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「高野往還」

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2021/11/16(火) 未明に出立した。 ◆「伊吹山 PA (下り)」より「伊吹山」を望む。 ◆「 Hotel & Resorts NAGAHAMA(喫茶室)」 琵琶湖をぼんやり眺めていた。湖畔にたたずみ、さざ波の音に耳を凝らしていた。 ◆「渡岸寺(どうがんじ)」 美しく、慈愛に満ちた観音さまである。永劫を生きるお姿は不動だった。 「長浜市高月町 渡岸寺」 土門拳「考える臍」  2021/02/09 「薬師寺 金堂 日光菩薩立像腹部」 土門拳『古寺を訪ねて 奈良西ノ京から室生寺へ』小学館文庫  まるまるとふくらんだ下腹、指を突っ込んでくすぐりたくなるような大大としたお臍(へそ)、ここには飛鳥、白鵬の仏像には見られなかった肉体への目ざめが見られる。仏教流伝以来三百年、もはや仏菩薩を神秘的な「蕃神(ばんしん)」として、遠くから畏るおそる伏しおがむ段階は終ったのである。仏菩薩の存在そのものを信ずる心が、その像容の上にも、より確かな触覚的なものを期待しないではいられない欲求を、信仰する側に芽生えさせたことがわかる。(34頁) 「向源寺 十一面観音立像腹部」 土門拳『古寺を訪ねて 東へ西へ』小学館文庫  薬師寺金堂日光菩薩(やくしじこんどうにっこうぼさつ)の臍(へそ)には、指を突っ込んでくすぐりたくなるような触覚的な要素が芽生えていたが、そこにはなお古代的な、大々とした造形感覚が息づいていた。 (渡岸寺の)この十一面のそれになると、そういう呑気(のんき)な、古代的な造形感覚は影をひそめてしまっている。一層実人(じつじん)的、写実的になったことはもちろんだが、それ以上に鋭い思想性が脈打つようになった。透鑿(すきのみ)のこまやかな刀法がうかがえるこの臍は、いわば考える臍である。(132-133頁) 「向源寺」はいま「渡岸寺(どうがんじ)」と呼ばれている。拝観券を兼ねたリーフレットにも「渡岸寺」と記されている。  幾度となく「渡岸寺」を訪ねた。そのたびに何度となく観音さまのお臍を拝見しているはずだが、いっこうに記憶にない。 うかつだった。  昨夜 臍が語る深遠な仏教史のお話をはじめてうかがった。  プロ、アマを問わず、カメラマンたちがファインダー越しに見つめている景色が気になる。傍にお邪魔することも、時には尋ねることもある。訓練された眼の行方が気になる。  臍は...

TWEET「偽者 現わる」

「Facebook」なるものに、私と同姓同名、出身高校、大学・学部・専修も同じ、生年月日・住所(北海道士別市)・写真こそ異なりますが、男好きな「ニセモノ」が現れたことを、昨日友人から聞き、見せてもらいました。  友人には、自分で投稿しているのでは、と猜疑の目で見られています。が、私は「Facebook」は利用していませんし…。お心当たりはありませんか!自問自答してみてください!!  今後の「偽者のひとり歩き」、楽しみにしております。 「真贋」 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫 「では美は信用であるか。そうである。」(233頁) 「胡蝶之夢」のようなお話ですね。もしかすると、私が「贋作」かもしれない、と思ってみたりもしています。

TWEET「重ねて言おう」

TWEET「自家撞着」  2021/11/01  いま作務をしながら、「自家撞着」という言葉について考えている。言霊をもち出すまでもなく、言葉を弄べば、いずれ言葉に足をすくわれるときがくるだろう。  井筒俊彦は、「存在はコトバである」と措定した。空海も然りである。  知らぬが仏、ということか。 小林秀雄「言霊」 2019/03/18  言葉には「言霊」が宿っているという古人の思想の意味するところを、宣長ほど、深く考えた人はいなかった。言葉は言霊という己れ自身の衝動を持ち、世の有様を迎えて、自発的にこれに処している。事物に当たって、己れを験(ため)し、己を鍛えて、生きている。(「全作品 28」『本居宣長(下)』所収「本居宣長補記 Ⅱ」371-372頁)

