「秋の湿原を行く_花の命は短くて」

 一昨日には、ヤマラッキョウの淡紅色の花がいたるところで観察された。意気軒昂としていた。しかし、それも一日だけのことで、昨日には生気なく花期の終わりを告げていた。ミミカキグサは花弁を散らし、ホソバリンドウの花は盛りをすぎていた。
 「花の命は短くて」とは実感をともなうものの、「苦しきことのみ多かりき」とはいかがなものであろうか。
 目前の景色を目にし、人は心に情景を描く。情景は彩られたものであり、人それぞれであるが、景色は何ものでもなく、眼前の一つの事実である。草花は無心であり、無表情であり続ける。
 自生する湿原の千草に色づけし、色分けし、「苦しきことのみ多かりき」と解釈する人間とは、ずいぶん身勝手な存在のようにも思われる。