『倉本聰私論』_「2. テレビ・シナリオの特徴」(06/21)


「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」
「第一章 倉本聰のシナリオをさぐる」

「2. テレビ・シナリオの特徴」(06/21)
 シナリオの一分野であるテレビ・シナリオには、シナリオ一般の特徴がみられるとともに、テレビ・シナリオ固有の特徴がみられる。
 テレビ・シナリオの特徴を考えることは、すなわちテレビドラマの特色を明らかにすることでもある。それは如何なるシナリオであろうとも、形式的な差異はほとんど認められず、それはひとえにドラマの内容に関わる問題だからである。
 以下、P・チャエフスキー (15) の言である。
 「テレビドラマは幅を広げることができない。だから深さを広げなくてはならない。去年(一九五四年)あたりだったか、テレビ作家は内密(インティメート)なドラマーー『内密な』とは、人生の小さな契機をきわめて仔細に研究する意味だがーーを書き得ることを学び知った。(中略)今や、テレビドラマに対する合言葉は深さである。人間関係のより深い真実を求めて、人生の皮相下を掘り下げることである。これは他の劇的メディアがかつて扱ったことのない、あるいは適当に扱いえない領域である。それは遅かれ早かれタブーに、必ずしもテレビのみでなく、われわれの生き方全体に対するタブーに正面からぶつかるであろう領域である。しかも私は、これこそドラマの進む所と感じないではいられない。」(16)
 「私はちょうど今、この領域、平凡なもののこのふしぎな世界を知ろうとしている。現代はまさに残酷な内省の時代である。そうしてテレビはわれわれ自身に対するわれわれの新しい洞察を現わすべき劇的媒体である。平凡なもの、それからそのぼんやりした枝葉を扱うには、舞台はあまりに重苦しいし、映画はあまりに強烈にすぎる」(17)
 「(テレビドラマの)作家の機能は、視聴者に対して、ほんらいならば無意味なままの彼らの生活の型に、いくらかでも意味を与えることだというのである。われわれの生活を満たすものは、興奮と沈鬱との無限の連続である。われわれ相互の関係は、信じがたいまでに複雑に入り組んでいる。その関係を織りなす一すじ一すじが、劇的に研究してみる価値があるのだ。ある男が、なぜ殺人を犯すかということより、なぜ結婚するかということのほうに、はるかに刺激的なドラマがある。」(18)
 そして、以下は八住利雄の発言である。
 「テレビは、聴視者に直接アピールすることによって、『第四の壁』〈演劇では観客は登場人物と自分とを同一視することはなく両者は明確に区別される。つまり、そこには『見えない壁が存在するのである。スタニスラフスキーそれを『第四の壁』と名づけたのである〉を破壊する。(中略)聴視者に直接アピールするということは、聴視者が絶えずテレビの中へ入りこみ、参加する気持になるという意味だと考えてもいい。或いは又、テレビは常に話し相手であるように、聴視者に『向かっている』という意味にも、それ程テレビと聴視者との間には親近感が生まれるという意味だと考えてもいい。それと違って、演劇や映画のドラマの主人公は、舞台やスクリーンに展開する彼自身の人生を、まるで観客席などというものが存在していないように、生きて行くという感じである。」(19)
 「テレビに於ては、言葉は自立した価値の中に生きているのであり、テレビを『聞く』という意味もそこにある。テレビに於ては、言葉が映像を決定するのである。従って映画とテレビは、完全に違うものである。即ち映画に於ては、映像が機能をきめるが、テレビに於ては、映像は言葉によってきめられるのである。映像、又は映像による劇的行為の面だけを見て、映画とテレビは血縁的な間柄であると考えることは、この二つの芸術に於ける機能の面の決定的な違いを見逃がしていることになる。」(20)
