小林秀雄「壺中天」

白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』(とんぼの本)新潮社
 秦秀雄君の家で、晩飯を食っていると、部屋の薄暗い片隅に、信楽(しがらき)の大壷がチラリと見えた。持って行けよ、と壷は言っているので、鎌倉まで自動車に乗せて来た。どんな具合にだか知らないが、いずれ、秦君は勘定を附けにやって来るだろうが、この程度の壷は、ともかく一応は黙って持って還らないといけない。(壷)
 私は、壷が好きだ。……古信楽の壷は、特に好きだ。その「けしき」が、比類がないからだ。「けしき」という言葉も面白い言葉である。これも、実体感、或は材質感のなかに溶けこんだ一種の色感を指していうものだ。(信楽大壷)
 「壺中天(こちゅうてん)」という言葉がある。焼き物にかけては世界一の支那人は、壷の中には壷公という仙人が棲んでいると信じていた。焼き物好きには、まことに真実な伝説だ。私の部屋にある古信楽の大壷に、私は何も貴重なものを貯えているわけではないが、私が、美しいと思って眺めている時には、私の心は壺中にあるようである。(信楽大壺)(88頁)

 私はこの話が好きである。 いくら “ 近代批評の神様 ” とはいえ、簡単にこしらえた文章とは思えない。この簡潔さといい、言葉の置き方といい、随所に小林秀雄らしさを感じる。
 結びの一文に託された思いが、最初にあったのだろう。それにしてもみごとな終息である。
 89頁には写真が載っている。たいした物であることくらいは、私にもわかる。