである。口中猛火に焼け爛(ただ)れるが如(ごと)く、激痛は咽喉(のど)から食道まで及ぶ。身体(からだ)に怖(おそ)らく悪(わ)るいだろうと反省はするのだが、どうにもこうにも、こうしなければ味噌汁なんぞは飲んだ気もしない。  味噌汁だけならまだ良いのだが、何から何まで薬研堀で真赤にまぶさなければ食べた気がせず、この頃は、刺身だろうが茹(ゆ)で卵だろうがキャベツ巻きだろうがスパゲッティだろうが、要するに何から何までを真(ま)っ赤(か)っ赤(か)にして涙ながらに物を食う。如何(いか)なるところに原因があってこんな恥ずかしいことになってしまったのか、全く他人(ひと)にも言えやしない。  辛子気狂いになったのは、生まれてから二度目である。今から二十何年前、兵隊だった時、一度辛子病になったことがあった。その時は理由がはっきりしていて、あまりの空腹のため、軍隊の食事が足らず、普通に食べればすぐに食べ切ってしまってあとには不満が残る。そこで、戦友と語らって、外出の機会に薬研堀を買って来て、滅茶々々に飯の上に振りかけて食べた。そうすると、辛さのために早く食べることが出来ず、ゆっくり食べることとなり、何がなし食べたという満足が残るのだった。そして、不思議なことに、殆んどあらゆる食品が統制されていた戦争末期にも、どういう訳か、七味唐辛子だけは自由販売であって、又、軍隊の中に持ち込んでも叱られなかった。  その時はそういう賤(いや)しさが原因で辛子を好んだから原因が判るとして、一体何でこの頃急に辛子が欲しくて欲しくてたまらないのかは、どう考えても判らない。 (16-17頁,20-21頁)

「團伊玖磨、ちいがわかる男の哀しみ_『トルコ・コーヒー』」

「トルコ・コーヒー」 團伊玖磨『パイプのけむり 選集 食』   十年も前の事だった。インスタント・コーヒーの宣伝に出て欲しいとの申し込みを受けた。何でも「ちがいがわかる男」とか言うキャッチ・フレーズで、インスタントのコーヒーを飲んでいる姿を写真とヴィデオに撮るのだと言う。貧乏な作曲家にとっては目の玉の飛び出るような礼金も約束されていた。然(しか)し、コーヒーには色々な淹れ方があって、その色々な淹れ方を楽しんでいる男が、ちがいがわかる等と言ってはインスタント・コヒーのメーカーや販売元に悪かろうと考えた。そして、この話しはお断りした。あとでお金が必要だった時、あno 時の宣伝を引き受けていたならとの思いがちらちらと脳裡(のうり)を横切りはしたが、嘘(うそ)を吐(つ)く訳には行かなかったのだから致し方無い。  トルコ・コヒーの香りの中で、ふと、急に昔の事を思い出した。そして、矢張り嘘を吐かなくて良かったと思った。 (218頁)

「人の生死(しょうじ)の交差するところ」

駐車場をはさんで、我が家の裏手に位置する、朱いタイル張りの Kさんのお宅は、誠に具合よくできており、道ゆく人が、腰を下ろすのに格好の場となっています。南に面した Kさん宅の前には、ご近所のお年寄りの方たちが、二人、三人と腰を下ろし、陽だまりのなかでおしゃべりを楽しんでいます。にぎやかな笑い声が聞こえることもありますし、所在なく一人、冬の陽ざしを浴びていることもあります。 私も何度かお仲間に入れていただきましたが、近所の方たちにとって、私はよほど暇な人と映るのでしょうか、延々と続く話はやりきれず、かといってぞんざいなまねもできず、このごろでは、おくつろぎ中の方たちがいないのを確かめてから、外出することにしています。私の外出の 時間は、ご近所のお年寄りの方たち次第、という風変わりな、不自由な生活を強いられています。 年々歳々、おしゃべりに興じるお年寄りの方たちの顔ぶれはかわり、歳々年々、世代が交代しています。Kさん宅の前の陽だまりは、人の交差するところであり、人の生死(しょうじ)の交差するところでもあります。階段の上り下りのたびに、二階の窓から、人の世の常ならむことをそっとうかがい、常ならむことと言い聞かせています。

「父の思い込み、私の思い込み_外出編」

以下、 「父の思い込み、私の思い込み」 です。 その後、父に買った VANZ のスニーカーは 2016/11/26 に ABCマートさんに返品の運びとなりました。ヘルパーさんの、「この靴は重くてダメだ」の一言で決着がつきました。外で試し履きをすることもなく、日の目をみることもないままに、重くてダメなのだそうです。ABCマートさんが、気持ちよく返品に応じてくださったのが唯一の救いでした。父は依然として、すり足で小股に歩いています。デイケアの理学療法士さんには、再三お願いしているのですが、聞く耳をもちあわせていません。 以上、不甲斐なくも父の思いこみ、ヘルパーさんの見当はずれ、やるせなくも私の思いは父にはとどかず、でした。