 「映画のシナリオにおいては言葉は対話である。このことがシナリオの言葉の基本的な性格である。ということは、ドラマの主人公たちが観客を意識することなく、彼等自身の人生を生きようとしているからである。テレビの脚本においては、言葉は独白(モノログ)的な性格をもつ。ということは、それらの言葉は常に聴視者に対して『向けられて』いるもの、アピールしているものだからである。それは対話の形をとっていても、テレビの言葉は性格的にそうなのである。」(21)
 倉本聰の作品は、P・チャエフスキーの、また八住利雄の説くテレビドラマ(テレビ・シナリオ)論を踏襲しており、倉本聰のテレビ・シナリオの特徴を語る人々の発言は、あたかもこれらのテレビ・ドラマ論を敷衍して述べているかのようでさえある。
 「ここに、なんか、倉本ドラマのあるオリジンがある、という気が非常にするわけだけれども。要するにね、ドラマというのは、なんか大仰な、非日常的なことがつぎつぎと起っていくことだ、みたいな認識が一部にあるじゃない? が、これなんか、全くそうじゃないね。場は、全く小さなところに限定されてるし、ものすごく日常的な世界のことだし。日常的な、ものすごく、瑣末な人間の心の動きみたいなことが、ドラマの世界の中心に置かれてるしーー。なんかその辺に倉本ドラマの面白さの原点みたいなものが、あるような気がするんですけどね。」(22)
 「テレビドラマというのは、構えた姿勢で、抽象的なことを、高らかにメッセージとして伝えるみたいなやり方をするものじゃなくて、とても日常的な次元のなかで、日常的な人間の心と心の触れ合い、あるいは行き違いの機微みたいなことを、重要な契機として何かを描いていった場合にこそ、一番、優れたドラマが生める。核心に迫ったドラマが生める、みたいな認識があるんだな。これがやっぱり、凄いと思うな。」
「ここらにやっぱり倉本聰ドラマの凄さを解く一つの鍵があるような気が、したわけですよ。」(23)
 「これはね、ぼく、ものすごく倉本さんらしいことだ、と思うわけですよ。映像的なものごとの表現、とくにテレビというのは、なんか総て、すこぶる具体的であることが力だ、と思っているから。すこぶる日常的で、すこぶる具体的であることがね。」(24)
 白井佳夫の説く「倉本聰ドラマ」の特徴は、P・チャエフスキーのテレビドラマ論と見紛うばかりである。
「じつにコマーシャルの存在こそ、テレビ技法に最大かつ最も包括的な制限を示すものである。テレビは本質的には広告メディアであって、演芸のそれではない。(中略)この恐るべき制限に加えて存在するのが、視聴者は軽いドラマ、恋する若く美しい男女に関する明るい喜劇だけを見たがっているという広範不恋(変?)の幻想である。」(25)
 つぎにテレビドラマの限界という視点に立って、テレビ・シナリオの特徴をさぐってみたいと思う。
 倉本聰に『りんりんと』(26) と題する作品がある。一九七四年に北海道放送によって制作されたドラマである。北海道の老人ホームに入居する老母を、息子が送っていく旅を描いた作品であり、「珠玉と呼んでいい短編小説の趣き」をもった「ホン」である。老いた母親の、息子への、あまりにも哀しい問いかけを「ヘソ」にもった作品である。

 さわ「信ちゃんーー」
 信 「(見る)なあに?」
   さわ、ーー夏みかんの袋をむいている。
    海鳴り。
 さわ「(むきつつ、さり気なく)母さん本当にーー。生きてていいの?」
   ドキンと母を見て凍りついた信。
    ーー。(27)

 倉本聰自身の母親が、生前実際に口にしたことばでもある。
 「かつて僕自身の母が死んだ直後、『りんりんと』というシリアスな形で老人問題を書いたことをその頃僕は反省していた。茶の間に入ってくるテレビの中で、ああいう形のストレートな物云いはどうもよくないと思い始めていた。テレビはやはり娯楽であるべきだし、娯楽の中でこそ云いたいことをさり気なく出すのが筋だと思った。」(28)
 「これはシビアなストーリーである。
 恐らくテレビドラマとして、これがぎりぎりの限界だろう。
 僕自身、ここまでシリアスな作品は、テレビではあまり書いてはいけないと思っている。」(29)
  いっぽう、山田太一には、『早春スケッチブック』(30) と題された「ホン」がある。一九八三年にフジテレビによって制作されたドラマである。
