土門拳「西芳寺と夢窓疎石」
昨夜、「土門拳」で検索すると、結構な数の作文がみつかった。いい機会だったので、すべてに目を通した。そして、思いつくことを、以下に記した。
「西芳寺と夢窓疎石」
土門拳『古寺を訪ねて 京・洛北から宇治へ』小学館文庫
「延べ十年にわたり、何十日かは苔寺に通っているにちがいない」(69頁)ぼくは「西芳寺(苔寺)をあくまで夢窓疎石(むそうそせき)の庭として撮ってきたつもりである」(72頁)という土門拳の頭に「一つの疑問が去来」した。
西芳寺は何回もの災禍に遭い、浸水の憂き目に見舞われた。「果たして、この一尺四方石は夢窓の据えたものだろうか。あるいは池中の石は暦応(りゃくおう)二年(一三三九)の夢窓作庭以来、浮沈移動なく現在に至っているのであろうか。苔はどうだろうか、竹はどうだろうか」(72頁)
「ここに至ってぼくの写真に夢窓の庭、あるいは夢窓自身が写っているのだろうかとの疑問にいきついたわけである。極論すれば、明治のあるいは昭和の庭師の手になる庭を撮り、読者の目にさらすへまをやっているのではないか、ということである。」(73頁)
この疑問は深刻である。疑問は疑問を呼び、疑心は暗鬼を生ずる。土門は着地点を見いだせるのか。結論いかんによっては、土門は撮りためた写真を反故にするのにやぶさかでないことは容易に察しがつく。土門が撮りたかったのは「夢窓の庭」であり、「夢窓自身」であった。
土門の後ろ姿に、ひとりのストイックな求道者を見る思いがする。岡潔風にいえば、土門は、情緒が深まれば、写真が濃やかになる体の写真家だった。
かつて、私は、「土門拳は被写体の生気を撮った写真家だった」と書いたが、「土門拳は被写体の霊性を撮った写真家だった」と書き換えておく。
「真贋」
小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫
「では美は信用であるか。そうである。」(233頁)ひと言でいえばこれが土門が出した結論だったといえよう。