小林秀雄,岡潔「『わかる』ことと『苦労する』こと」

 昨日には、午前中 3時間、午後 3時間の夏期講習。そして夜には、2.5時間の中二生の通常授業の、計 8.5時間の授業をしました。内容は、子どもたちが自習できるほどのものばかりです。
「『わかる』ということと『苦労する』ということは同じ意味なんです」(『小林秀雄講演 第3巻―本居宣長』新潮CD)
と申し添えておきました。が、蛙の面に小便といったところでしょう。

 懸念の 河上徹太郎「岡倉天心」(『日本のアウトサイダー』中公文庫)を再読し、また
 河上徹太郎『わが小林秀雄』昭和出版 を読みはじめた。両書とも愉快な本である。



『対話・人間の建設』
 河上徹太郎『わが小林秀雄』昭和出版 
 「こんなにうまの合つた、ほのぼのと暖い(小林秀雄と岡潔の)対談は、当今どんな誌上にも見当らない。聞けばこの初対面の二人が、延々十一時間しやべり続けて、一度も中座しなかつたさうである。
 私の読後感を一言でいへば、これを読んで非常に安心した、気持が落着いた、といふことである。つまり今の時節に誰かがいはねばならぬ一番大切なことを、はつきりと、声を大きくしていひ切つてくれたといふ同感の念である。」(193頁)
と、河上徹太郎は述べ、そしてそれは下記のように続く。
「学問は苦しんで、そして自分で発見するものである。さういつたことを、例へば小林君は評論を書く時言葉を発見する上で苦労し、岡さんは函数理論を築いてゆく上で苦労してきた。この苦労の打明け話がたまたま二人の共鳴を呼び、話に花を咲かせたのである。
 だから二人共全然理論を弄ばない、実感だけで語つてゐる。それも専ら体験的な苦労による実感だから、重厚であつて、重なり合ふと狂ひがない」(194頁)


 小林秀雄,岡潔『人間の建設』新潮文庫 を見失った。カバーだけが書棚にあり、本体は見当たらず、もぬけの殻である。これ以上探すのも面倒で、Amazon に注文した。



以下、岡潔『春宵十話』角川ソフィア文庫 より、

岡潔「一つ季節を廻してやろう、という岡潔の気宇壮大」
岡潔「情緒、その人の中心をなすもの」
岡潔「数学に最も近い職業は百姓だといえる」
岡潔「たちまちのうちに解るとき」
岡潔「すべて成熟は早すぎるよりも遅すぎる方がよい」
です。