「教育の浄化と再生_私のイライラ」

白洲正子『西行』新潮文庫 の帯には、
能あるものは、
そっと黙っていよ。
-----ゲーテ
と記されていますが、能なき私は…。

私のイライラは、中学校の先生方が、きちんと授業をしないことに起因するものです。私の視野はきわめて狭く、愛知県豊橋市内の一中学の事情によるものですが、学習塾をはじめて二十一年間、絶えずイライラしています。2016/06/20 発行の「PTA新聞」には、「学校は学ぶところ」と題された学校長の文章が載っています。まず学ぶべきは教師の側にあるのは当然のことです。自浄なきところに再生はありえません。教師という職業は、手抜きが許される特権階級の最上位に位置するものです。いったい教育についてどのようにお考えなのでしょうか。身過ぎ世過ぎにすぎないのでしょうか。バレなきゃいいや、という体質はいかにも子どもじみていて、子ども以下です。子どもたちや親は、とおの昔にあきらめきっています。自衛の手段をとっています。「学校は学ぶところ」と、今さらながらに書かなければならない今の学校とは、いったいどういうところなのでしょうか。思うほどに、書くほどに、私のイライラはつのるばかりです。