「臭いものに蓋をする」

「教育の浄化と再生_齋藤孝氏のイライラ」 「教育の浄化と再生_私のイライラ」 思うほどに、読むほどに、私のイライラはつのるばかりで、「臭いものに蓋をする」ことに決めました。無関心を装うことに決めました。百害あるのみです。

「拝復P教授様_アイディアの逃げ足は速い。メモをとれ」

「アイディアの逃げ足は速い。メモをとれ」 「塾長の逃げ足は、もっと速い」 拝復P教授様 今回もまた、おみごとですね。 昔から逃げ足だけは速く、ほめられもし、くさされてもいますが、年齢のせいか最近ではつまずくことも、ころぶことも多くなり、なま傷が絶えません。そんな折には、死んだふりをしてやり過ごすことにしています。今のところ、何らの支障もなくしのいでいます。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASE ! FROM HONDA WITH LOVE.

「お歳暮」

私にまでお歳暮を送っていただき、どうもありがとうございました。 北海道の名店の実力を楽しみたいと思っています。今年の師走は、年越しは、「北海道名店ラーメン」で決まりです。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

「教育の浄化と再生_私のイライラ」

白洲正子『西行』新潮文庫 の帯には、 能あるものは、 そっと黙っていよ。 -----ゲーテ と記されていますが、能なき私は…。 私のイライラは、中学校の先生方が、きちんと授業をしないことに起因するものです。私の視野はきわめて狭く、愛知県豊橋市内の一中学の事情によるものですが、学習塾をはじめて二十一年間、絶えずイライラしています。2016/06/20 発行の「PTA新聞」には、「学校は学ぶところ」と題された学校長の文章が載っています。まず学ぶべきは教師の側にあるのは当然のことです。自浄なきところに再生はありえません。教師という職業は、手抜きが許される特権階級の最上位に位置するものです。いったい教育についてどのようにお考えなのでしょうか。身過ぎ世過ぎにすぎないのでしょうか。バレなきゃいいや、という体質はいかにも子どもじみていて、子ども以下です。子どもたちや親は、とおの昔にあきらめきっています。自衛の手段をとっています。「学校は学ぶところ」と、今さらながらに書かなければならない今の学校とは、いったいどういうところなのでしょうか。 思うほどに、書くほどに、私のイライラはつのるばかりです。

「教育の浄化と再生_齋藤孝氏のイライラ」

齋藤孝,梅田望夫『私塾のすすめ ー ここから創造が生まれる』ちくま新書(74-75頁)  どの層に伝えたいかというと、現実を変えるために、教師の方たちにがんばってもらわなきゃ、という思いはあります。子どもたちについては、全体を底上げすることに使命感をもっています。だから、小学校の国語の教科書に強い関心がある。みんなが読んでいるものですから。そのレベルが低いとイライラしてしまう。小学校の国語の教科書の薄さに日本で一番イライラしているのは、たぶん僕です(笑)。そのものすごく怒りに燃えている気持ちが共有されない。なんで、自分だけがこんなにイライラしているのか、と思います。 英語教育の偏重、国語教育蔑視の時流に大きな疑問を抱いています。国語で扱う文章と同じ質の、同等の内容をもった文章を、子どもたちが英語で読めるとでもお考えなのでしょうか。ゆとり教育の時代には、あなたたちはゆとり教育時代の失敗作だ、と私は子どもたちに言ってはばかりませんでした。ゆとり教育の失政はじゅうぶんに顧みられることなく、愚かにも同じ轍を踏んでいるのですから、この国の行方が気になります。誰が責任を負ったのでしょうか。誰が責任を負うのでしょうか。たとえ教育行政の責任者が、記者会見の場で誤りを認め、謝罪の弁を述べ、頭を下げたとしても、とり返しのつくような問題ではありません。

「公認会計士試験 合格のお祝いに、また慰労に、そしてはなむけに」

Rの公認会計士試験 合格のお祝いに、また慰労に、そしてはなむけに、昨日 ホテル九重さんで温泉につかり、「遠州灘天然とらふぐ会席」をいただいてきました。 とらふぐ会席をいただくのは、三度目のことでしたので、心してかかりましたが、今回も私には、てっさの淡いまろやかな味わいはわかりませんでした。 てっさを口にふくんだ際の、毒が舌をぴりりとさす感覚を食通は好む、という話を読んだことがあります。舌がしびれるほどの毒気ならば、いくら鈍感な私にもわかるはずだと思い、そしてそれを美味と感じれば、しめたもので、いよいよ私も食通のお仲間入りかと思い、意気込んで口にしましたが、毒は上手にのぞかれていたのか、はたまた毒気に当たること に慣れっこになっている私の感覚が麻痺しているのか、食通とよばれるには時期尚早という残念な結果に終わりました。 風呂上がりのRの顔には、疲労の、苦労の、消耗した、頑張りの跡がはっきりと見てとれました。Rの新天地でのご健康とご多幸、またご活躍を祈るばかりです。

