小池民男「座 力」 2002/01/01 天声人語


いろいろな力があるもので、「座力」というのがあるのを知った。学者や芸術家はたいへんな体力を必要とする。重い本や道具を移動させることのほか、何といっても長時間椅子(いす)に座っている能力が欠かせない。それを「座力」という▼国語辞典には載っていない。日本にはなかった言葉なのだろう。古くからのヘブライ語で「コーアハ・イェシヴァー」というそうだ。(池田裕『旧約聖書の世界』岩波現代文庫)。かの地では、幼いころから聖書の勉強などで「座力」が鍛えられる。ユダヤの人々から優れた学者や芸術家が輩出する一因かもしれない▼詩人の長田弘さんの近著に「読書のための椅子」という章がある(『読書からはじまる』NHK出版)。この読書の達人が「読書のためにいちばん必要なのが何かと言えば、それは椅子です」といって椅子を論じている。「いい椅子を一つ、自分の日常に置くことができれば、何かが違ってきます」▼寝そべって読む癖がついたのはいい椅子に巡り合わなかったせいか。そう思ったりもする。いずれにしても正月というのはこの「座力」を試すいい機会には違いない▼ことしも世界は揺れ動くことだろう。「座視」するに忍びないことも多々起きるだろう。しかし、右往左往はしたくない。こんなときにこそ、「座力」を養っておかねば、と思う▼長田さんの結語を借用すれば、こうだ。「すべて読書からはじまる。本を読むことが、読書なのではありません。自分の心のなかに失いたくない言葉の蓄え場所をつくりだすのが、読書です」