「小林秀雄の文章は難解か」
小林秀雄の文章は決して難解ではない。
小林秀雄の文体は、美や思想を、思いや、ものやことを語るための抜き差しならぬ「形」であって、これをおいては表現できない、という自身の発明である。小林秀雄によって研ぎすまされ、提出された言語作品が、自身の眼に映り、心を動かした事実以上に難解であるはずもなく、では簡単か、といえばそうとばかりもいえず、厄介である。
小林秀雄の講演録である、
国民文化研究会『小林秀雄 学生との対話』新潮社
の帯には、
「批評の神様はかくも熱く、分かりやすく、親切で、面白かった。」
と記されているが、これは小林秀雄の著作全般についてもいえることである。
小林秀雄の文体は、美や思想を、思いや、ものやことを語るための抜き差しならぬ「形」であって、これをおいては表現できない、という自身の発明である。小林秀雄によって研ぎすまされ、提出された言語作品が、自身の眼に映り、心を動かした事実以上に難解であるはずもなく、では簡単か、といえばそうとばかりもいえず、厄介である。
小林秀雄の講演録である、
国民文化研究会『小林秀雄 学生との対話』新潮社
の帯には、
「批評の神様はかくも熱く、分かりやすく、親切で、面白かった。」
と記されているが、これは小林秀雄の著作全般についてもいえることである。
「『わかる』ということと、『苦労する』ということは同じ意味なんです。」(『小林秀雄講演 本居宣長 新潮CD 第3巻』)
要は労を惜しまないことといえよう。