「小林秀雄『正宗白鳥の作について』より_人物編(中編)」

「正宗白鳥の作について」
『小林秀雄全作品 別巻2 感想 下』新潮社
 「正宗白鳥の作について」は、小林秀雄 最晩年の作品であり、(未完)のままに完結した。以下では、当書にみられる「人物評」について記してみることにする。
 題名に示したように、「『正宗白鳥の作について』より」の「人物評」であり、それらは必ずしも、小林秀雄自身の手になる「人物評」とは限らない。なお、出自は明記する。


◇ 内村鑑三
 (正宗白鳥)「自然主義文学盛衰史」が成った翌年、長篇内村鑑三」が書かれた。(216頁)

 小林秀雄は、内村鑑三においてもまた、藤村の「人間の形を帯びた艱難」をもち出す。
 「自然主義文学盛衰史」で、藤村の「家」を解説し、正宗氏は活きることの艱難(かんなん)が人間のように形を帯びて、藤村を待伏する光景を詳説した事は、既記の通りであるが、内村鑑三論の場合でも、論者の眼に映じたものは同じ情景であり、人間の姿をした艱難にどうあっても交わらねばならなかった内村の苦しい心事に、論者は深く入り込むのである。(224頁)
 そして、小林秀雄は、内村鑑三『基督信徒の慰』の冒頭の「断り書き」を引く。
 「心に慰めを要する苦痛あるなく、身に艱難の迫るなく、平易安逸に世を渡る人」は、この書を読んでも得るところは無かろうと。(226頁)

 「此の書(内村鑑三『代表的日本人』)は、現在の余を示すものではない。これは現在基督信徒たる余自身の接木(つぎき)せられている砧木(だいぎ,台木)の幹を示すものである」と。
 「砧木の幹」とは、母国語と不即不離の関係にある、日本文化という身に纏った服は脱ぐことはできないということであり、基督信徒としての信仰は、いわば砧木の幹」に「接木」をしたようなものである、というほどの意である。
ー 「余は、基督教外国宣教師より、何が宗教なりやを学ばなかった。すでに、日蓮、法然(ほうねん)、蓮如(れんにょ)、其他敬虔(けいけん)なる尊敬すべき人々が、余の先輩と余とに宗教の本質を知らしめたのである」と。
 孤立を強いられた意識の裡に、手に入れた結論が反響し、その共鳴の運動が、内村自身も驚くほど鮮明に、砧木の幹」の美しさを描き出してみせた。この作が名作たる所以を言うのに、そういう言い方をしてもいいように思われる。
(中略)
真(まこと)の日本人は実に偉らい者であった、今の基督教の教師、神学士と雖も遠く彼等に及ばない、米国宣教師等に偶像信者と称(よ)ばるるとも、鷹山や尊徳のような人物に成るを得ば沢山である、余は或時は基督信者たることを止めて純日本人たらんと欲することがある」(日記、一九二一年八月十一日)
 このように言う内村の心には、何の矛盾もなかったと考えていい。一見して此処に矛盾を読むような精神は、彼の眼にはそれこそ「出来合(レデイー・メイド)」の精神と映っていたと言ってもいいだろう。「砧木の幹」を迎える悦び、これを純化し明瞭化しようとする精神の努力を妨げるものは、何一つ内村にはなかったのであった。そういう悦びが、しっかりと意識出来るということは、彼にしてみれば、接木の摂理が信じられているという其の事であり、この二つのものが表裏を成す一つの充実した生の体験と呼ぶべきものがあれば、彼には足りたのである。(232-234頁)


◇ 内村鑑三、岡倉天心

 内村のこの英文の二冊(『余は如何にして基督信徒となりし乎』,『代表的日本人』)が書かれてから、十年ほどして、やはりこれも続けさまに、岡倉天心の「東洋の思想」「日本の覚醒(かくせい)」「茶の本」の英文の三作が、書かれた事はよく知られているし、日本を海外に紹介した英文による名著として、屢々内村の二作に比較されるが、これらの作で、語られているのは、「日本の覚醒」ではなく、内村という個性、岡倉という個性の覚醒なのである。両人とも、海外文化という輸入品を処理する知識人たる事をきっぱりと辞め、海外文化の輸入を、驚くべき人間形成力として、全的に経験した作家なのだ。従ってこれらの作は、両者の自己発見を語る代表的作品であり、その本質的性質を思えば、これが英文で書かれたという事など二の次の事だ。(234頁)