「團伊玖磨の七転八倒 『薬研堀』」


「薬研堀」
團伊玖磨『パイプのけむり 選集 食』
 味噌汁にぱらりと薬研堀(やげんぼり〈唐辛子)を振りかける。その程度なら一寸(ちょつと)乙なものだと思う。ところがその程度では最早(もはや)僕には効(き)かないのである。従ってどうするかと言うと、蓋(ふた)を開(あ)けて、がさがさと内容を味噌汁に落とし、箸(はし)でかきまわして、真赤な汁を作り、それを辛さに打ち震えながら飲むのである。口中猛火に焼け爛(ただ)れるが如(ごと)く、激痛は咽喉(のど)から食道まで及ぶ。身体(からだ)に怖(おそ)らく悪(わ)るいだろうと反省はするのだが、どうにもこうにも、こうしなければ味噌汁なんぞは飲んだ気もしない。
 味噌汁だけならまだ良いのだが、何から何まで薬研堀で真赤にまぶさなければ食べた気がせず、この頃は、刺身だろうが茹(ゆ)で卵だろうがキャベツ巻きだろうがスパゲッティだろうが、要するに何から何までを真(ま)っ赤(か)っ赤(か)にして涙ながらに物を食う。如何(いか)なるところに原因があってこんな恥ずかしいことになってしまったのか、全く他人(ひと)にも言えやしない。

 辛子気狂いになったのは、生まれてから二度目である。今から二十何年前、兵隊だった時、一度辛子病になったことがあった。その時は理由がはっきりしていて、あまりの空腹のため、軍隊の食事が足らず、普通に食べればすぐに食べ切ってしまってあとには不満が残る。そこで、戦友と語らって、外出の機会に薬研堀を買って来て、滅茶々々に飯の上に振りかけて食べた。そうすると、辛さのために早く食べることが出来ず、ゆっくり食べることとなり、何がなし食べたという満足が残るのだった。そして、不思議なことに、殆んどあらゆる食品が統制されていた戦争末期にも、どういう訳か、七味唐辛子だけは自由販売であって、又、軍隊の中に持ち込んでも叱られなかった。
 その時はそういう賤(いや)しさが原因で辛子を好んだから原因が判るとして、一体何でこの頃急に辛子が欲しくて欲しくてたまらないのかは、どう考えても判らない。(16-17頁,20-21頁)