齋藤孝,梅田望夫「福澤諭吉がロールモデル?」

齋藤孝,梅田望夫『私塾のすすめ ー ここから創造が生まれる』ちくま新書(21-22頁) 「明治と現代」 齋藤  (前略)「諭吉」なんて呼び捨てにしてすみません(笑)。慶應の人は、「福澤先生」と必ず先生付けで呼びますよね。以前、慶應大学で非常勤講師をしていた時、封書の宛名書きが「齋藤孝君」となっていて、教師が「君」とは妙だなと感じた記憶があります。慶應では、先生はただ福澤先生のみ、という絶対的存在なんでしょう。梅田さんのロールモデルの最初の大物が、福澤諭吉だったわけですね。 梅田  そうとも言えるでしょうが、僕の場合「福澤諭吉がロールモデル」と表立って言うのにはすごく抵抗があります。クリスチャンが「キリストになる」と言えないのと同じなんです(笑)。 「ロールモデル思考=あこがれる力」 齋藤  なるほど、そのくらい巨大な存在として現れるわけですね。(後略)

福澤諭吉「平等のすすめ?」

福澤諭吉『学問のすすめ』青空文庫 より。 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら 貴賎(きせん) 上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を 資(と) り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。 この人口に膾炙した冒頭部分だけがひとり歩きをし、福澤諭吉は「平等のすすめ」を説いた、と勘違いされている方々がかなりの数にのぼると思っています。福澤諭吉は「平等のすすめ」ではなく、『学問のすすめ』を説いたのは、至極当然のことです。 されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥(どろ)との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教(じつごきょう)』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。 (後略)

天人 深代惇郎「筋金入り」

「筋金入り」 深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫(342-344頁)  作家ソルジェニーツィン氏は逮捕されたとき、歯ブラシを手に自宅から連行されたという。さすがに収容所生活で鍛えた「筋金入り」を思わせたが、行く先は収容所ではなく西独だった。  彼の逮捕後、夫人の手からただちに声明書が外人記者に渡された。「警察の尋問には絶対に答えない」「自分を抑圧する者のためには、三十分たりとも働かない」。それは火を吐くように激烈な、国家への果たし状である。  今月はじめには「脅迫電話が夜明けから真夜中まで鳴りつづけている」と、外人記者団にもらしていた。二度にわたる当局の召喚を拒否したことにも、覚悟のほどがうかがえた。彼の『収容所列島』(抄訳は『週刊朝日』連載)は、自分の体験と二百二十七人の証言によって暴露されたソ連体制の告発状である。  収容所生活の言語に絶する実相は、執拗(しつよう)で仮借ない筆で描かれている。常時六百万人の政治犯を収容所に押し込めることによって成立した国家権力の、恥ずべき歴史を認めることなしに、ソ連の将来はないというのが、彼のゆるがぬ信念だ。  またその糾弾はスターリンにとどまらず、ソ連で神聖不可侵とされるレーニンにまで及ぶ。彼はこの本で、過去を顧みて「私はどうして黙っていたのだろう。犠牲になる必要はないという理由なら、だれでも十ぐらいはすぐ並べることができるものなのだ」と、苦い悔恨の情を書いている。  戦争中、連行されてモスクワの白ロシア駅を通ったとき、群衆に真相を訴えるチャンスはあった。だがそこで、自分の声を聞くモスクワっ子は二百人だけだと思い返し、「いつの日か二億人の同胞に向かって声をあげるときが来るだろう」という思いをかみしめる。ソルジェニーツィン氏は西独に事実上追放され、愛するロシアの土と同胞から引き裂かれた。この小さな一人の人間を、巨大な国家がついに「処分」することも、収容所に送ることもできなかった事実に、あらためて歴史の歩みを見る。(49・2・14)

天人 深代惇郎「収容所列島」

「収容所列島」 深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫(338-339頁)  一人の偉大な作家は、一つの強大な政府に匹敵する。ただ一人、ロシアの大地にそびえ立つ作家ソルジェニーツィンの姿に、この言葉が決して形容のアヤでないことを知る。彼は、人間の勇気が何をなし得るかを私たちに教えてくれた。  ソルジェニーツィンが死ぬ覚悟をしていることは疑いない。「私が何者かに殺されたら、秘密警察の手の届かぬ場所で私の作品は公表されるだろう」と公言してきた。秘密警察は躍起になってその原稿をさがし、極秘に保管していたレニングラードの婦人を逮捕した。  彼女は百二十時間、一睡も許されぬ尋問をうけ、ついに保管場所を自白したあと自殺した。この知らせをうけたソルジェニーツィンは、用心のため国外に出した別のコピーによる二十六万語の『収容所列島』を、パリで出版することを承諾した。  それは各国語に訳され、やがてソ連といくつかの国をのぞく世界中の人々に読まれることになるだろう。彼を投獄できるあらゆる理由を持ちながら、秘密警察はまだ手を下せずにいる。成り行き次第では、ソ連の国際的な立場を苦境に陥れるほど、世界の良識の目が彼の一管の筆をじっと見据えているからである。  『収容所列島』は、半世紀にわたるソ連の恐怖体制を克明に描き出したものだ。レーニンは革命第一日に秘密警察をスタートさせ、それは国家存立の基礎となって今日までつづき、犠牲者数はヒトラーの恐怖政治さえ顔色なからしめた、と彼はいう。その実態をこれほど詳細に伝えた記録は他にない、と欧米の専門家もタイコ判を押す。  ソルジェニーツィンはノーベル文学賞に決まったとき、スウェーデンに行かなかった。一度国外に出れば、再び帰れぬ片道切符になることを知り、亡命者より殉教者の道を選んだのであろう。祖国愛と人間の尊厳のためには屈することを知らぬ巨人に、脱帽する。(49・1・14)

