「二日遅れの夏至の日に思う」


気象庁からは、今年の東海地方の梅雨入りは、「2017/06/07 ごろ」との発表がありましたが、その後梅雨らしい天気の日は数えるほどしかなく、毎日のように夏空が広がり、変更されるのは必至のことと思われます。

昨年の冬至の日から早半年。地球は太陽の周りをおよそ半周し、季節は巡り、その間(かん)私はといえば、高校入試をなんとかのりきり、塾をたたみ、「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやき ー」の活字化を終え、途中では乾燥肌によるかゆみに七転八倒し、折込広告を入れ、性懲りもなく塾を再開し、いま定期テストを目前に、あわただしい毎日を送っています。


地球の自転による昼夜、公転による春夏秋冬、その時々刻々の移ろいを味わう余裕のない生活は、悲しくもあり、寂しくもあります。地球は、私の想像もできないすてきな時を刻んでいるはずです。




 「繰り返して言おう。本当に、死が到来すれば、万事は休する。従って、われわれに持てるのは、死の予感だけだと言えよう。しかし、これは、どうあっても到来するのである。」ー「本居宣長」より

また、P教授より
「我々、50代には『明日』はあっても、『明後日は無い』と肝に銘じるべきです。」
「(何かをなすには)年齢も味方。残された時間の少なさの自覚こそが最高の先生です。」

「最高の先生」は終始無言ですが、ある日突然審判を下す怖い先生でもあります。いったん塾をたたみ、恥ずかしげもなく再開し、同じ地平に降り立ったわけですが、同じ轍を踏むのはごめんです。違う舞を舞うことを考えます。