「人の生死(しょうじ)の交差するところ」
駐車場をはさんで、我が家の裏手に位置する、朱いタイル張りの Kさんのお宅は、誠に具合よくできており、道ゆく人が、腰を下ろすのに格好の場となっています。南に面した Kさん宅の前には、ご近所のお年寄りの方たちが、二人、三人と腰を下ろし、陽だまりのなかでおしゃべりを楽しんでいます。にぎやかな笑い声が聞こえることもありますし、所在なく一人、冬の陽ざしを浴びていることもあります。
私も何度かお仲間に入れていただきましたが、近所の方たちにとって、私はよほど暇な人と映るのでしょうか、延々と続く話はやりきれず、かといってぞんざいなまねもできず、このごろでは、おくつろぎ中の方たちがいないのを確かめてから、外出することにしています。私の外出の時間は、ご近所のお年寄りの方たち次第、という風変わりな、不自由な生活を強いられています。
年々歳々、おしゃべりに興じるお年寄りの方たちの顔ぶれはかわり、歳々年々、世代が交代しています。Kさん宅の前の陽だまりは、人の交差するところであり、人の生死(しょうじ)の交差するところでもあります。階段の上り下りのたびに、二階の窓から、人の世の常ならむことをそっとうかがい、常ならむことと言い聞かせています。