「『本居宣長』をめぐって 小林秀雄 / 江藤淳」

「『本居宣長』をめぐって 小林秀雄 / 江藤淳」
小林秀雄『本居宣長 (下)』新潮文庫

「学問をする喜び」
江 藤 もう一つ、これもやや自由な感想ですが、あの中には先ほど申し上げた通り、中江藤樹や伊藤仁斎や荻生徂徠(契沖、賀茂真淵、上田秋成、堀影山)などが登場して、江戸の学問が展開されていくさまが生き生きと描かれています。それにつけても反省してみると、日本人の学問の経験といいますか、まねびの喜びというものは結局、あの時期にきわまっていたのではないかという気がして来ました。あれに匹敵するようなまねびというか、学問探求の楽しみや喜びを、明治以来百何年間果してわれわれは経験し得たのかと考えてみると、きわめて懐疑的になります。藤樹も仁斎も徂徠も、真淵も宣長も非常に豊かで、しかも、喜びに満ちていたという事実を振り返ると、大きく見れば明治以来、もう少し細かく言えば最近三十数年の学問というものは、いったいどういうことになっちゃっているんだろうと思わざるを得ません。
小 林 学問をする喜びがなくなったのですね。(中略)宣長にとって学問をする喜びとは、形而上なるものが、わが物になる喜びだったに違いないのだから。
江 藤 そうでしょうね。
小 林 学問が調べることになっちまったんですよ。
江 藤 調べるために調べるという同義語反復におちいってしまった…。
小 林 道というものが学問の邪魔をするという偏見、それがだんだん深くなったんですね、どういうわけだか。
江 藤 つまり、小林さんのおっしゃる道というものは、発見を続けていって、その果てに見えはじめるというようなものだろうと思いますが…。
小 林 そうなんですね。
江 藤 ところが、いまは逆に道の代用品にイデオロギーというような旗印を最初に掲げておいて、その正しさを証明していくという考え方が流行しているように思われます。(378-379頁)
江 藤 明治末期、大正初年から、すでに学ぶ喜びが欠落しはじめたということになると、日本人の身についた本当の学問というものは、荒涼とした戦国の余塵を受けながら、中江藤樹のような人が学問に志したときから宣長の出現に至るまでの、たかだか百五十年ほどの間にできあがったということになるのだろうか、その学問こそわれわれがいつもそこへ還っていかなければならない本物の学問なのだろうか、という切実な感想を抱きました。(380頁)

 歴史が沸いた、この「百五十年ほどの間」の、やがては宣長へと収斂していく学統を描いた、小林秀雄の手さばきは見事である。
  学道は “道 ” に極まる。
 私の読書体験とは、「形而上なるものが、わが物になる喜び」を求めてのことであり、読書とは、やむに止まれぬ実学の事どものことである。