内田百閒「そりゃ、あんたさん、死にもの狂いですぜ」
10 渾身の力で取り組む
辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書(235-239頁)
「文章はいつも、水をかぶって、座りなおしてはじめる覚悟でいたい」 (串田孫一)
この串田の言葉は、一九五二年一月五日の日記のなかに出てきます。
まだ三十代のころの決意です。
亡くなった勝新太郎が中村玉緒とケンカをしたことがあります。玉緒がすごい形相になって摑みかかると、勝は即座にいったそうです。「おい、いまのその顔だ。その顔を忘れるな。いい顔だ」と。玉緒もつられて「はい」といってしまった、という話を聞きましたが、真偽のほどはわかりません。憤怒の形相も芸のこやしにしようというわけで、勝と玉緒の二人ならありえない話ではないと思いました。
不出来な絵ではあるけれど、その絵の対象になったものをことごとく愛している、と歌ったあと、石垣りんはこう書いています。
「不出来な私の過去のように / 下手ですが精一ぱい / 心をこめて描きました」
私はこの、最後の「下手ですが精一ぱい / 心をこめて描きました」というひかえめな表現が好きで、何度も読み返しては、この真摯な詩人が「精一ぱい」という以上、まことに精一ぱいだったのだろうと思い、文字をつらねるとはそういうことなのだと粛然とした気持ちになるのです。「下手ですが精一ぱい、心をこめて書く」。これ以外に修行の道はない、とさえ思うのです。
「内田百閒の信者」だと自称する随筆家、江國滋はこう書いています。
「あの名文をどんなふうにして書くのかと問われて百閒先生いわく。
『そりゃ、あんたさん、死にもの狂いですぜ』」
さらさらと一気に書いたように見える百閒の文章は、「死にもの狂い」の産物だったのです。
川端康成も、読み手がたじろぐような激しい言葉を使っています。
「文章の工夫もまた、作家にとつては、生命を的の『さしちがへ』である。決闘の場ともいへやうか」
川端は、「われわれの言はうとする事が、例へ何であつても、それを現はすためには一つの言葉しかない」というフローベルの言葉を引用し、そのためにも作家は、不断のそして測り知れぬ苦労を積み重ねるほかはないとも書き、文章の工夫は「決闘の場」だという激しい言葉を使っているのです。
いままで、「これ渾身」ということについて書いてきましたが、この言葉は、実は幸田文の文章から選びました。この人の初期の作品に『こんなこと』という短い回想記があります。文は、父、露伴に箒(ほうき)の使い方、はたきのかけ方、雑巾がけ、薪わり、すべてを厳しくしつけられました。とにかくうるさい。
(中略)
ひっきょう、父の教えたものは技ではなくて、これ渾身ということであった、と。
渾身の気合いで書く。
そして、肩の力を抜いて書く。
この二つをどう融合させるか。矛盾するようで、これは決して矛盾するものではありません。