天人 深代惇郎「ざっくばらん」

「旧制三高」 深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫  京大教授の梅棹忠夫さんが「きらいなもの」を聞かれ、「ざっくばらんが大きらい」と答えているのも面白い。ざっくばらんとは、つまり野蛮なのだろう。 (337頁) 拝復 P教授様 鄙住まいは、「ざっくばらん」な方たち、「ざっくばらん」な会話ばかりで、力なくヘラヘラ笑ってばかりいます。 ご丁寧なご返信、どうもありがとうございました。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASE ! FROM HONDA WITH LOVE.

白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫_まとめて

◆ 左上の「メニューボタン」をクリックしてください。「サイドバー」が開きます。 ◆ 右上には「検索窓」があります。 ◆ 青色の文字列にはリンクが張ってあります。クリック(タップ)してご覧ください。 ◇  青山二郎「意味も、精神も、すべて形に現れる」 ◇  小林秀雄「梅原さんの言葉は絵なんだ」 ◇  白洲正子「彼らが教えたのは命の限り生きることだった。生を楽しむことであった」 ◇  小林秀雄「それが芸というものだ」 ◇  白洲正子「『かさね色目』_王朝文化は日本の美の源泉」 ◇  白洲正子「遊鬼 鹿島清兵衛」

天人 深代惇郎「志ん生一代」

「志ん生一代」 深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫 「エエ、考えるッてぇと、なんでございますな、やっぱり、どうしても、しょうがないもんでしてな、オイ、目のさめるようないい女だよ、まるで空襲警報みたいな女だよ」。  落語の古今亭志ん生が語り出す「まくら」の奔放さは、天下一品だった。意味をなさぬような語り口から、次第にかもし出す味わいは、だれもマネができない。円生が、このライバルを評したそうだ。 「私は志ん生と道場で仕合いをすれば相当に打ちこむことができますが、野天で真剣勝負となると、だいぶ斬られます」(宇野信夫『芸の世界百章』)。端正な芸風をもつ円生が、野天の真剣だとやられそうだといったのは、言う人の眼の立派さにも感心するし、言われた志ん生のうまさもなるほどと思わせる。  彼が住んでいた「なめくじ長屋」の話は有名だが、その体験が、貧乏ばなしを絶品のものにした。塩をふりかけても、五、六寸ぐれえの大なめくじがシッポではじきとばして、神さんのカカトに食いついた、というのは本当の話なのか、どうか。  その志ん生が紫綬褒章をもらったことがある。「シジュホーショーってなんです」と人にきいたら、「世の中のためになった人にくれる勲章だ」というので、びっくり仰天した。「ほかのことならともかく、そんなこと、あたしは身に覚えがねえ」といったので、まるで罪人を捕まえるような話になってしまったという。  脳いっ血で倒れてからは、庭の金魚をみては「丈夫だね。死ぬかと思っても、なかなか死なないね」と、自分を茶化していた。彼の話は、やるたびにちがったものになったが、その逆に、寸分の違いもなくみがき上げた芸を披露したのは、桂文楽だった。二年前、その文楽が死んだときいて、頭からフトンをかぶって泣いた志ん生も、きょうが自分の葬式となった。(48・9・23) (332_333頁)

