「井筒俊彦の存在風景を追って」〈『意識と本質』_はじめから〉
だが、イスラーム自身をも含めて、東洋哲学一般の一大特徴は、認識主体としての意識を表層意識だけの一重構造としないで、深層に向って幾重にも延びる多層構造とし、深層意識のそれらの諸相を体験的に拓きながら、段階ごとに移り変っていく存在風景を追っていくというところにある。
だから、東洋哲学においては、認識とは意識と存在との複雑で多層的なからみ合いである。そして、意識と存在のこのからみ合いの構造を追求していく過程で、人はどうしても「本質」の実在性の問題に逢着せざるをえない。その実在性を肯定するにせよ否定するにせよ、である。「意識と本質」という題の下に、私はそれをテーマとしてここまで考えを進めてきた。このままもう一歩先に行けば、「本質」論は、ごく自然に、概念論に転換するはずである。だが、私が最初から自らに課した主題からいえば、概念としての「本質」論は本論の考察の射程内には入らない。東洋思想における概念構造理論は、それ自体、一つの独立した主題として優に一書をなすに足る。
とまれ、東洋哲学の根柢的部分に直接関わる事柄であるだけに、「意識と本質」というテーマは無数の問題を提起し、限りない展開の可能性をもつのだ。この辺で本論に一応の区切りをつけることにしよう。(304頁)
上記は、『意識と本質』の掉尾の文である。それは、そっ気なく終わった。井筒俊彦の一面を垣間見たような気がする。
だから、東洋哲学においては、認識とは意識と存在との複雑で多層的なからみ合いである。そして、意識と存在のこのからみ合いの構造を追求していく過程で、人はどうしても「本質」の実在性の問題に逢着せざるをえない。その実在性を肯定するにせよ否定するにせよ、である。「意識と本質」という題の下に、私はそれをテーマとしてここまで考えを進めてきた。このままもう一歩先に行けば、「本質」論は、ごく自然に、概念論に転換するはずである。だが、私が最初から自らに課した主題からいえば、概念としての「本質」論は本論の考察の射程内には入らない。東洋思想における概念構造理論は、それ自体、一つの独立した主題として優に一書をなすに足る。
とまれ、東洋哲学の根柢的部分に直接関わる事柄であるだけに、「意識と本質」というテーマは無数の問題を提起し、限りない展開の可能性をもつのだ。この辺で本論に一応の区切りをつけることにしよう。(304頁)
上記は、『意識と本質』の掉尾の文である。それは、そっ気なく終わった。井筒俊彦の一面を垣間見たような気がする。
宗教、宗派色に染まることなく、観念に転落することなく、井筒俊彦は生気に満ちた「東洋哲学」を共時的に展開した。それらは皆、井筒が、深層意識の「諸相を体験的に拓きながら」見た「存在風景」であり、そしてその後、形而上学として語られたものである。井筒俊彦を介さなければ、易々とは近づけない世界である。
「私は井筒先生のお仕事を拝見しておりまして、常々、この人は二十人ぐらいの天才らが一人になっているなと存じあげていまして。」(司馬遼太郎『十六の話』中公文庫,〈対談〉井筒俊彦 司馬遼太郎「附録 二十世紀末の闇と光」399頁)
とは、司馬遼太郎のことばであるが、井筒俊彦の偉業を前にして私淑しない法はあるまい。
先にも書いたが、井筒俊彦の著作群は、私にとっては「実学」の書であり、実用の書であり、やむに止まれぬ書である。そしてその点において、井筒俊彦は、どうしようもなく福澤諭吉門下の学徒である。
先にも書いたが、井筒俊彦の著作群は、私にとっては「実学」の書であり、実用の書であり、やむに止まれぬ書である。そしてその点において、井筒俊彦は、どうしようもなく福澤諭吉門下の学徒である。
再読した。三読、四読をうながされている。座右の書となった。