「小林秀雄、梅原龍三郎とピカソの腕力について語る」

「梅原龍三郎 美術を語る」
『直観を磨くもの ー 小林秀雄対談集 ー』新潮文庫
小林 ぼくはピカソという人は、だいたい文学的な人だと思うんですがね、初めからの画を見ると。
梅原 そう。初めごろの画は、文学的というか…。
小林 一種センチメンタルなものがあるでしょう。一種の妙な、浪漫派文学みたいなものがね。
梅原 やっぱりスペイン人の血っていうものが、ハッキリとあるんじゃないかと思うんだけどね。(後略)
小林 ぼくはピカソのああいうセンチメンタルな、浪漫派文学みたいな、若いころのものは、あの人が何をやろうが、決して消えていないと思うんですよ。
(中略)
小林 ピカソという人は、もっと眼が悪いとか手が悪いとかなら別だけれども、手と眼がたいへんな技巧だもんだから、あれだけやれるんじゃないかな。
梅原 とにかく何をやっても人をひきつける力があるんだから、やはり腕力の物凄(ものすご)いやつだと思うな。(笑う)
(中略)
梅原 デッサン力は非常に強くてね、デッサンがうまいのは、近世で一番て言っちゃヘンだけど、現代で一番うまいと思うな。
小林 あたしもそんなふうな気がする。実にうまい。
梅原 写実的なものを描くと、そのうまさがハッキリするな。ずいぶんヘンテコなものを描いてもうまいんだしね。その点、あれは恐ろしいやつだと思うな。
小林 魔法使いみたいな腕ですな。あの腕は確かに純粋に画書きの腕で…。何んでも出来るから何んでもやっちゃった、ということでしょうね、あの人はそういう腕があるから画書きとしているんでね。案外、ぼくは詰らん男みたいな気がするんです。そういうふうにぼくは考えるんですがね、どうも言葉が足りない
梅原 いや、ぼくにはその気持ちは判るな。
(中略)
梅原 みんなと同じようなことをやってるのは面白くない、というようなことを、若いころから言っていて、それがね、あいつ、腕力が強いから、余裕をもって何んでもやれるんでね
小林 そういう所は偉いな。あの線というのは、ぼくは偉いものだと思う。ほんとに、物を見たまま手が動いちゃうようなものですな。
梅原 そういうものだ。
小林 眼と同じような早さで動いてるような線ですな、あの線は
梅原 一代の化けものみたいなやつだと思うけどね、あれは。
小林 ぼくはある人のピカソに関する本を読んでいたら、若いころにいろいろデッサンをやってて、そのデッサンの描き溜めで、ひと冬、ストーブの薪(まき)が要らなかった、というんですね。それくらい練習した腕だね。あのくらいに手が動きゃ、これは手が動くだけでもって大したもんだな。
梅原 このごろでも、一日に何十枚ってデッサンの出来る日があるらしい。(321-325頁)

 一概に天賦の才とはいえ、それは、相応な「練習」を課す。相当な「練習」ができるかどうかも含めて、天賦の才というのだろう。
 両雄の会話から、ピカソの「腕力の物凄」さがうかがえる。
 「あの線というのは、ぼくは偉いものだと思う。ほんとに、物を見たまま手が動いちゃうようなものですな。
 眼と同じような早さで動いてるような線ですな、あの線は」
と言った小林秀雄の辣腕。
 また、
「一代の化けものみたいなやつだと思うけどね、あれは。」
と言い放った梅原龍三郎の敏腕も、ピカソの「腕力」と対等にわたり合っていて、おもしろい。