白川静_「泣く子も黙る「漢字」の泰斗の学問人生」

「泣く子も黙る『漢字』の泰斗の学問人生」 白川静著『回思九十年』(平凡社) 狐『日刊ゲンダイ匿名コラム 水曜日は狐の書評』ちくま文庫  白川静、一九一〇年生まれ、字書三部作『字統』『字訓』『字通』によって、また『孔子伝』などの名著によって、泣く子も黙る文字学、古代学の泰斗である。  かつて吉本隆明もこう書いた。「彼の主著『説文新義』の数冊は、わたしの手元にあるが、いまだ手に負えないでいる。(略)かくの如き学徒は乏しいかな。彼の仕事を遠望するとき、流石に、少し泣きべそをかきそうになるのを、禁じえない」  一般書は六十歳になるまで書かなかった。それまでは専門の研究に徹することを自分に課していた。かつて学園紛争のころ、学生たちがバリケード封鎖していた立命館大学の中を、白川静だけはフリーパスで研究室に通っていたという伝説がある。思えば、まだ一般書は書いていない時代であった。白川静が来れば「どうぞ」と通していた学生たちも、なかなか眼力があったといわねばならない。  本書『回思九十年』は、エッセー「わたしの履歴書」と、江藤淳や呉智英をはじめとする面々との対談で編まれた。九十歳になる学者が自分の来歴を語ろうという一冊である。  「私の履歴書」には、やはり前述した「伝説」の時代のことが出てくる。封鎖された研究室棟では、夏など、白川静はステテコ姿で過ごしていたらしい。バリケードをかいくぐって訪ねてきた編集者は、てっきり小使いさんと思い込み、部屋を聞いたという。ステテコ姿の学者は、さらにキャンパスの騒音(学生のアジ演説や学内デモの怒号などであろう)を消すために、謡(うたい)のテープをかけていた。謡を流すと、それが騒音を吸収してくれて、静かに勉強できたそうである。たしかに「かくの如き学徒は乏しいかな」なのである。  作家・酒見賢一との対談で、あらゆる仕事を果たしたあとは、書物の上で遊ぼうと、「大航海時代叢書」全巻を買ってあると語っている。書物の中で大航海時代の世界を旅してみたい。それが先生の夢ですかと尋ねる酒見に、「うん。夢は持っておらんといかん。どんな場合でもね」と白川静は答えている。 (116-117頁) (2000・5・24)

白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社

◇ すべては、「神さま」のために。 「目」のはたらき 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 2016/11/29  「民(たみ)」すなわち「たみ」は、あるいは「田見(たみ)」という語のうちにその語源を求めることができるのかも知れませんが、その「民(みん)」の漢字の成り立ちには、むしろそのうち(農耕に従事する人、罪を負う人、天皇の財宝とされる人など)の「罪を負う人」のイメージにいくらか通うものがあるようです。「民(みん)」の字は、もとは、大きい矢か針で目を突き刺す形で記されました。おそらく殷王朝を脅かす異族を戦争で捕え、その「人」の「目」に加える処罰を示すものと考えられます。こうして眼睛(まなこ)を失った捕虜のおおぜいは神の僕として仕える身となります。  これらもの見えぬ「民(たみ)」は、音の領域でこそ、残された耳の感覚を研ぎすましてゆきます。その「民(たみ)」の奏でる音曲(おんぎょく)はきっと神の心を限りなく楽しませたにちがいありません。のちそのような盲目の楽人すなわち演奏者は「瞽史(こし)」と呼ばれ、宮廷や各国の王のもとで、宮廷楽のゆたかな伝統を育んでゆくのです。春秋時代に至ってもなおその伝統は継承されます。 (中略)  孔子が、こうまでこまやかな配慮を、盲目の楽人にほどこしているのは、当時なお人々の心のうちに、盲目の「瞽史」を尊重する気風が深々としみついていたからにちがいありません。  日本各地をめぐり歩きながら、三味線の音色を響かせつづけた「瞽女(ごぜ)」もまた、視力に障害をもつ人々の集団でした。そして、その「瞽女」によって、悲哀に満ちた音曲の調べが、民衆の心の底へと浸透します。こうして「目」の「物語」は、わずかに「目」の物語にとどまらず、音楽の「物語」をも紡ぐのです。  「目」を象(かたど)る漢字には、ほかに「臣(しん)」「賢(けん)」「童(どう)」などがあり、それらはみな神に仕える人々を表す文字です。 (30-33頁) ◇ 白川静先生のお名前は存じ上げていましたが、「白川文字学」という言葉にははじめて触れました。 「死」の物語 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 2016/11/29  人は免れようもなく、この運命的な孤独に身をゆだねなければ...

白洲正子「『かさね色目』_王朝文化は日本の美の源泉」

「二代の縁 高田倭男」 白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫(174-185頁) 白洲正子は、高田倭男の著書『かさね色目』を前に、日本人の美意識を語り、「王朝文化は日本の美の源泉」であることに言及しています。ぜひお手にとってお読みください 。晩秋に似つかわしい一編です。

TWEET「腹ふくるるわざ」

あまざかる鄙(ひな)に五年住まひつつ都の手ぶり忘らえにけり  山上憶良 「あまざかる鄙」の明け暮れは、「もの言は」ず「腹ふくるる」ことばかりです。

「拝復 P教授様_いまなぜ今東光なのか」

今も昔も、そしていつの時代も、「今東光」なのだと思っています。いつの時代も変わらぬものがあって然りです。 今の子どもたちは、それをいとも簡単に乗りこえます。これを現代というのでしょうか。 遠ざかるしかありません。遠ざけるしかありません。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