TWEET「されど呼称」

 いつの頃からか、呼称が、「塾長」から「イサオ」にかわった。と、軌を一にするようにして、物言いが横柄になった。高圧的で、高飛車な表現が目立つようになった。「イサオ」が関係をかえた。  カタカナは、外来の人・もの・ことに用いられるのが一般的である。極限 すれば、「イサオ」とは「外人」の呼称で あって、それは、「よそ者」「人で無し」を意味する。  時には「ホンダ」という表記も見られるが、それは専ら「本田技研工業」さんを指すものである。  夏以降、三回別れ三回和解し、いま四度目の待避中である。固定電話の電話線を抜き、PC、スマートフォンはブロックしてある。また、ゆうパックは受取りを拒否した。過去三回は、隙があり、自ら手に落ち、 一時的に関係が修復した。今回も予断を許さない状況下にあるが、これ以上の対策を講じるには、サーバーさんにお願いする他なく、費用も必要になる。 「人で無し」と交渉し、「人で無し」をいたぶって何が面白い のだろうか。そうこうする内に、当人も「人で無し」に転落するやも知れず、「人で無し」同士の交友は、傍迷惑で危険でさえある。

TWEET「転機のとき」

 いくらブログに引用した文章とはいえ、白川静、小林秀雄らの文章にいたっては、初読では覚束なく、再読三読を促されている。いくつかの誤読があり、理解があり、楽しく読んでいる。  2015/08/03 からブログを書きはじめ、六年余りになる。ブログという名の「読書感想文」とは、別離のときがきているように感じている。  「私(わたくし)」不在の短文 を、いくら書き連ねてみたところで、興趣に欠け、埒が明かない。  いましばらくは「活字離れ解消法」という、リハビリを続けるつもりでいるが、その後、ブログという形態から撤退するの かどうかも含めて思案中である。  その折には、きちんとご報告させていただきます。

TWEET「活字離れ解消の特効薬」

「白川静」で検索し、表示された 31個のブログを、昨日読んだ。断片的な、曖昧な記憶しかなく、新鮮だった。「 物むつかしきをり」には鈴を振った。  長田弘は「 再読は友情の証」( 日本放送出版協会 )と書いているが、私はブログに対し友誼までは感じていないが、少なからず親しみはある。 「ブログを読み直す」という読書で、活字離れは容易に解消されそうである。  今日は「小林秀雄」である。 白川静「中国の神話 ー 奪われたものがたり」 2021/02/28 の感想文、 「梅原猛が、『孔子伝』は絶対入れんならん、と言っているのは興味深い。『孔子伝』は絶対読まんならん、と思っている。「けったいな」『山海経』はちょっと横に置いておくとして、「違った神は信仰しない」「その神にあらざれば祀らず」とは潔く、殷も周も「神話を統一するという、そういう要求を持たなかった」のは、純粋な形として神話が残される格好になり、幸いだった。  神話の喪失はどういった事態を招くか、それは神話の存在意義を解することでもある。  共通の神々を戴くことで集合していた結束を失い、あるいは離散し、畏れ畏(かしこ)まることを忘れ、矜持は薄れ民度は低くなる。寄る辺なく寄す処(よすが)なく、活力なく、心的な安定を欠くようになる。日々神々とともに暮らしていた古代人にとって、神話の喪失は致命的であったといえよう。」 には、 「まる一日を費やし、辛酸を嘗めた。」 と書かれていて、おかしかった。

TWEET「再掲」

 ブログは間もなく埋もれ、その他多数に紛れてしまうのが一般的です。再読、また一人でも多くの方たちに閲覧していただきたくて、「revival」として再掲したブログが相当数ありますが、これらも同じ運命をだどるばかりで、すべて「下書き」にすることにしました。  昨日から「白川静」を読んでいますが、検索時には目障りで、見苦しく、忸怩たるものを感じています。  数時間を優に越える作業でした。前後の関係から、「下書き」にするわけにはいかない 「revival」や、 「revival」の閲覧数が多く、「下書き」にした場合、検索結果に影響を与えかねないと思われるブログもあり、一筋縄ではいきませんでした。  欲目に足をすくわれた格好です 。

TWEET「私の活字離れ解消法」

 私の、片隅に追いやられたブログを読むこと、一顧だにされ ない電子書籍を読むこと。 「白川静」を読みはじめました。白川静は、やはり大き過ぎます。

本居宣長「七種鈴」

鈴屋遺蹟保存会「本居宣長と鈴」 「鈴屋とは、三十六の小鈴を赤き緒にぬきたれて、はしらなどにかけおきて、物むつかしきをり引きならして、それが音をきけば、こころもすがすがしくおもほゆ。そのすずの歌は、      とこのべにわがかけていにしいへしぬぶ      鈴がねのさやさや  かくて、この屋の名にもおほせつかし。 宣長 」  私が、 「本居宣長記念館」 内の 「ミュージアムショップ 鈴屋」 さんで求めた 「 七種鈴 (松坂万古)」は、「門人知友」によって贈られた、「現在 鈴屋遺蹟保存会に遺されている(七つの)遺愛の鈴(「鉄或は青銅で造られた古鈴」 )」の「 松坂万古」版 である。  私は鈴を、七曜に分け、毎日一つずつ机上に置き、手遊びにしている。「七曜鈴」である。  この数日間はといえば、恨めしくも、メールや SMS への返信 、電話の応対に忙しく、「 物むつかしきをり」なく、専ら「魔除け」として、鈴を振るばかりだった。こういった事態には、低い音(ね)の鈴がよく、と知らされた ことが、唯一の収穫といえば収穫だった。 「物むつかしきをり」と「鈴の音」との相関については、いまだ不分明であるが、「物むつかしきをり」なく、秋の実りなし、とは自明なことである。

