「教育の浄化と再生_なによりも日本語、現場の教師に託されたもの」

「日本は戦争に負けて、頭の中までアメリカの植民地になっちゃったんだね」と言われるようになったのは、そのころからである。カタカナ英語の氾濫に加え、テレビのコマーシャルで「メイク・イット・ポッシブル・ウィズ・キャノン」と、宣伝の文章がそっくり英語になったことに注目され、「このままいくと百年後には、今書かれている日本語のわかる人は、日本にいなくなるかもしれない」と言われた。
「では、私たちはどうすればいいのでしょう」とお聞きすると、「実はね、僕は申し訳ないことをしたと思っているんだ」と、思いもかけない言葉が返ってきた。それはこういうことだった。自分は学生の時に「日本とは何か。日本語はどこから来たのか」という設問を自らに課し、答えを見つけることに一生を捧げた。そして結論を出すことができた。しかしそうしている間に、この国は壊れた。最大の原因は、戦後の国語教育にあったと思う。
 中学校で国語と英語の授業時間を同じにしてしまえば、植民地化が進むのは避けようがない。日本人にとって国語は母語である。母語は、意志や気持ちを伝える道具ではなく精神の土台だ。それなのに、土台造りを怠ってきた。
 日本のあちこちで起こっている問題の原因は、国語力の低下で説明がつく。精神の土台が崩れ、考えや判断するのに不可欠な国語の能力が落ちれば、問題は起きるし、解決の知恵も出なくなる。
 日本語の能力の基礎は小学校の三、四年生までに築いておかなければいけない。しかし助詞の「は」と「が」の違いをわかりやすくきちんと教えられる先生が、日本に何人いるのか。
「そう考えるとね、自分の研究は半分位にして、半分は国語をしっかり教えられる人材の育成に当てるべきだった。申し訳なかったなと、思っているんだよ」
 3・11以降、筆者は政治家や官僚の発言を見聞きするにつけ、大野晋さんの〝遺言〟を思い出すことが多くなった。
(「考える人」2012年春号掲載)

齋藤孝,梅田望夫『私塾のすすめ ー ここから創造が生まれる』ちくま新書(74-75頁)
どの層に伝えたいかというと、現実を変えるために、教師の方たちにがんばってもらわなきゃ、という思いはあります。子どもたちについては、全体を底上げすることに使命感をもっています。だから、小学校の国語の教科書に強い関心がある。みんなが読んでいるものですから。そのレベルが低いとイライラしてしまう。小学校の国語の教科書の薄さに日本で一番イライラしているのは、たぶん僕です(笑)。そのものすごく怒りに燃えている気持ちが共有されない。なんで、自分だけがこんなにイライラしているのか、と思います。

司馬遼太郎『十六の話』中公文庫(369-371頁)
「日本人は英語がへただから、多くを語らず、主張もひかえ目にする」
という人があるが、そういうことはありえない。国語がへたなのである。英語など通訳を通せばなんでもない。いかに英語の達人が通訳してくれても、スピーカーの側での日本語としての国語力が貧困(多くの日本人がそうである)では、訳しようもない。
 国語力は、家庭と学校で養われる。国語力にとっての二つの大きな畑といってよく、あとは読書と交友がある。
 国語力を養う基本は、いかなる場合でも、
「文章語にして語れ」
 ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境(つまり単語のやりとりだけで意志が通じあう環境)では、国語力は育たない。
 ふつう、生活用語は四、五百語だといわれる。その気になれば、生涯、四、五百語で、それも単語のやりとりだけですごすことができる。ただ、そういう場合、その人の精神生活は、遠い狩猟・採集の時代とすこしもかわらないのである。
 言語によって感動することもなく、言語によって叡智を触発されることもなく、言語によって人間以上の超越世界を感じることもなく、言語によって知的昂揚を感ずることもなく、言語によって愛を感ずることもない。まして言語によって古今東西の古人と語らうこともない。
 ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、何をいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。
(中略)
 明治維新で江戸期の言語(話し言葉・書き言葉の両方とも)が御破算になり、あらたに日本語が出発した。その後、まだ百数十年しか経っておらず、さらにいえばさきにのべたような意味での“国語はいかに人間にとって大事か”という考え方については、ごく最近はじまったばかりである。
 学校の現場は、国語建設の現場でもある。
 この文章に、結論はない。筆者としては現場の先生方に、祈るような気持ちでいるだけである。