白洲正子「よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。」
白洲正子「よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。」
白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫(130-131頁)
話はちょっと横道にそれるが、先日私は未知の読者から実にありがたい手紙を頂いた。「よき細工は少し鈍き刀を使ふといふ」ことについてで、いうまでもなくこれは『徒然草』の一節である。梅若実の手離しの芸とも、右のジィちゃん(青山二郎)の言とも関係があるので書いておきたいのだが、「鈍き刀」の意味を今まで私はその言葉どおりに受けとって、あまり切れすぎる刀では美しいものは造れないという風に解していた。
ところがそれでは考えが浅いことを、この投書によって知らされたのである。その手紙の主がいうには、鈍刀といっても、はじめから切れ味の悪い刀では話にならない。総じて刀というものはよく切れるに越したことはないのである。その鋭い刃を何十年も研いで研いで研ぎぬいて、刃が極端に薄くなり、もはや用に立たなくなった頃、はじめてその真価が発揮される。兼好法師はそのことを「鈍き刀」と称したので、「妙観が刀はいたく立たず」といったのは、切れなくなるまで使いこなした名刀の、何ともいえず柔らかな、吸いつくような手応えをいうのだと知った。そういう経験がなくてはいえる言葉ではない。奥には奥があるものだと私は感嘆した。
ジィちゃんの言葉を借りていえば、「九十年も研いで研ぎ上げると」幻の如(ごと)く煙の如く立ちのぼるものがある。そういうものが日本の精神なのであって、兼好はそれを妙観の刀にたとえたのだ。妙観がどんな人物か私は知らないが、その一行だけで日本の文化の真髄を語って余すところがない。
兼好の文章も、たしかに鈍き刀を用いているのである。
以下、
小林秀雄「よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。」
です。
兼好の文章も、たしかに鈍き刀を用いているのである。
以下、
小林秀雄「よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。」
です。