TWEET「秋の夜長の徒然に_焚き火だ!焚き火だ!!」

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昼の予行、夜の本番。 昨夜、庭で焚き火遊びに興じた。 薪のはぜる音、上昇する火の粉が美しかった。 においが気になった。燻製用の木々の使用が適当なのだろう。 「ささやかな焚き火です」 「炭火だ!炭火だ!!」。近日中に焚き火台で、また七輪で、炭火遊びをする予定である。   松阪市の「小津安二郎記念館」を訪れた際には、くすんだオレンジ色をした「豆炭行火(まめたんあんか)」 が展示されていて、子どものころを思い出した。 私にとっては、焚き火よりも炭火の方が懐かしく、たくさんの思い出がある。  焚き火の最中に、隣家の玄関のドアが大きな音を立てて開(あ)き、「クサイ」とだけ、子どもがぶっきらぼうに言い、乱暴にドアが閉められた。子どもの仕業ではないことは明らかであるが、どこ吹く風とやり過ごした。  当のご本人らは、年に何回かバーベキューをし、賑やかく、ということには一向に気が回らないようである。  不愉快な思いをするのは御免で、場所探しをする必要が生じた。 反省はしていない。

TWEET「秋の夜長の徒然に_告知編」

◆ 2021/10/30 に、 「毎秋(まいあき) 恒例の、作務に勤しむことにした。作務は修行の内のことである」 と書いた。三日坊主と、とかく悪様にいわれる時日(ときひ) もやり過ごし、また、 毎秋恒例になっている古社寺巡拝の旅に出ようと、小春日和のそろう日を見計らっている。紅葉時の人混みは避けたく、今回は高野山も視野に入っている。 ◆「中消防署」さんにおうかがいすると、焚き火台を使用しての、庭での焚き火は禁じられていません、とのことだった。ただし、たとえ一つにしても、ゴミを燃やすことは禁じられています、と何度か念を押された。  2020/05/22 に 「スノーピーク」の「 焚き火台 M スターターセット(3〜4人用)」を購入した。琵琶湖畔での焚き火への憧憬からである。そして、 2020/06/08 には「 火ばさみ」を、 2021/10/01に 「焼き網 Pro.」、2021/10/03 には「グリルブリッジ」を購入し、火遊びの準備を完了した。が、いま思えば、食に関心のない私には、「グリルブリッジ」と「焼き網 Pro.」は必要なく、また、一式を「ピコグリル」で揃えればよかった、と後悔している。  2021/09/27 には、河口湖畔で焚き火を経験したが、自分の道具仕立てでの、一人での焚き火は今回がはじめてである。  昼の予行、夜の本番。 「焚火に恐怖を覚えた。燃えて灰になる現実を注視していた。この事実をどのように受容し昇華すればいいのだろうか。  薪のはぜる音、上昇する火の粉が美しかった。」 「文化の日」にこそ、似つかわしい遊びである。

「自己本位といい、他己本位といい」

 青山二郎といい、小林秀雄、白洲正子といい、「青山学院」と呼ばれ、「昭和の文壇を華やかに彩った文士たち」は、超然として「自己本位」の境地に遊んだ。  井筒俊彦においては、これらは「コトバ」の自己分節であって、関心の埒外の出来事であったに違いない。意識の深みに「実在」を索め、その階層構造を明らかにし、ついには自身の深層言語学的哲学を展開するにいたった井筒にとって、表層意識への関心は希薄であったといえよう。  一方 漱石はといえば、「利己か利他か」に生涯執着し、その撞着が漱石に小説を書かせた、といえるかもしれない。安易な解決を許さなかった漱石は強靭な精神の持ち主だった。  さて、長らく「他己本位」という劇中の最中(さなか)にあって、いま私は躊躇することなく「自己本位」に触手を伸ばす。それには多少の荒療治が必要かと感じている。  残された限られた時間、「悪しき道徳教育の、18歳の残滓」の虜になっている暇はない。 「拝復 P教授様_悪しき道徳教育の、18歳の残滓です」 2018/07/31 おはようございます。 我慢する、我儘は許されない、また反省する。 いずれもいずれも悪しき道徳教育の、18歳の残滓ですね。 この際きっぱりとお別れすることにします。 我慢しない。我儘に生きる。「反省なぞしない」。 無頓着で、無造作な、鷹揚で、無邪気な生活を心がけます。 盛夏です、酷暑です。容赦なしです。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 小林秀雄さんが、座談会にて、 「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」(『近代文学』昭和二十一年二月号) と話されています。

