「すてきな呪文です!こころにとどきます!!」
『「地下足袋で歩きながら、つらつらと」セエーカイセエーカイダイセエーカイ』 で、辰濃和男さんの唱える「呪文」、「セエーカイセエーカイダイセエーカイ」のことを紹介しました。以下、抜粋です。
お遍路をはじめてから、いつのころからか、夜、宿で夕食を終え、床につき、天井を見上げながらセエーカイセエーカイダイセエーカイとつぶやくことが多くなった。子どもじみた話で気恥ずかしいことだが、漢字で書けば「正解正解大正解」である。
今日もいろいろあったけれども、まあ、なんとかいい一日を過ごすことができたと思う。失敗も数々あったが、上出来の日だったと思いこむ。自分をそう思うように仕向ける。そのための呪文がこれだ。お参りしながらナムダイシヘンジョウコンゴウ、ナムダイシヘンジョウコンゴウ、セエーカイセエーカイダイセエーカイとなってしまうことが再三あった。
今回は河合隼雄さんが唱える「呪文」です。
「呪文」という言葉は、実は遠藤周作「生き上手、死に上手」から教えられたことである。正しいとか正しくないとか、教えられるとか言うのではなく、「呪文」を唱えていると心が収まるのである。
「ふたつよいことさてないものよ」
「ふたつわるいこともさてないものよ」
私は新しく相談に来られた人に会う前に、
「人の心などわかるはずがない」
ということを心のなかで呪文のように唱えることにしている。それによって、カウンセラーが他人の心がすぐわかったような気になってしまって、よく犯す失敗から逃れることができるのである。
「人の心などわかるはずがない」
ということを心のなかで呪文のように唱えることにしている。それによって、カウンセラーが他人の心がすぐわかったような気になってしまって、よく犯す失敗から逃れることができるのである。