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「拝復 P教授様_倉本聰さんに倣いて」

以来、かゆみは体の周辺部の、辺縁部のいたるところにまで広がり、七転八倒、転げ回っています。湿疹は顔にも転移し、多少ほてり腫れた赤ら顔をしています。あいにくの休日で、受診もままならず、お若いお兄さん、お姉さんの薬剤師さんばかりが目立つドラッグストアさんは避け、創業八十年という日の丸薬局さんで、相談しました。二種類のパッケージを手にし、丹念に成分を見比べていましたので、ためらうことなく、二つともいただいてきました。團伊玖磨さんならば、何種類もの錠剤を口いっぱいに頬張り、鯨飲馬食とでもいわんばかりの荒療治にでて、快癒するにちがいなく、しかし私にはそんな芸当はとてもできず、やはり段違いの團さんは偉大です。 「天下取り」との壮大なお話に驚きもし、恐縮もしておりますが、申し訳なくも、情けなくも、いまは「天下国家」のことを考える余裕はなく、私事のごくごく矮小な「痒み取り」で精一杯です。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 軟膏を塗布する際には無精髭は邪魔で、四枚刃の髭剃りでそっと剃り落としました。しかし、「あご髭」だけは残しておきました。「倉本聰さんのまねごと」です。この GW 中の一番の洒落っ気 です。精一杯の遊び心です。

「痛痒」

痛し、痒し。神々はなぜ痛みと痒みという二つの異なった感覚を私たちにあたえられたのでしょうか。痛みにつけ、痒みにつけ、身体(からだ)の非常事態宣言であることに間違いはなく、行く先々での治療法を示唆されたのでしょうか。 痛みはつらくじっと耐えるしかなく、痒みはやりきれず七転八倒、転げ回るしかありません。 一週間ほど前に背中にかゆみをおぼえ、季節外れの乾燥肌かと思い、「孫の手」がわりに30cm の竹製の定規でそのつど背中をかいていましたが、それもたびかさなると面倒で、定規を背中に入れたままにして生活していました。それは姿勢矯正ギプスのようでもありました。しかし、いつもと様相が異なり、かゆみは、脇腹へ胸元へ、首回りへ、また肩口から上腕部、そしてあろうことか左右の耳朶へと飛び火し、それにともなって集中力は欠如し、なにも手につかず、三日前に、父の受診している佐井皮ふ科クリニックさんで診ていただきました。乾燥肌が原因とのことでした。三種類の塗布薬と錠剤を処方していただきましたが、効能あらたかとはいかず、相も変わらず、転げ回っています。寝起きにはかゆみから解放されるのですが、いざ起きて動くだんになると、肌着やら衣服やらが患部を擦過し、また動きに追随し皮膚が伸縮、捻転するものですから、とたんにむずがゆくなってきます。すこし熱めのシャワーを患部にあてると、一時しのぎとはいえ快楽、忘我に浸ることができ、唯一の救いとなっています。痛みの場合にはこうはいきません。かゆみに悩まされるようになってから、明らかに睡眠時間が増えました。睡眠中に癒されているのだと思っています。ありがたいことです。 懸念の「倉本聰私論ーー『北の国から』のささやきーー」の活字化が滞ってしまっています。想定外のことに、いろいろな方面にわたって痛痒を感じています。痛し、痒しです。踏んだり、蹴ったりです。

「春の一番の、『札幌南高等学校 野球部の皆さん方へ』です」

冬に耐え、迎えた 新生札幌南高等学校 野球部の皆様方の、春一番の快進撃に期待しております。 GOOD LUCK! FROM HONDA WITH LOVE.

『倉本聰私論』_「4.告白」(13/21)

「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」 「第二章 倉本聰『北の国から』をさぐる」 「4. 告白」(13/21)  「セリフが生き生きしていて、一対一のやりとりの場面なんかすごくうまい。(中略)追いつめられた一人の人間が、極限状況で本心を吐露する場面なんてのは、彼(倉本聰)の独壇場みたいなところがある。」 (34)  『北の国から』には、幾つもの告白の場面がある。いずれも感動的な場面である。その素地をなしているのは、深い愛情で結ばれた人と人との絆である。また、そこには人をみつめる確かな目が息づいている。  五郎親子の間で交わされる告白は、その典型である。   告白の場面での私の関心は、いつもきまって聴き手のあり様にある。  あたたかな人柄が醸しだす自由な場、ささいなことにも耳を傾ける真摯な態度。相手の心のままを黙って受け容れる包容力。  人はこのような聴き手を前にしたとき、はじめてすなおな気持ちになる。心を許す気になる。他人(ひと)に心の内を話すことは、自らの心の内をのぞき自省することにつながる。  「はじめに聴き手ありき」である。  私のなかで主役の座を占めるのは、きまって聴き手の存在である。  聴き手は話し手の心の痛みを聴く。共感的な態度でただ聴く。聴き手は話し手の内なる叫びを聴く。我が身にひきよせてただ聴く。聴き手は話し手の心のうずきを聴く。受容しつつただ聴く。大切なことは、話し手の今、ここでの気持ちであり、過去や未来のそれではない。  安っぽいことばは、けっして口にしない。自分の内なることばだけが力をもつ。一般論をふりかざしたお説教はしない。一般論はあくまで一般のものであり、個のものではない。力をもって相手をねじ伏せること、知をもって相手を制することはしない。事実に目を向けて、相手にそっと寄り添う。善悪の判断は下さない。いや、下せないのである。  聴き手は「する存在」ではなく、ただ「ある存在」なのである。  『北の国から ’89 帰郷』には、好対照をなす二つの場面の描写がある。「傷害事件」を起こした純に「対する井関」と、純と「向き合う五郎」のそれぞれを描いた場面である。井関、五郎のそれぞれを描いた場面である。井関、五郎、両者のとる態度の差異は、その結果において決定的な相違となる。  

