天人 深代惇郎「志ん生一代」
「志ん生一代」
深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫(332_333頁)
「エエ、考えるッてぇと、なんでございますな、やっぱり、どうしても、しょうがないもんでしてな、オイ、目のさめるようないい女だよ、まるで空襲警報みたいな女だよ」。
落語の古今亭志ん生が語り出す「まくら」の奔放さは、天下一品だった。意味をなさぬような語り口から、次第にかもし出す味わいは、だれもマネができない。円生が、このライバルを評したそうだ。
「私は志ん生と道場で仕合いをすれば相当に打ちこむことができますが、野天で真剣勝負となると、だいぶ斬られます」(宇野信夫『芸の世界百章』)。端正な芸風をもつ円生が、野天の真剣だとやられそうだといったのは、言う人の眼の立派さにも感心するし、言われた志ん生のうまさもなるほどと思わせる。
彼が住んでいた「なめくじ長屋」の話は有名だが、その体験が、貧乏ばなしを絶品のものにした。塩をふりかけても、五、六寸ぐれえの大なめくじがシッポではじきとばして、神さんのカカトに食いついた、というのは本当の話なのか、どうか。
その志ん生が紫綬褒章をもらったことがある。「シジュホーショーってなんです」と人にきいたら、「世の中のためになった人にくれる勲章だ」というので、びっくり仰天した。「ほかのことならともかく、そんなこと、あたしは身に覚えがねえ」といったので、まるで罪人を捕まえるような話になってしまったという。
脳いっ血で倒れてからは、庭の金魚をみては「丈夫だね。死ぬかと思っても、なかなか死なないね」と、自分を茶化していた。彼の話は、やるたびにちがったものになったが、その逆に、寸分の違いもなくみがき上げた芸を披露したのは、桂文楽だった。二年前、その文楽が死んだときいて、頭からフトンをかぶって泣いた志ん生も、きょうが自分の葬式となった。(48・9・23)