「私の考える、倉本聰における、北海道は富良野市六郷である」
昭和五三年(一九七八年)。倉本聰、当年もって四三歳、男盛り。北海道は富良野市六郷に居を構える。
この地は、この地の人々は、倉本聰を右に左に、上に下に容赦なく揺さぶった。倉本聰は北海道を全身に浴び、ついには富良野は肉とまで化した。
「東京にいるときは芸能界としか付き合わなかったけど、富良野に来て世の中の見方がまるで変わっちゃいましたね。ここには午前四時から働く世界がある。地元の人たちからいろいろなことを学べる」。(51)
「なんというか土地の人たちに、大自然の一部として生活している謙虚さがある」。(52)
「ここには大らかなユーモアとロマンがある。」(53)
「ユニークなのが多いね。金もうけにつながるとかそんなこと関係なく、なにかおもしろそうだというとワッと集ってくる」(54)
倉本聰は自然に分け入り「自然(じねん)」を想った。風を感じ「神」を想った。人とふれ合い「本来なる自己」を想ったのである。
私の考える、倉本聰における、北海道は富良野市六郷である。
私の考える、倉本聰における、北海道は富良野市六郷である。
(註)
(52) 鶴田玲子(俳人)「富良野塾の四季」(北海学園北海道から編集室『倉本聰研究』理論社 213頁)。
(53) 倉本聰『北の人名録』新潮社(13頁)。
(54) 仲世古善雄、相澤寅治、茶畑和昭、宮川泰幸 司会・今野洲子「(座談会)北の国・富良野・から(富良野紳士談義録)(北海学園北海道から編集室『倉本聰研究』理論社 159頁)。「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」
「第三章 3. その底流にあるもの」(19/21)より。