「中西進、秋を思う」

 立秋の日を調べると、2022/08/07 だった。知らずにやり過ごした。野分というほどの風が吹き、風が運ぶ残暑が恨めしい。

2020/07/07
 書店の参考書売り場で、通りすがりに、
◇『2021年度受験用 豊田工業高等専門学校』英俊社
を手に取り、レジへ向かった。時期尚早のため、「国立高専」の過去問しか並んでいなかった。2860円というお値段に慌てた。

 国語 大問2 の問題文を幾度か読んだ。引用した古文を題材にしての考察(鑑賞文)である。
 以下、その出典を最近のものから順に並べたものである。
◇ 中西進『ことばのこころ 』東京書籍
◆ 藤田正勝『日本文化をよむ 5つのキーワード 』岩波新書
◇ 大輪靖宏『なぜ芭蕉は至高の俳人なのか』祥伝社
◆ 小林一彦『NHK『100分de名著』ブックス 鴨長明 方丈記』NHK出版
◇ 森朝男『読みなおす日本の原風景 古典文学史と自然 (はなわ新書)』塙書房

 うかつにも中西進しか知らなかった。「三夕の歌」が二つの問題文で話題になっている。明恵上人の名が見えるのもうれしい。
 なかでも中西進の作品が際立っている。『紫式部日記』の冒頭部分,「三夕の歌」を引いての「秋」についての随想である。

「特段にどこの何が秋めくというのでもなく、それでいて秋のけはいがたつという季節の体感こそが、じつはこの国の秋の感触なのだろう。
 空もおおかたの様子が艶だといい、秋のけはいとともに感じるものは、これまた風のけしきだという。
 とくに涼気が漂ってきた、天地宇宙の全体が緊張へと向かっていく、そんな季節の移行が秋なのであろう」
「こうした作者の目や耳に、あれこれの景物が一つの生命体をなして感じられることこそ、自然の季節を深めゆく営みとの、いちばん深い対面なのであろう。
 この文章が、名文をもって聞こえる理由も、そこにあるにちがいない。
 自然は人事を包含してしまうものだということを、この文章を見ながら、わたしはつくづくと思う」
「また三首に共通することば遣いは、「なかりけり」「なき」「なかりけり」という否定である。秋の風景は否定の言い方と、心の深奥(しんおう)の部分で、無意識的に結びついているのにちがいない」

 古典と中西進が響き合うと、これほどすてきな文章が生まれる。
 憂いなく、静謐な秋を願うばかりである。
 古典の世界の住人に教えを請うとは、本をひもとくことに他ならない。
◇ 中西進『ことばのこころ 』東京書籍
を注文した。古書である。