白洲正子「遊鬼 鹿島清兵衛」

白洲正子「遊鬼 鹿島清兵衛」 白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫 ついでのことにいっておくと、「遊鬼」という題名は、いわば瓢箪(ひょうたん)から駒(こま)が出たようなもので、ある晩、編輯長(へんしゅうちょう)の山崎さんと呑(の)んでいて、清兵衛が(能の)舞台に出て来る時の姿は、「幽鬼」のようだったと私が口走ったのを、山崎さんは(たぶんわざと)聞き間違えて、「遊びの鬼ですね、それは好い題だ」といったので、そのままにしておいたというわけだ。  さて、 鹿島清兵衛の「遊鬼」ぶりであるが、それはまことに徹底したものであった。 (中略) 今の金持とは、大体スケールが違うのである。いくらスケールは大きくても、面白くても、こんな話は書いている間に飽き飽きしてしてしまう。明治二十八年といえば、清兵衛が百物語に招待した前年で、鷗外は新聞紙上で逐一承知していたに拘わらず、全部省略したのは当然のことだろう。 白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫(129-132頁)  その素人芸の極まるところ、 鹿島清兵衛の真の姿が現れる。大正十三年夏、万三郎が一世一代の「関寺小町」を舞うというので、笛の役を引受けた清兵衛は、老いさらばえた美女の心境を、笛の音色に表現したいと念じ、粥(かゆ)をすすって自から体力を消耗させた。舞台はみごとに勤めたが、その夜から発熱し、翌日病を押して京都で演能の約束を果した後、東京へ帰って亡くなった。五十九歳であった。ぽん太(清兵衛の妻)も間もなくその跡を追い、四十六年の数奇な運命の幕を閉じた。 白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫(135頁) 「遊鬼 鹿島清兵衛」の最晩年 を引用しましたが、白洲正子が「幽鬼」「遊鬼」と称した鹿島清兵衛についての全体像はわかるはずもなく、実際に手にとって読んでいただくしかありません。悪しからず。

白洲正子「彼らが教えたのは命の限り生きることだった。生を楽しむことであった」

「早川幾忠氏を悼(いた)む」 白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫(165-166頁)  帰りに私は常寂光寺の境内を歩いてみた。先生の作品で見馴(みな)れた紅葉や築地塀(ついじべい)が、初夏の光をあびて鎮(しず)まっていた。思えばはじめて訪問した時も、今日のように爽(さわ)やかな五月晴(さつきば)れであったが、わずか一年ばかりのお付合いだったのに、生まれる前から存じあげていたような気がしてならない。そういう人物を失ったことは悲しくても、そういう人物に出会えたことを私は幸福とせねばなるまい。小林(秀雄)さんにつづく早川夫妻の死は、私に大きな打撃を与えたが、彼らが教えたのは命の限り生きることだった。生を楽しむことであった。私はみずみずしい紅葉の若葉を仰ぎながら、そこから降りそそぐ光の中に、彼らの視線を感じて、心のひきしまるのを覚えた。

小林秀雄「梅原さんの言葉は絵なんだ」

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「北京の空は裂けたか 梅原龍三郎」 白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫(187-188頁) それについて思い出すのは、四月に出版された「新潮」の「小林秀雄追悼記念号」に、吉井画廊の吉井長三さんが書いている話である。  ーーある日、吉井さんが、梅原さん(九十代半ば)のお宅へ行くと、先生はこんなことをいわれた。  「今朝起きたら、バラの花がとても美しかった。それで、十五号のカンバスにさらっと描いてみたが、一寸(ちょっと)いいのが出来た。絵具がまだぬれてるので、そこに裏返しにして立て懸けてあるから、よかったら見給(たま)え」  そこで吉井さんは探してみたが、そんな絵はどこにもない。先生は勘違いをされていたのである。その話を小林さんにすると、吉井さんは叱(しか)られた。 「絵は、実際には描いてなかったって? だから何なのだ。勘違いが、おかしいか。…お前はな、それは、大変なことを聞いているんだぞ。判(わか)るか。梅原さんは、行住座臥(ざが)、描いているんだ。筆を持たなくたっても、描いているんだ。常に描いているから勘違いもする。…だいたい、梅原さんの言葉は、もう言葉でない。絵なんだ。言葉が絵なんだ」から、君は大事に聞いて、記録しておけ、といわれたそうである。  小林さんが昂奮(こうふん)している様子が目に見えるようだが、私もこの文章を読んだ時は感動した。 以下、 「小林秀雄、梅原龍三郎と美術を語る」 「小林秀雄、梅原龍三郎とピカソの腕力を語る」 です。 いま本箱に 2冊の、 『新潮 臨時増刊  小林秀雄追悼記念号  昭和五十八年四月』 が並んでいる。いずれも古書で購入した、だいぶくたびれた雑誌である。  目下 積読中である。

小林秀雄「それが芸というものだ」

「小林秀雄の眼」 白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫(57-58頁) 「本居宣長」について、私は失礼なことをいったのを思い出す。今度の宣長は今までの作品とは違って、きらきらしたものが一つもない。だから本を伏せてしまうと、何が書いてあったか忘れてしまう。何故(なぜ)でしょうかと尋ねると、小林さんはこう答えた。 「そういう風に読んでくれればいいのだ。それが芸というものだ」  もうその頃には現代の読者は眼中になく、五十年か百年先の理解者を予想して書いていたのではあるまいか。それにも拘わらず、「本居宣長」は何十万部も売れて、御本人は元より、出版社を唖然(あぜん)とさせた。「では美は信用であるか。さうである」(「真贋」)と小林さんはいう。 ◇ 川村次郎『いまなぜ白洲正子なのか』東京書籍 と 白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫 の間には隔たりがあります。「釈然としないものが残ってい」ます。 以下、 『いまなぜ白洲正子なのか』_大野晋編 です。