『倉本聰私論』_「3. 故郷(ふるさと)」(12/21)

「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」 「第二章 倉本聰『北の国から』をさぐる」 「3. 故郷(ふるさと)」(12/21)  「血につながるふるさと / 心につながるふるさと / 言葉につながるふるさと」 (19)   「幼な馴染ってありがたいね」、「故郷って結局ーー。それなンだろうね」、「中島みゆきの“異国”って歌知ってる?」、「何ともたまンない歌なンだよね」、「忘れたふりをよそおいながらも、靴をぬぐ場所があけてあるふるさとーーってさ」 (20)   悲喜こもごものつまった年月のあるふるさと。風景を前にたたずみそれが絵になるふるさと。  “北の国”とは、思い出のもち方のすばらしい人々が住むくにである。他人(ひと)をなつかしむがゆえに、他人(ひと)からなつかしがられる人々の息づくくにである。古きよき時代の情感にくるまれたふるさとの代表。郷愁をかきたてられずにはおかない日本人の心の故郷(ふるさと)。  かつて五郎は、こっそりくにを抜け出した。故郷を捨て一人東京へと急いだ。東京には何かあるにちがいない。東京に行けばなんとかなるにちがいない。東京に行けば…。東京には…。そんな五郎が「異国」でみた夢は、捨てたはずの「麓郷」のことばかりであった。「麓郷に帰ってみんなと暮らすこと」、それだけが五郎の心の「ハリ」だった。五郎にとっては重すぎた東京。妻の情事。虚ろな心をかかえての帰郷。しかし、五郎を迎えた人々のまなざしはあたたかかった。五郎は昔とかわらぬ視線に感じ入った。  外からくにを感じた五郎の故郷によせる思いは熱い。自らの傷のもち方が他人(ひと)に対する優しさとなる。  連帯保証人になったばかりにばかをみせられた、みどりに対してさえそうであった。  「(笑う)何いってンだバカ。くにじゃあないか」、「みどりちゃん」、「冗談いうなよ」、「おたがいこんな小っちゃいころからずっと一緒にやってきたンじゃないか」、「土地がなくなろうと何しようと、大事なもンは消えるもンじゃないぜ」、「中ちゃんがみどりちゃんを怒鳴ったンだってーー活(かつ)入れるつもりでやったンだと思うぜ」、「当り前じゃないかそのくらいわかれよ」、「だいいちオレが怒ってないンだ」、「帰れないなンて、そんなこというなよ」、「くにはもうないなンてーー淋しいこというなよ」、

「一日遅れの穀雨の日に思う」

「降る雨は百穀を潤す。春の季節の最後」とあります。 「五穀豊穣」「五穀米』。「五穀」といわれてもぴんとこず、ウィキペディアには、 「現代においては、 米 ・ 麦 ・ 粟 ・ 豆 ・ 黍 (きび)または 稗 (ひえ)を指すことが多い。いずれも代表的な人間の 主食 である」 と書かれていますが、私には米と麦しかわからず、百穀にいたってはまったくのお手上げです。 「晩春」といえば、学生時代「銀座並木座」の「小津安二郎特集」に通ったことを思い出します。原節子、笠智衆。静かな時が流れ、銀座にいることを忘れました。「ことば」がきれいでした。「ことば」が美しいと、品が生まれます。

『倉本聰私論』_「2. 別れ」(11/21)

「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」 「第二章 倉本聰『北の国から』をさぐる」 「2. 別れ」(11/21) 「人と人とが別れるっていうこと。それは本当に大変な出来事よ」 (6) 、「おばさんもこれまでいくつかの別れを、つらい形で経験してきて」 ーー。 (7)  別れの季節はつらい。そして、それはときに残酷でさえある。  『北の国から』には、いくつも別れの場面が描かれ、そしてそれらは劇的に構成されている。  男女の別れがあり、また故郷との別れがある。東京との別れがあり、東京の先生との訣別がある。廃屋、丸太小屋、分校との別れがあり、「一九九0年」との別れがある。さらには、馬との別れの描写があり、ボクシングとの別れの描出がある。親離れ、子離れといった別れもあれば、また、死別という別離もある。  この節でのテーマは、「別れ」である。  偶然に左右されがちな出会いに対して、別れは必然的に人を訪う。別れの際には濃密な時間が流れ、それぞれが個性的である。別れは互いの人間を如実に語り、相互の関係を雄弁に物語る。出会いに比し、別れが丹念に描かれる理由である。  『北の国から』には、多くの別れの場面が描かれている。  倉本聰は、ドラマ臭さをを払拭するために、「事件そのもの」は書かずに、「事件の始まりと終わりを書くという枷を(自からに)課した」というが、「枷」の真意ははたしてこれだけなのであろうか。私には、ことに流されることなく、人に迫り、人を描くための「枷」であるような気がしてならない。描きすぎることへの弊、ふくみの創出、「終り」にむけての時間の凝縮による演出効果の高まり等々、「枷」の効果は大きい。「始まり」のない「事件」はないが、その過程は、「終わり」の描写しだいで補足可能である。このように考えたとき、倉本聰のこの「枷」は十分に納得がいく。 富良野駅ホーム   発車のベルとアナウンス。   純の顔。   デッキに立った令子。   五郎の顔。   すこし離れている雪子の顔。   令子、純に手を出す。   純ーー手を出す。   握手。  令子「頼んだわよしっかり、螢のこと」   うなずく純。   ーーけん命に涙をおさえている。   雪子。   ベルふいにやみ、ドアが閉まる