TWEET「自家撞着」

 いま作務をしながら、「自家撞着」という言葉について考えている。言霊をもち出すまでもなく、言葉を弄べば、いずれ言葉に足をすくわれるときがくるだろう。  井筒俊彦は、「存在はコトバである」と措定した。空海も然りである。  知らぬが仏、ということか。

「『徒然草』_究竟は理即に等し」

吉田兼好「日、暮れ、道、遠し。我が生、既に蹉陀たり」 2021/07/09 「第百十二段 明日は遠き国へ赴くべし」 兼好,島内裕子校訂訳『徒然草』ちくま学芸文庫 「人間の儀式、いづれの事か、去り難からぬ。世俗の黙(もだ)し難きに従ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇(いとま)も無く、一生は雑事(ざふじ)の小節に障(さ)へられて、空しく暮れなん。日、暮れ、道、遠し。我が生(しやふ)、既に蹉陀(さだ)たり。諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり。信をも、守らじ、礼儀をも、思はじ。この心をも得ざらん人は、物狂(ものぐる)ひとも言へ、現無(うつつな)し、情け無しとも思へ。譏(そし)るとも、苦しまじ。誉(ほ)むとも、聞き入じれ。」 ◇ 以下、「現代語訳」です。 「人間が生きている限りしなくてはならない社交儀礼は、どれもしないわけにはいかない。だからといって、世間のしがらみを捨てきれずに、これらのことを必ずしていると、願望も多く、体も辛く、精神的な余裕もなくなって、肝心の一生が、次から次に押し寄せてくる雑事にさえぎられてしまい、空しく暮れてしまう。もう人生が暮れるような晩年になっても、まだ究めようとする道は遠い。自分の人生は、すでに不遇のうちに終わろうとしている。まさに、白楽天の「日、暮れ、道、遠し。我が生(しやふ)、既に蹉陀(さだ)たり」という状況だ。もうこうなったら、すべての縁を打ち捨てるべき時である。私は、約束も、もう守るまい。礼儀も、気にしまい。このような決心が出来ない人は、私のことをもの狂いとも言え。しっかりとした現実感がなく、人情がないと思ってもよい。他人がどんなに私のことを非難しても、少しも苦しくはない。逆に、私のことを褒めてくれても、そんな言葉を聞く耳は持たない。」 (註)「蹉陀」は躓く。転じて好機を失う。挫折する。(兼好法師,小川剛生訳注『新版 徒然草 現代語訳付き』 角川ソフィア文庫) 島内裕子は「徒然草の中でも、最も激烈な段である」と書いている。  2016/10/15 に 「小林秀雄『末期の眼』」 と題するブログを書きましたが、その思いはいまも変わりません。 「日、暮れ、道、遠し。我が生、既に蹉陀たり。諸縁を放下すべき時なり」  P教授の教えにしたがい、 身支度を整えます。 TWEET「『徒然草』_信頼に足る確かな「たしなみ」の書」 2021...

TWEET「圏外の人となる」

「富嶽遥拝の旅」(2021/09/27 〜 09/29)から、「神宮、松阪城跡内と英虞湾展望の旅」( 2021/10/19 〜 10/22)までの空白の時間が惜しまれてならない。二人がかりでの  SMS攻勢にあい、この間(かん )まともな読書、またブログどころではなかった。  いまだ活字離れの進行は止まず 、毎秋(まいあき) 恒例の、作務に勤しむことにした。作務は修行の内のことである。  ひとり旅が難しい時代になった。どうしてもスマートフォンとの道連れの旅になってしまう。圏外の人となるしかない。南方熊楠を筆頭に、枠外の人たちとのおつき合いは長いが、圏外の人となるのははじめてのことで、宙(そら)からの壮観な眺めを楽しみにしている。