青山二郎「意味も、精神も、すべて形に現れる」

白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫  人間でも、陶器でも、たしかに魂は見えないところにかくれているが、もしほんとうに存在するものならば、それは外側の形の上に現れずにはおかない。それが青山二郎の信仰であった。 (中略)  何事につけジィちゃん(青山二郎)は、「意味深長」という言葉を嫌っていた。精神は尊重したが、「精神的」なものは認めなかった。意味も、精神も、すべて形に現れる。現れなければそんなものは空な言葉にすぎないと信じていたからだ。これを徹底して考えてみることはむつかしい。生きることはもっとむつかしい。金持になった日本人は、これからは精神の時代だ、などと呑気(のんき)なことをいっているが、相も変らず、夢二の夢から一歩も出ていはしない。 そのようなメタフィジックな物言いは、ごまかすのにはまことに都合のいい言葉で、お茶は「わび」の精神の蔭(かげ)にかくれ、お能は「幽玄」の袖(そで)に姿をくらまし、お花の先生は、蜂(はち)みたいに花の「心」の中で甘い汁を吸う。形が衰弱したからそういうところに逃げるので、逃げていることさえ気がつかないのだから始末に悪い。 (55-56頁) 白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫 おそらく小林(秀雄)さんも、陶器に開眼することによって、同じ経験(沈黙している陶器の力強さと、よけいなことを何一つ思わせないしっかりした形を知ったこと)をしたのであって、それまで文学一辺倒であった作品が、はるかに広い視野を持つようになり、自由な表現が可能になったように思う。小林さんが文章を扱う手つきには、たとえば陶器の職人が土をこねるような気合いがあり、次第に形がととのって行く「景色」が手にとるようにわかる。文章を書くのには、「頭が三分、運動神経が七分」と言い切っていたが、それも陶器から覚えた技術、というより生きかたではなかったであろうか。 (57-58頁) 白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫 『青山二郎の眼 』別冊太陽 日本のこころ 87 「『俺は日本の文化を生きているのだ』が口癖だった男。あまりにも純粋な眼で、本物を見抜いた男。永井龍男、河上徹太郎、大岡昇平といった錚々たる昭和の文士たちの精神的支柱として「青山学院」と呼ばれた男。あいつだけは天才だ、と小林秀雄が嘆じた男。そし...

「アクセントの平板化」_「公民」の教科書の一頁を例に

『新編 新しい社会 公民』東京書籍(78頁) 昨日「公民」の教科書を読むのを聞いていました。その際、アクセントの平板化がみられた単語は、 「選挙の課題① −選挙の課題」 政治、棄権、指摘 「選挙の課題②−一票の格差」 得票、当選、 議員、 議会、 判決 の八語でしたが、文中の単語としてではなく、個々別々の単語として発語した場合には、 課題、原因、信頼、関心、大切、投票、人口、重要、最大、平等、状態、改善、 等の言葉にもアクセントの平板化がみられると思います。 中学生の子どもたちは、故意にアクセントを平板化しているわけではなく、我知らずして発語しています 。自覚症状がないだけにことは重大であって、アクセントの平板化はとどまることなく、時流のままに、ということになるのでしょう。子どもたちは、「正しい日本語」には無関心で、「美しい日本語」には無頓着です。 以下、ご参考まで。 国立国語研究所「解説:アクセントの平板化」

「P教授にかこつ」

おはようございます。 朝早くからのほめ殺し、どうもありがとうございました。 昨日はテスト週間中の祝日でしたので、中学生と一日中おつき合いしていました。常識も良識もわきまえず、教養もなく、言葉の数も極端に少ない、およそ日本人ばなれした中学生を相手に、まともな話をしても通じるはずもなく、土曜日には、三大和歌集、『おくのほそ道』の授業ですが、テスト対策の通り一遍 の授業であって、うんざりしています。 今年度限り、と思い我慢しています。今年度限り、と思えば我慢もできます。限界の域に達しています。 軟禁状態のなか、作文だけを頼りに一日を過ごしました。P教授のお勧めの賜物です。生活が一変しました。感謝しております。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

