河合隼雄「方向性を持たずに『ボーッと聴く』」
「何もしないことが、力を生む」
「方向性を持たずに『ボーッと聴く』」
河合隼雄,谷川浩司『「あるがまま」を受け入れる技術 』PHP文庫(146-148頁)
それにしても、集中力というのは難しいものですね。カウンセリングの現場でも、クライエントが来られて話を聴くでしょ。その時に、もちろん集中して聴くわけですが、その時の集中力というのは、何かひとつの方向に収斂(しゅうれん)していくような集中の仕方ではなくて、言ってみれば方向性を全部捨てた集中力なんですよ。精神分析学を始めたフロイトは、そのことを「平等に漂える注意力」と言っています。
(中略)
そうではなくて、クライエントがたとえ「父が酒飲みで困ってる」とか言っても、「ふんふん」と言って聴いています。そのうち、窓の外に鳥の声がしたら「鳥が鳴いてますよ」「鳴いてるね」というような話もするでしょ。それから、今日その人が来る時に電車に乗り損ねた、なんていう話も出るかもしれませんね。それもみんな平等にボーッと聴いてるんです。あんまりボーッとし過ぎると寝てしまいますが、寝てしまっては駄目なんですよ(笑)。いろんな話が出てきたら、その話と話の境目にいて聴いているというのが大事なんですね。そうやって全体に耳を傾けているうちに、いつか答えが見つかるもんなんです。
おそらく仏教を考えたお坊さんたちは、そういう方向性を持たないような意識を深く深く掘り下げて、ボーッとして寝ているどころか、死んでいる状態に近いぐらいのところまで行って、そういうところからこの世界を見てきたでしょう。そうやって体験した世界のことが書いてあるのがお経だと思うと、すごい面白いんですよ。