小林秀雄「過去はもうたくさんだ!」

白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫  運命的ともいえるこの二人の友情に、決定的な結末が到来したのは、昭和二十八年七月四日のことである。小林(秀雄)さんは、今日出海さんといっしょにヨーロッパを廻り、アメリカ経由で羽田に帰った時、青山(二郎)さんが迎えに来ていた。  私もいっしょに行ったので、よく覚えているが、ジイ(青山二郎)ちゃんはどこか別のところ、喫茶室にでも席をはずしていたのだろうか。とにかくジイちゃんのいないところで、 ジイちゃんが迎えに来ていると聞き、小林さんは実にいやな顔をして、「過去はもうたくさんだ!」と、吐いて捨てるようにいったのである。  その後この言葉は有名になって、誰でも知っているが、その場の雰囲気があまりに陰惨だったので、私はびっくりしてそこを飛び出てしまった。あとのことは覚えていないが、 ジイちゃんだけには絶対いうまいと思った。(148頁) (青山二郎)『世間知らず』は仔細(しさい)に読むと見かけより非常に凝った文章で、行間に ジイちゃんの深い悲しみがかくされているように思う。 (中略) 「親友と云(い)ふものゝ中には此(こ)の世では親友として交つて行けない、さういふ親友だつてあるのだから、仮りにそれがピツタリいつたとしたら余程めぐまれてゐると思つていゝのだろう。併(しか)し、非常に低い処でしか、そんな幸運にはめぐまれないものである。(149頁) 「高級な友情」といわれる所以である。  私の交友は、常に「使う使われる」の関係に堕する。節度なく容赦なく、配慮なき者たちに囲まれ 、それは普通でさえなく、低級にすぎる。  還暦を迎え、 「一生いくばくならず、来世近きにあり」(西行)  一人がいい、二人ではもう多すぎる。 「過去はもうたくさん」である。 「友情と人嫌ひ」 河上徹太郎『詩と真実』 「饒舌に聞き手が必要であるやうに、沈黙にも相手が要る。そして恐らく饒舌よりも相手を選ぶものだ。私と小林秀雄との交友はそんな所から始まった。」  一人での沈黙の時間。相手を前にしての沈黙の時。沈黙を共有することは一大事です。 追伸:野々上 慶一『ある回想―小林秀雄と河上徹太郎』新潮社 (27頁)からの孫引きです。近日中に確認します。 「小林と私」  河上徹太郎『わが小林秀雄』昭和出版   彼とのつき合ひも中学上級以来からだから随分古い。古...

司馬遼太郎『この国のかたち 五「神道」』文春文庫

2021/03/03  一昨日には、白川静「中国の神話 ー 奪われたものがたり」中の、190字の作文に苦戦し、まる一日を要した。辛酸を嘗めた。そして昨日、 ◇ 司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫 「神 道 (一)〜(七)」 ◇ 中沢新一『古代から来た未来人 折口信夫』ちくまプリマー新書 「第五章 大いなる転回」 「第六章 心の未来のための設計図」 ◇ 白川静『初期万葉論』中公文庫 「第一章 比較文学の方法 二 発想と表現」 「第四章 叙景歌の成立 三 見れど飽かぬ」 を読んだ。いずれも再読、三読目である。 司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫 「神 道 (一) 」   神道に、教祖も教義もない。  たとえばこの島々にいた古代人たちは、地面に顔を出した岩の露頭ひとつにも底(そこ)つ磐根(いわね)の大きさをおもい、奇異を感じた。  畏(おそ)れを覚えればすぐ、そのまわりを清め、みだりに足を踏み入れてけがさぬようにした。それが、神道だった。  むろん、社殿は必要としない。社殿は、はるかな後世、仏教が伝わってくると、それを見習ってできた風である。  三輪(みわ)の神は、山である。大和盆地の奥にある円錐(えんすい)形の丘陵そのものが、古代以来、神でありつづけている。  ここに唐破風造(からはふづくり)の壮麗な拝殿ができたのは、ごく近世(江戸中期)のことにすぎない。(9-10頁) 古神道には、神から現世の利をねだるという現世利益(げんぜりやく)の卑しさはなかった。(11頁) 「神 道 (四) 」  げんに、(伊勢神宮の)内宮・外宮の社殿建築をみても、大陸からの影響はない。宇宙のしんを感じさせるほどに質朴簡素である。 (中略)  正殿の棟に、十個のふとい堅魚木(かつおぎ)が載せられている。装飾といえば、これくらいのものである。それも棟をおさえる実用材であるとすれば、まことに禁欲的な造形というほかない。(41頁) 「神 道 (三)」  伊勢神宮の遷宮の儀は、夜、老杉の森の闇のなかでおこなわれる。  一夜明けて翌朝、おなじ境内に入り、新しい宮居がかがやいているのをみたとき、たれもが、その若々しさに圧倒される。すべてヒノキ材で組まれた簡潔この上ない構造物だけに、宮居も神垣も、誕生したばかりのいのちの威厳を感じさせ、見ていると、浴びているような感じがする。(33頁) 「神 道 ...

