「雪舟における『間』について」

 長い間気になっていることがある。
 それは雪舟の画中の平面についてのことである。
◇ 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫
◆「雪 舟」
を三読四読したばかりの私が、畏れ多くも、しかし私が覚えた感慨は感興として如何ともしがたく、思い切って書くことにした。

白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』(とんぼの本)新潮社
いま私は、
◇「雪舟〈山水長巻〉春景部分 1486 紙本墨画淡彩 39,8×1653 毛利博物館」
◇「雪舟〈慧可断臂図〉1496 紙本墨画淡彩 183,8×112,8 斎年寺」
を見ている。小片である。

 〈山水長巻〉では、「開鑿(かいさく)された」平らかな「山径」、切り立った岩肌に広がる垂直面、そして渓流にかかった岩橋の平面の美しさが眼をひく。雪舟の画のなかにあって、「平面」が「間(ま)」になっており、その「間」の置き方の上手さが、雪舟の構図の上手さとなっている。

 〈慧可断臂図〉における、「入門の決意を示すため、左腕を切り落として達磨に差し出す」「神光(後の慧可)」の、額や眉根に深く刻まれた皺は悲壮である。達磨は面壁の姿勢を崩さないが、虚ろな、戸惑いの眼をしている。達磨の纏う衣の線は柔らかく、身体を消失し、宙をたゆたっているかのようである。
 薄衣(うすぎぬ)を一枚を纏っただけの達磨は、淡彩の「平面」として描かれ、達磨自身が「間」になっている。また、背景のおよそ半分が「平面」で構成されており、世界は深い沈黙の内にある。

 雪舟における平面のなす意味について、たわいもないことを長い間考えてきた。
 雪舟の描く平面は時宜を得て美しい。