 「いつかは自分自身をもはや軽蔑することのできないような、最も軽蔑すべき人間の時代が来るだろう」
 ニーチェの辛辣なことばを「ヘソ」にもった作品である。「ストレートな物云い」の作品である。「シビアなストーリー」の「ホン」である。
 「ニーチェの『いつかは自分自身をもはや軽蔑することのできないような、最も軽蔑すべき人間の時代が来るだろう』という言葉が、このドラマの糸口でした。(中略)(『北の国から』のプロデューサーでもある中村敏夫さんから)『いま一番書きたいものを書かないか。受けて立つから』といわれ、不意に学生の頃読んだその言葉が横切ったのでした。いや、前から時折、企画の話をしながら、そのモチーフが口から出かかったことはあるのですが、とてもそんなものは相手にされないだろうと思い、抑制し、このところは浮んで来もしなかったのです。見ていらっしゃる人々とそれほど違わない家族の生活を描き、そこに『なんてぇ暮しをしてるんだ』という罵声を浴びせかけるドラマが、いまのテレビ界で可能だとは思えなかったのです。しかし、私は私自身に向ける罵声として、そういうものの必要を感じておりました。いくつもの家族のドラマを書いて来たライターのやるべきことのひとつのような気持ちもありました。『面白い。やりましょう』中村さんは、即座に受けとめてくれました。(中略)(多くの反響を呼び、評価も高かったのですが)この作品は視聴率がよくありませんでした。平均視聴率が七.九%だったのです。通常十%を越えないドラマは失敗作ということになってしまいます。この作品も、駄目な作品ということになり、この傾向のドラマが書かれる道は、閉ざされてしまいました。(中略)(少なく見積っても四00万人に近い方々が見て下さったわけですが)しかしそんなことをいったってテレビの世界では相手にされません。視聴率のよくないものは、議論を越えてとにかく『よくない作品』なのです。」(31)
 ところが、別のところで、倉本聰は、
 「(テレビドラマのシナリオライターは)大局的にはコメディ作家であるべきだというのは極論かもしれませんけど、(中略)ただ気が滅入るドラマという爆弾も時々投じたくなるし、爆弾を投じられる立場であるわけですね。テレビを書いているということは、局という巨大な壁があって、その中へなかなか爆弾持ちこめないですけど、チャンスがあれば、ときどき爆弾を持ち込んで家庭へボンと放り込みたいという衝動もあるわけです。」(32)
 また、山田太一は、
 「今の多くのテレビドラマは安っぽい通念以外の観念は忌避してしまいがちなのですね。昨年『早春スケッチブック』を書いた時に、意識的にニーチェといった思想家から栄養を得ている人物を出しましたら、やはり視聴率がよくない。何も観念だけを肥大させようというつもりはありませんが、人間は感情と同時に観念によってもつき動かされていく存在です。だからまず、人間をリアルに表現しようとすれば、観念を無視することはできません。もう一つは、ドラマが現実の『見事な』反映だけで終わってしまうというのでは、つまらないと思う。戦争中の滅私奉公精神に対する反動で、戦後は私生活優先、あるがままの自分を肯定しようという考え方が強かった。しかし、もう『あるがままの自分』なんかじゃつまらない。少しでも『あるがまま』よりましになろうとする人間の魅力を書いてみたいという気がしています。それは、自分にないからかもしれませんけれど…。
 たんに現実を反映するだけの作品というのは、既に役割が終わったと思います。現実を反映していると同時に、どこかで現実を超えていく要素をもつ作品。夢に遊ぶというようなものでもいいのです。そういう作品を作りたいと思います。
 今の時代に耐えるような夢を描くことはとても難しいことだとは思いますが…。」(33)
  テレビドラマのあり方を熟知し、現代を代表するシナリオライターである両氏が、はからずも同じような考え方をしていることは興味深い事実である。
 私はそれぞれの作品を読んだだけであり、テレビでは観ていない。ーーことさらに好きな作品である。何よりも「爆弾」に相当する部分が好きである。
