「小林秀雄の文章作法_『正宗白鳥の作について』より」

「正宗白鳥の作について」
『小林秀雄全作品 別巻2 感想 下』新潮社
 「正宗白鳥の作について」は、小林秀雄 最晩年の作品であり、(未完)のままに完結した。以下では、当書にみられる小林秀雄の「文章作法」について記してみることにする。

◇ 正宗白鳥編
確かに、正宗さんの晩年の文章は、皆、まるで他人事(ひとごと)のように書き流されている。推敲(すいこう)はおろか、読み返されてもいまい。それにもかかわらず、いや、それ故(ゆえ)にと言った方がいいかも知れないが、素気なく理屈っぽい感想文のスタイルは、驚くほどの純度に達していると思われる。ともあれ、そういう名文として、今は、しっかり受取っている。今度、久し振りに読み返して感慨を新たにしたのも、正宗氏の文章は、実に裸であるという事であった。
(中略)
ボオドレエルに倣(なら)って「我が裸の心」と呼んでいいようなその文体の趣(おもむき)であった。(192頁)


◇ 内村鑑三編
(内村鑑三の)極度に簡潔な筆致は、極度の感情が籠(こ)められて生動し、読む者にはその場の情景が彷彿(ほうふつ)として来るのである。(230頁)

(内村鑑三『代表的日本人』に)描かれた人間像は、西郷隆盛に始まり、上杉鷹山(ようざん)、二宮尊徳、中江藤樹(とうじゅ)とつづき、これを締(し)め括(くく)る日蓮上人(しょうにん)が、一番力を入れて描かれているが、装飾的修辞を拭(ぬぐ)い去ったその明晰(めいせき)な手法は、色彩の惑わしを逃れようとして、線の発明に達した優れた画家のデッサンを、極めて自然に類推させる。これらの人々の歴史上の行跡の本質的な意味と信じたところを、このように簡潔に描いてみせた人はなかった。これからもあるまい。(233頁)

読者は、曖昧な感傷性など全く交えぬ透明な確固たる同じ内村の悦びに出会うのである。(233頁)


◇ 河上徹太郎(君)編
河上徹太郎君が、「日本のアウトサイダー」と題して、岡倉天心、内村鑑三、河上肇の三人を列伝風に書いた事がある(昭和三十四年)。
(中略)
何を措(お)いても、先ず私の心を捕えたのは、三人の人物像のいかにも鮮明な姿であった。其処(そこ)には、河上君が、内村(鑑三)の言葉に倣(なら)い、自分の試みるところは「他なし、この三人の明確なる人格の明確なる紹介なり」と言っている趣があった。このような人物を生んだ歴史的条件などいかに綿密に調べ上げてみても、そういうもので三人の生きた人格を再構成する事は出来はしない。列伝を書くと称し、そのような企てを試みて、「空を撃つが如き業(わざ)に従事するにあらざるなり」と河上君は言うのだ。だが、人格という実を直撃せんとする道を貫く事は、特に心理学の濫用が人格概念を解体させている今日のような状況では、容易な事ではないと考えられたので、その感想の一端を述べたのであった。(235-236頁)


◇ リットン・ストレイチイ編
 河上(徹太郎)君は(イギリスの伝記作家である)リットン・ストレイチイを、随分身を入れて、愛読していた。考え方の上で、本質的な影響を受けていたように思われる。(239頁)

彼はただ、特に理性的精神というような認識論上の限定など未だ知らぬ素朴な精神を、あるがままに肯定すれば足りると考えていたのである。(後略)
 そういう素朴な精神の趣を現している魂という言葉は、誰の心にも未だ生きていると彼は見た。知的認識や観察だけにしか現前しないような歴史的事実には親しめない、親しめないものは腑(ふ)に落ちない、そういう魂のおのずからな働きを、彼は確信していたと見ていい。(241-242頁)

そして、ここでも小林秀雄は、「この人(ストレイチイ)も亦内村(鑑三)の言に倣って、名士達の伝記とは『他なし、彼らの明確なる人格の明確なる紹介なり』」(244頁)と書いている。


◇ ヴィクトリア女王編
 『ヴィクトリア女王』は、リットン・ストレイチイの伝記文学である。彼が「遂にめぐり会った」、「最上のモデル」である。小林秀雄はその数頁を引用に当てている。

「その(ヴィクトリアの在位六十余年にわたる君主としての成功の)由(よ)って来るところを尋ねると、それはヴィクトリアの持って生れた気質の根底にある「誠実」、或る「特殊な誠実」(a peculiar sincerity)という驚くほど簡明なものになると、ストレイチイは断ずる。「彼女の正直さ、純真な心、鮮やかな情緒や奔放な表現、そういうものはすべてこの中心の特性が取る様々な形であった。人に感銘を与えるものも、魅力を感じさせるものも、又馬鹿馬鹿しいと思わせるものも、皆彼女の誠実さから来た。
(中略)
人民達は、ヴィクトリアの抗し難い誠実を、本能的に感じて、これに応えたのである。まことに誠実こそ人々の親しみを誘う特性であった」

小林秀雄の「文章作法」において、書き手の資質には「誠実さ」は、必須のものであるとの思いから、「ヴィクトリア女王編」を加えた。並みの「誠実さ」ではない。「特殊な誠実さ」であり、天性の、稀にみる「誠実さ」である。


「西行」,「実朝」然り。「鉄斎」,「雪舟」然り。「文章作法」また然り。小林秀雄の眼は一点に収斂していく。臭みを嗅ぎわける小林秀雄の嗅覚は鋭い。人為を注意深く遠ざけること。無為なるもの、自然(じねん)なること。真空は妙有という風に私は解している。