司馬遼太郎「なによりも国語」


「なによりも国語」
司馬遼太郎『十六の話』中公文庫(369-371頁)

「日本人は英語がへただから、多くを語らず、主張もひかえ目にする」
 という人があるが、そういうことはありえない。国語がへたなのである。英語など通訳を通せばなんでもない。いかに英語の達人が通訳してくれても、スピーカーの側での日本語としての国語力が貧困(多くの日本人がそうである)では、訳しようもない。

 国語力は、家庭と学校で養われる。国語力にとっての二つの大きな畑といってよく、あとは読書と交友がある。
 国語力を養う基本は、いかなる場合でも、
「文章語にして語れ」
 ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境(つまり単語のやりとりだけで意志が通じあう環境)では、国語力は育たない。
 ふつう、生活用語は四、五百語だといわれる。その気になれば、生涯、四、五百語で、それも単語のやりとりだけですごすことができる。ただ、そういう場合、その人の精神生活は、遠い狩猟・採集の時代とすこしもかわらないのである。
 言語によって感動することもなく、言語によって叡智を触発されることもなく、言語によって人間以上の超越世界を感じることもなく、言語によって知的昂揚を感ずることもなく、言語によって愛を感ずることもない。まして言語によって古今東西の古人と語らうこともない。
 ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、何をいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。
「なぜ水が欲しいの?」
 と、問いかけてみる。
「のど、かわいた」
 子供は、あたり前のことをいう。これでは、国語力とはいえない。
「運動もしないのに、どういうわけか、のどがかわくのです。気分はわるくありません」
 と、自分の現状を、ちゃんと言語化できるように、子供をしつけてやらねばならない。

 明治維新で江戸期の言語(話し言葉・書き言葉の両方とも)が御破算になり、あらたに日本語が出発した。その後、まだ百数十年しか経っておらず、さらにいえばさきにのべたような意味での“国語はいかに人間にとって大事か”という考え方については、ごく最近はじまったばかりである。
 学校の現場は、国語建設の現場でもある。
 この文章に、結論はない。筆者としては現場の先生方に、祈るような気持ちでいるだけである。