 P・チャエフスキーが、「それ(テレビドラマが人生の皮相下を掘り下げること)は遅かれ早かれタブーに、必ずしもテレビのみでなく、われわれの生き方全体に対するタブーに正面からぶつかるであろう領域である」といったのは、一九五五年のことであった。
 それが「今」なのかもしれない。
 「今」、そのタブーこそタブー視すべき元凶であることを旗印に、心あるシナリオライターたちが立ち上がったのである。戦いの火蓋は切って落とされたのである、とも考えられる。
 どうか、「道は閉ざされた」などとはいわずに、ゲリラ的戦法で、「爆弾」を投じ続けていただきたいものです。
 P・チャエフスキー同様、私自身も「これこそ(テレビ)ドラマの進む(べき)所と感じないではいられない」のである。
 テレビドラマには無数の制約があり、その枠内でしか執筆は許されない。テレビ・シナリオは、まさしく「テレビ語」で書かれた作品である。善かれ悪しかれ「テレビ語」でしか書けない作品なのである。
 「思えば、私(小宮山量平)たちが『映画』という映像言語によって青春の活力を育てたように、それにも増して『テレビ』という映像言語によって視界をひろげている今の若者たちにとって、シナリオという表現は、なんのさまたげもなく文学的に吸収されるのではないでしょうか。しかも、現代のテレビという媒体(ばいたい)が、最も腐蝕(ふしょく)しやすい泥沼(どろぬま)をくぐらずにはいられない現代においてーーそれだからこそ、広く深い大衆との緊張関係を踏まえて自己確証(アイデンティティ)を示さずにはいられない倉本さん的な創作行為こそが、真に若者たちの心底に語りかける親しさを持ち得る時代なのではないでしょうか。」(34)
 「(明治二0年代の言文一致運動について触れた後)最近、なぜ理論社がシナリオを出版するのか?ーーと、親しい疑問をぶつけられることが多いのですが、その都度、『新時代の言文一致運動さ』と、私(小宮山量平)は笑うのです。そんな私の笑いの奥で、エンタテイメント世代などと呼ばれる当代の大衆が、文化的に活性化してゆく過程を見失うまいとする思いがキラリと光るのを、大方の友人たちも見落としているような気がします。」(35) 
 「ご本人(倉本聰)が、そして同時代人たちが、いま考えている以上の国民文学的創造が、彼(倉本聰)によって、まぎれもなく進められていることを、臆面もなく指摘しておくことが、長年にわたって編集という仕事にたずさわって来た者ならではの、誇らかなつとめであると、いま私(小宮山量平)は思っているのです。」(36)
「テレビ語」には表情がある。
「テレビ語」は(“伝え合い”の七つの要素が溶け合ったという意味での)「ことば」により近い言語である。「テレビ語」は“伝え合い”の七要素に目の届く言語であり、その結果として、“伝え合い”はより“伝え合い”らしく紙面に記されることになった。「テレビ語」には、読者に忌避感を与えることの少ない、読者に受け容れられやすい、という特徴がある。それゆえに、高級な哲学や思想も「テレビ語」のもつ緩衝作用によってやわらげられ、現実と遊離することなく読者のもとに届けられる。これは、対談、鼎談等の逐次録が、本人の手になる著作物より、はるかにわかりやすいこととどこか似ている。
 「シナリオの出版は新時代の言文一致運動である」という小宮山量平の論拠のありかがここにある。
 小宮山量平のいうように、私たち読者は“軽み”のなかに秘められた“重み”につき動かされて、知らず識らずのうちに、「文化的に活性化」され、「この重苦しい時代のアンニュイ」を吹き払おうとしているのかもしれない。
 いずれ時が判断を下す問題である。
 「偉大なる芸術家とは、難渋することによって鼓舞され、あらゆる障碍を踏切台に用いる人間のことを云うのである。(中略)芸術は束縛から生まれ、闘争によって生き、自由になることによって死するのであるーー。」(37)
 テレビ・シナリオは、さまざまな制約を「踏切台」にして形作られ、その制約ゆえに、また独自の個性を保ち得ているのである。