「秋の湿原を行く_私のへんろ道です」

 「秋の湿原を行く」こと、四日目にしてようやくゆっくり歩くことをおぼえた。「早足」には練習や訓練が、「遅足」には鍛錬が必要である、といったとりとめのないことを思いつつ、土の感触を感じながらゆっくりと歩を進めた。
 昨日の秋雨に洗われ、ほどよく湿気を含んだ木道の感触が足に心地よかった。地下足袋で来るべきだったと後悔した。今思えば、裸足になって歩けばよかったと思う。
 湿原に自生する秋の千草は皆繊細で、湿原に分け入るにはそれなりのたしなみが必要である。つつしみのないところに自然はけっして応えてくれない。
 歩くにつれ、身体のこわばりが消え、体に明るさがもどった。わだかまりがなくなり心が軽くなった。宙を歩いているかのような軽やかさだった。身心が脱落したかのような錯覚を覚えた。あてもなく木道をさまよった。空中散歩を楽しんだ。ホソバリンドウやミミカキグサについては一瞥しただけで、他日を期すことにした。
 湿原への入り口前の広場には、「草もみじの季節がもうすぐやってきます」と書かれた掲示板がつるされていた。

「葦毛湿原の入り口にて」