司馬遼太郎「言挙げせぬ神々」

2020/12/16 司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫 「神 道 (7) 」  神道という用語例は、すでに八世紀の『日本書紀』にある。  シントウと澄んでよむならわしは、平安時代にはじまるという。  理由は、日本語は元来、清音をよしとしてきたという程度だったろう。「いろはにほへと」も、すべて清音である。和歌も、明治以前はすべて清音だけで表記されてきた。古音は、一般に澄む。  神道に教義がないことは、すでにふれた。ひょっとすると、神道を清音で発音する程度が教義だったのではないか。それほど神道は多弁でなく、沈黙がその内容にふさわしかった。  『万葉集』巻第十三の三二五三に、  「葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国は神(かむ)ながら、言挙(ことあ)げせぬ国」  という歌がある。他にも類似の歌があることからみて、言挙げせぬとは慣用句として当時ふつうに存在したのにちがいない。  神(かん)ながらということばは、 “神の本性のままに” という意味である。言挙げとは、いうまでもなく論ずること。  神々は論じない。アイヌの信仰がそうであるように、山も川も滝も海もそれぞれ神である以上は、山は山の、川は川の本性として ー神ながらにー 生きているだけのことである。くりかえすが、川や山が、仏教や儒教のように、論をなすことはない。  例としてあげるまでもないが、日本でもっとも古い神社の一つである大和の三輪山は、すでにふれたように、山そのものが神体になっている。山が信徒にむかって法を説くはずもなく、論をなすはずもない。三輪山はただ一瞬一瞬の嵐気(らんき)をもって、感ずる人にだけ隠喩(メタフア)をもって示す。(66-68頁) 「神 道 (4) 」  平安末期に世をすごした西行(1118〜90)も、(伊勢神宮に)参拝をした。 「何事(なにごと)のおはしますをば知らねども辱(かたじけな)さの涙こぼるゝ」  というかれの歌は、いかにも古神道の風韻をつたえている。その空間が清浄にされ、よく斎かれていれば、すでに神がおわすということである。神名を問うなど、余計なことであった。  むろん西行は若いころ北面の武士という宮廷の武官だったし、当代随一の教養人でもある上、伊勢では若い神官たちに乞われて歌会も催しているのである。 “何事のおはします” かを知らないどころではなかった。(44頁)  神道のおよ...

「神宮、松阪城跡内と英虞湾展望の旅」

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2021/10/19(火) 未明に出立した。 「伊勢湾フェリー」で、伊良湖から鳥羽へ向かった。 潮風に吹かれ、船首波の綾なす彩りを見つめていた。 ◆ 「伊勢神宮 内宮」 およそ一年ぶりの、神さまについての多少の知識をもち合わせての参拝だった。 ◆ 「本居宣長記念館」 事前に、 ◇ 小林秀雄『本居宣長(上),(下)』新潮文庫 を初読・再読した 。 「直筆」と「自画像」,「書斎鈴屋」の見学が主目的だった。蒙昧な私には、直筆を原画としてながめるしかなかった。宣長の居住まいの正しさを感じた。 「旧邸」の二階にある「鈴屋」は、邸外から望む格好での見学しか許されなかった。  山室の妙楽寺山頂にある、「本居宣長之奥墓(おくつき)」までの杣道は狭く、数少ない待避所で、対向車と譲り合ってすれ違う必要があることを、事務長さんからお聞きし、今回は断念した。  オープンしたばかりの 「ミュージアムショップ 鈴屋」 さんで、 ◇ 公益財団法人鈴屋遺蹟保存会,本居宣長記念館 編集 発行『新版 本居宣長の不思議』 と、 「 七種鈴 (松坂万古)」を購入した。 「七種鈴」 2021/10/20(水) ◆「本居宣長記念館」 「七種鈴」を買い足し、姪の、生後四か月たらずの長女宛に送った。 ◇  松谷みよ子『いない いない ばあ』童心社 で、赤ちゃんは笑うことは実証済みである。  はたして、宣長さんの「いない いない ばあ」で、赤ちゃんは笑うのだろうか。壮大な試みである。   これで P教授と赤ちゃんと私は、同じ音色でつながった。 ◆ 「小津安二郎記念館」 P教授から送っていただいた、 ◇ 小津安二郎『僕はトウフ屋だからトウフしか作らない』日本図書センター を読んだばかりだった。また船内では、P教授から、 「小津安二郎記念館」についての SMSが届き、急遽 旅程を変更した。 「本居宣長記念館」と同じ、松阪城跡内にあり、コンステレーションということを思った。  小津安二郎は、9歳から19歳までの多感な時期を、松阪で送っている。  40分 5 部立て の 映像「映画監督 小津安二郎 青春のまち 松阪」に見入っていた。学生時代、 「銀座並木座」の「小津安二郎特集」に通ったことを思っていた。 あのときと同じ気品のなかに、ひとりたたずんでいた。 ◆ 中華そばの「不二屋」 「和田金」さんを尻目に食事をした。...

