TWEET「唐突な美との出会い」

 学生時代 テレビで、「ルオー展」のCMを見て、翌日 出光美術館に行った。なにかに憑かれたようにして向かった。いいも悪いもなかった。そんなおしゃべりはどうでもよく、ただ見入っていた。
 その後、小林秀雄が「ルオー」について書いているのを知り、意外な感じがした。

「最後まで愛した画家ルオー」
白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』(とんぼの本)新潮社
「ためらいも繰り返しもない素早い筆は、(「パレットの代りの楕円形の大皿」の)表にピエロを仕上げると、そのまま速度も落さず、裏側に廻り、あっと言う間に花を描き終える、その断絶を知らぬ運動に導かれて、私は皿をひっくり返すようである。
(中略)
 叩きつけられた絵具が作る斑点と、顔料を分厚く盛り上げて引かれる描線との対照は、いかにも荒々しく烈しいものだが、其処に、極めて繊細な和音が発生し、皿全体が鳴るのに気附いて驚く。これに聞き入っていると、こういう美しい物が生れて来る、創り出されて来る、その源泉とも言うべきものに向って誘われて行くような、一種の感覚を覚えるのである。〈ルオーの事〉(52頁
 今回にかぎったことではないが、絵画の鑑賞を生半(なまなか)にし、小林秀雄の文章を読んで、解ったような気になるのは、困ったものである。
 そして2006年の春、思いもかけず、名古屋市美術館で「ルオー」と再会した。 
 たとえば、111 Years of Deutsche Grammophon「111 More Classic Tracks」 に収録されている、アリス=紗良・オットの弾く、「Chopin:Waltz No.6 in D flat, Op.64 No.1 -"Minute"」をはじめて聞いた際にも、「絶対的な、異様な吸引力」(52頁)の虜になった。妖艶な演奏である。私のもっぱらの関心は、彼女の左手、低音部にある、としか書けないもどかしさがある。
 美は妖気をはらんでいる。美に自分を失いそうな瞬間がある。そんなときには、急いで遠ざかるにかぎる。危険である。
 唐突な美との出会いは、幸せである。天の配剤としかいいようがない。(858文字)