河上徹太郎「岡倉天心_美、この繊細なるもの」

「岡倉天心」
河上徹太郎『日本のアウトサイダー』中公文庫
 最後に天心の言葉で私の出会った最も美しい一節を紹介する。これは一九〇五年アメリカでの講演原稿の中にあり、美というものが如何に触れれば消えるように繊細なものであるか、又それを敢て手にしようとする人間の罪業のかなしさを述べたもので、この繊細さがあるが故に、彼の豪放な性格がそのまま打ち出せたのである。

 マーテルリンクはもし花に羽翼があつたなら、人が近寄れば飛び去るであらうと言つた。私はもし花が花を培養するものゝ残虐から逃れようとしたとて之を咎めぬつもりである。思想の花たる美術は羽翼を持たぬ。根は人生に根ざしてゐる。美術が一時の賞玩の為に如何に摘まれ苅られ、小器の中に無理に押し込まれたかを思ふとき、私は苦しい。宋のの詩人、蘇東坡は「人は花を着くる事を恥ぢず。されど花の身には如何。」と言った。若し仏家の前世因果の説が真ならば、花は如何なる罪業を犯して来たのであらう。願くば画家の為に次の世の生れ変りのよからん事を祈る。(『日本的見地より見たる現代美術』)

 一読してやはり天心は夢殿観音を発いたことに一抹のうしろめたさを感じているに違いない。とにかくこの言葉は、天心がわが儘だった一生のすべてを顧み、詫び且つ誇った辞世のようである。(170頁)