「富嶽遥拝の旅」

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2021/09/27(月) 夜が明けやらぬころ出立した。 ◆「富士川SA」 走行中見え隠れしていた富士の高嶺がついに全貌を現した。一昨日に初冠雪が観測されたばかりの、新雪を戴いた富士の山を遥拝した。 ◆「富士山本宮浅間大社」 全国に1300社ある「浅間神社」の総本社である「 富士山本宮浅間大社」にまず参拝した。 ◆「白糸ノ滝」 年間を通し水温 12℃、1.5トン/秒の湧水は、私の想像をはるかにこえている。 壮大な「雨漏り」だった。 昼食に定番の「富士宮焼きそば」をいただいた。 ◆ 河口湖畔の「ニューブリッヂキャンプ場」  P教授と14時に待ち合わせた。 はじめてのオートキャンプ、はじめての焚火体験だった。  P教授は、焚火用品を「CAPTAIN STAG」でそろえ、登山用具一式を「mont-bell」で統一してきた。未開封の物ばかりでさすがに慌てた。  Nさんから送っていただいた「北見牛」「北見産豚」の各部位は新鮮で極上、絶品だった。  焚火に恐怖を覚えた。燃えて灰になる現実を注視していた。この事実をどのように受容し昇華すればいいのだろうか。  薪のはぜる音、上昇する火の粉が美しかった。  久しぶりの野営だった。 2021/09/28(火) ◆「道の駅 富士吉田」 「mont-bell 富士吉田店」さんで「 ご当地デザインTシャツ」 「朝日に赤く染まる富士山」を購入し早速着替えた。P教授はウェストバッグを求め悦に入っていた。 ◆「 北口本宮冨士浅間神社」 参詣後、「Air Tag」で駐車した車を探した。「見つける天才」ぶりを発揮した。 ◆  富士山溶岩の湯「泉水」 ◆ 吉田のうどん「玉喜亭」 ◆「御殿場プレミアム・アウトレット」  はじめてのアウトレットだった。ブランド品店街に終始キョロキョロしていた。  P教授とはここでお別れした。  その後 再び「Air Tag」のお世話になった。やはり「天才」だった。 ◆「JR 足柄駅」   駅前の無料駐車場で車中泊と洒落込んだ。美しい駅舎だった 。検索すると「新国立競技場」を手がけた「隈研吾建築都市設計事務所」さん設計の建築だった。  夜明けを待たずに洗面をすませた。 「歌枕」を訪ねての旅のはじまりだった。 2021/09/29(水) ◆「 小夜の中山」 二つの歌碑に、三つの歌が刻まれていた。  あづまのかたへ、あひ...

「白洲正子の本領_仲秋の名月」

「名月や池をめぐりて夜もすがら」 芭蕉の句です。 今夜は曇りの予報です。 今朝 夜明け前に、 西の空にある小望月(こもちづき)を眺めましたが、「夜もすがら名月」を、と願っています。 4:30 です。小雨が降っています。虫のすだきが聞こえます。十六夜の月を待つことにします。 5時を少し過ぎたころ、西の空に懸かる名月を拝しました。ほんの十数秒のことでした。いま夜が明けようとしています。 「ツキヨミの思想」 白洲正子『夕顔』新潮文庫  ただ詩歌の世界ではなくてはならぬ存在であり、月の運行、或いはその満ち欠けによって、どれほど多くのことを我々の祖先は学んだか。古典文学だけではなく、日常の生活でも「十三夜」、「十五夜」は申すに及ばず、月を形容した言葉は枚挙にいとまもない。月を愛したことでは日本人にまさる人種はいないであろう。(234頁) 「幻の山荘 - 嵯峨の大覚寺」 白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫  いくつぐらいの時だったろうか、大沢の池に舟を浮べて、お月見をしたこともある。最近は仲秋の名月の夜に、鳴りもの入りで船遊びを行うと聞くが、そんな観光的な行事ではなく、極く少数の物好きが集まって、ささやかな月見の宴をひらいたのである。その夜のことは今でも忘れない。息をひそめて、月の出を待っていると、次第に東の空が明るくなり、双ヶ丘(ならびがおか)の方角から、大きな月がゆらめきながら現われた。阿弥陀様のようだと、子供心にも思った。やがて中天高く登るにしたがい、空も山も水も月の光にとけ入って、蒼い別世界の底深く沈んで行くような心地がした。ときどき西山のかなたで、夜鳥の叫ぶ声が聞えたことも、そのすき通った風景を、いっそう神秘的なものに見せた。(152頁)