「予断をゆるさぬ俳句のお話」

今 仮に、日本語の音を「五十音」とすれば、十七音からなる世界で最も短い定型詩である俳句は、「五十音」の組み合わせで、その数は 50の17乗になります。 50の17乗の羅列は、PCの得意とする分野であって、容易なことです。これで、現在・過去・未来のすべての俳句が網羅されることになります。なんとも味気ないお話です。 「この土手をのぼるべからず警視庁」 感情の表出のない 五・七・五 は俳句とはいえないと、雲英(きら)末雄先生は何度か口にされました。大学の二年次には、雲英先生に、陰影本をテキストにして、西鶴の『好色五人女』を教えていただきました。また、三年次には「蕉風連句」についての講義を受講しました。雲英先生は、暉峻康隆先生の直系です。 当然 感情の表出のない 50の17乗の羅列は、俳句とよぶことはできませんが、安心できないのが今の時代です。将棋にしてしかり、囲碁にしてしかりです。予断を許さないのが今の時代ということなのでしょうか。 雲英先生のお嬢さんの名づけ親は暉峻先生です。「きらくにこ」、「気楽にいこう」。近世文学がご専門の先生方は、どことなく可笑しく、遊び心があります。同郷ということもあってか、卒業論文の件ではよくしていただきました。崖っぷちに立たされたときには、助け船を出していただきました。学部長をされていたときのことでした。 雲英末雄先生が 2008/10/06 にご逝去されたことを今日はじめて知りました。 訃報に接しご冥福をお祈りいたします。 大切な方たちが一人また一人と亡くなられていきます。 大切な方たちとのお別れが続きます。

「小雪の日に思う」

 明日は勤労感謝の日ですが、毎年テスト週間と重なり、休日返上です。思えば、勤労とよべるほどの働きをしているわけでもなく、感謝されればかえって恰好がつかず、毎年適当な祝日を過ごしているのかもしれません。国民の三大義務として、「勤労の義務」が明記され、一方では「勤労の権利」が謳われていますが、「権利」を主張しないからには「義務」もなく、と都合のいいことを考えています。  「 北国から雪の便りが届く頃」と書かれていますが、当地方で本格的な冬の到来を感じるのは、「冬至」のころからです。

「食あたり_予告編です」

「2016/11/20,21_食あたり」 食あたりの症状は下痢、嘔吐、腹痛。 食あたりの下痢には三つのタイプがある!! ことの真相は? 今回の食あたりによる下痢のタイプは、三者三様? 以下、 「 WELQ ココロとカラダの教科書」 です。

「思い出を紡げば」

 昨日 従兄弟のたっちゃんが、奥さんの実家に向かう 途中、父のご機嫌うかがいに寄ってくれました。2020年 東京オリンピックの開催年に晴れて退職、とのことでした。   たっ ちゃんは'60年生まれで、私は'61年生まれです。弟が生まれた '64年には 、東京オリンピックが開催され、'70年にはいっしょに大阪万博に行きました。イタリア館でスーパーカーを見た覚えがあります。その際にはピンバッチをもらったように記憶しています。メキシカンハットを買ってもらいました。机の引き出しには、「EXPO'70 人類の進歩と調和 日本万国博覧会会場図」が書かれたハンカチがあります。帰路には、大津(だったような気がしています)のサービスエリアに車を駐め、車中で泊まりました。  また、'73年のオイルショックを経て、 低成長の時代を迎えた'75年、 たっ ちゃんが中学三年生のときには、安土城址を訪れ 、琵琶湖でモーターボートに乗り、琵琶湖大橋を渡ってすぐ左手にある、当時 ジャングル風呂で名をはせていた ホテル紅葉で一泊し、翌日比叡山に向かいました。   たっ ちゃんの思い出と、私の記憶はかけ離れていて、二人合わせるとおおよそになりました。それぞれの思い出の違いを面白く感じました。  琵琶湖へはマイクロバスで、祖父もいっしょに行きました。祖父たちはホテルから琵琶湖競艇に出かけました。後に、「もう一度モーターボートに乗ってみたいやぁ」と母が何度か口にしたのを覚えています。二人は不帰の客となり、思い出だけが縁(よすが)です。

「ラブコール_自習教材を見る、読む、読みとばす」

◇『高校への数学増刊 図形のエッセンス 』東京出版 ◇望月俊昭『高校への数学 高校入試 数学ハンドブック/図形編』東京出版 ◇森圭示『塾で教える高校入試 数学 塾技100 』文英堂 ◇森圭示 『塾で教える高校入試 理科 塾技80 』文英堂 ◇中村充博『高校入試実力メキメキ合格ノート 中学地理 新装版(現・改訂版)』文英堂 以上の自習教材は、それぞれの参考書の「 いいとこ取り」をしてください。 鉛筆を持たずに見る、読む、読みとばす、というのが大原則です。 『塾で教える高校入試 数学 塾技 100 』 は、例題の解法が頭に浮かべば、それで結構です。あとは解説を読んでおいてください。それ 以上のことは必要ありません。 すべて難関 国・私立高入試用の参考書です。愛知県公立高入試のレベルをはるかに超えています。蚊帳の外のお話です。浮世離れした世界のお話です。遠くから眺めていればいいだけの世界です。 下手に手を出すと、大怪我をします。大火傷を負います。かなう相手ではありません。自信をなくすだけです。「君子危うきに近寄らず」ということで、私は遠ざけています。逃げまわっています。 以上、ご参考まで。 以下、 「自学自習に向けて、当塾の教材の公開」 です。