小林秀雄「大和三山に健全な古代人を見附けた」

小林秀雄『蘇我馬子の墓』
小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫

下記は、『蘇我馬子の墓』の最終段落の引用である。最終章は、それ以前の文章とは、たちまちのうちに様相をかえ、一気呵成に終息に向かった。その幕切れはあっけなく、その潔さに驚かされた。空疎な言葉を並べ立てることの愚かさを、徒労を思ったのであろう。

 「私は、バスを求めて、田舎道を歩いて行く、大和三山が美しい。それは、どの様な歴史の設計図をもってしても、要約の出来ぬ美しさの様に見える。「万葉」の歌人等は、あの山の線や色合いや質量に従って、自分達の感覚や思想を調整したであろう。取り止めもない空想の危険を、僅(わず)かに抽象的論理によって、支えている私達現代人にとって、それは大きな教訓に思われる。伝統主義も反伝統主義も、歴史という観念学が作り上げる、根のない空想に過ぎまい。山が美しいと思った時、私は其処(そこ)に健全な古代人を見附けただけだ。それだけである。ある種の記憶を持った一人の男が生きて行く音調を聞いただけである。」(163-164頁)

小林秀雄は、「大和三山」の美しさに歴史の息吹きを感じた。人事はそれに倣うほかない、という思いにかられた。小林秀雄における歴史とは、個別的、具体的な体を成すものであって、思いをはせたとき、いつでも人の心を動かす用意のあるものである、と私は解釈している。

1996年の春、P教授のお供をして、『蘇我馬子の墓』であろうとされている「石舞台古墳」を訪れました。そっけない石組みだなと思い、なんの規制もなく、開放されているのが不思議でした。菜の花が盛りでした。大和三山は目にとまりませんでした。今思えば情けなく、お気楽な物見遊山でした。