倉本聰「とにかく初稿を書き上げること」

「それが拙いものであろうが、納得がいかないものであろうが、まず初稿を書き上げること」

倉本聰さんの言葉です。私が卒業論文を、P教授が修士論文と格闘していた当時に知った言葉です。今となっっては出典はわかりませんが、あらましに間違いはないと思っています。

以下、この件に関してのP教授とのメールのやり取りです。
2016/10/24
「ところで、昔塾長からご教示頂いた倉本聰式シナリオ作成術が、P教授の創作活動の支えになっております。まず、理屈抜きに初稿を書きあげる。そして、それを叩き台に校正を加えて練り上げてゆく。場合によっては一から全部書き直しても良い。
得心,得心。」

2016/10/24
「倉本式は、『兵は拙速を尊ぶ』に通じるものがあります。」

2016/10/25
「覚えていていただき、また『創作活動の支えに』とまでいっていただき、恐縮しています。P教授には、卒論に取りかかる際には、斎藤孝『学術論文の技法』日本エディタースクール出版部 を紹介していただき、何も教えないのが信条のW大でしたので、大いに助かりました。」

2017/03/13
「塾長の『まず、拙速でもいいから初稿を書く』ことがどれほど役立っているか!」

2017/03/13
「私の言葉ではなく、倉本聰さんのお言葉です。(後略)」

初稿を書き上げるまでには、産みの苦しみがあります。それに比すれば産後の苦しみは、産後の楽しみでもあって、稿を重ねる喜びでもあります。ある一言をつけ加えたことによって、文章があらぬ方へと動き出すことがあります。その行方を見守るのは、面白くもあり楽しくもあります。


「倉本聰私論 〜北の国からのささやき〜」
私の卒業論文の題名です。シナリオ文学です。『北の国から』がその中心です。生存中の著者の作品は認めない、という暗黙の了解に背を向けて書きました。ペリカンの万年筆に青色のインクを入れ、まず形からはいりました。留年し一年と半年をかけて、400字詰の原稿用紙に400枚書きました。卒論については後日あらためて書きたいと思っています。たくさんの思い出があります。思い入れがあります。