「いまなぜ洲之内徹なのか」

下記の白洲正子の文章が、発端となった。

「さらば『気まぐれ美術館』洲之内徹」
白洲正子『遊鬼』新潮文庫
「小林(秀雄)さんが洲之内さんを評して、「今一番の評論家だ」といったことは、週刊誌にまで書かれて有名になったが、
(中略)
 だが、小林さんの言葉は私がこの耳で聞いたから確かなことなので、一度ならず何度もいい、その度に「会ったことないの?」と問われた。
 変な言いかただが、小林さんは「批評」というものにあきあきしており、作者の人生と直結したものでなくては文学と認めてはいなかったのである。小林さんだけでなく、青山二郎さんも、「芸術新潮では洲之内しか読まない」と公言していた」(220-221頁)

「自転車について」
洲之内徹『帰りたい風景 気まぐれ美術館』新潮社 
「松田(正平)さんのアトリエは汚いが、汚ならしくはない。そういう汚ならしいもの、他人を意識したものが一切ない」(286頁)

 洲之内徹は、「汚ならしいもの」,「他人を意識したもの」を徹底して遠ざけた、清廉の人であった。洲之内の文章には温もりがあり、一流のユーモアがある。
 荷風の『断腸亭日乗』といい、洲之内の『気まぐれ美術館』といい、文体らしき骨子をもたない文章に出会った意義は大きい。
 なお、タイトルは、白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』から拝借した。