TWEET「仲秋の候」

 明日は仲秋の名月です。昨秋、栂尾山 高山寺で仰いだ満月が思い出されます。     山のはにわれもいりなむ月もいれ    よなよな(表記は「くの字点」です)ごとにまた友とせむ  明恵上人が望んだ月です。  酒仙と称される李白は、酔いに任せ、舟遊びの最中(さなか)に、川面に浮かぶ明月を手にしたく、手をさし伸べ、転落して溺死した、といわれています。詩人として、これほどみごとな最期を、私は知りません。  明月のことは李白に倣うに如くはなく、舟出の支度を急いでおります。  災禍のうち続くなか、 整然たる日月星辰の運行が救いとなっています。

TWEET「恋をしているからだろうか」

 手を打ち、「メール」と「SMS」の機銃掃射、雨霰から免れた。九月になり読書量が半減以下に陥った。多少の後遺症は残るであろうが、静謐のうちに名月を戴きたいものである。  以降、突如眠気に襲われ、眠り呆けているのは、恋をしているからだろうか!?

TWEET「La France」

 先日ある御仁から、 「お前は La France  だな」 と、最大級の賛辞をいただき、恐縮している。  迷走中の台風 14号が、直撃しそうな様相である。 「La France(洋梨 / 用無し) 」といい、「迷走」といい、刺激的である。

TWEET「脂がのっています」

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昨日の午前中には、P教授から送っていただいた、 ◇ 小津安二郎『僕はトウフ屋だからトウフしか作らない 』日本図書センター を読み終えました。読み終えるまでに五日を要し、ひとえに過度の「メール」, 「SMS」 でのやり取りが宿痾となっています。アホらし!!  以前、こんなステッカーが車のリアガラスに貼られているのを見たことがあります。  サンマの季節ですね。  小津安二郎監督、野田高梧脚本、笠智衆さん主演の「秋刀魚の味」を思い出しました。小津安二郎監督の遺作となった作品です。「小津特集」に、銀座・並木座に何日か通いました。学生時代、あれは秋の頃のことだったのでしょうか。 ◇ 小津安二郎『僕はトウフ屋だからトウフしか作らない 』日本図書センター については、項を改めて書きます。 そして、午後には、 ◇ 空木哲生『山を渡る 三多摩大岳部録 4』ハルタコミックス を読みました。  2005/04/26 に出版された、 ◇ 石塚真一『岳(1)』小学館 を読んで以来、山岳コミックを目にすると、つい読みたくなり、読みたくなったら、読むしかなく…。 次回は、これも P教授から送っていただいた、 ◇ 植田重雄『秋艸同人 會津八一の生涯』恒文社 の予定です。大部の図書です。 「扉」の写真の「渡邉文子」は美しく、早速、 ◆「恋愛と卒業」 を読みました。下宿先の雑司ヶ谷界隈の地名も出てきて懐かしく、ひとしきり学生時代の思い出に耽りました。

「大特集 富士山」

 2021/09/16日(木)〜17日(金) に、P教授と河口湖畔の 「ニューブリッヂキャンプ場」 に行く予定だったが、台風 14号の接近のため、2021/09/27日(月)〜28日(火)に延期した。急遽決定し、急遽延期した。いつものことである。 この夏、 ◇ 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫 ◆「西行」 を読み、 ◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 を読んだ。 「「彼(西行)は、歌の世界に、人間孤独の観念を、新たに導き入れ、これを縦横に歌い切った人である。孤独は、西行の言わば生得の宝であって、出家も遁世(とんせい)も、これを護持する為に便利だった生活の様式に過ぎなかったと言っても過言ではないと思う。」(小林秀雄「西行」100頁) 「『山家集』ばかりを見ているとさほどとも思えぬ歌も、『新古今集』のうちにばら撒(ま)かれると、忽(たちま)ち光って見える所以(ゆえん)も其処にあると思う。」(小林秀雄「西行」91-92頁) 「  風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな  これも同じ年(西行 69歳)の行脚のうちに詠まれた歌だ。彼が、これを、自賛歌の第一に推したという伝説を、僕は信ずる。ここまで歩いて来た事を、彼自身はよく知っていた筈である。『いかにかすべき我心』の呪文が、どうして遂(つい)にこういう驚くほど平明な純粋な一楽句と化して了(しま)ったかを。この歌が通俗と映る歌人の心は汚れている。一西行の苦しみは純化し、『読人知らず』の調べを奏(かな)でる。」(小林秀雄「西行」106-107頁) 「 あづまのかたへ、あひしりたる人のもとへまかりけるに、さやの中山見しことの昔に成たりける、思出られて   年たけて又越ゆべしと思いきや   命なりけりさやの中山  」(白洲正子『西行』265頁) 「小夜の中山の歌と、富士の歌は、私にはひとつづきのもののように思われてならない。昼なお暗い険阻な山中で、自分の経て来た長い人生を振返って「命」の尊さと不思議さに目ざめた西行は、広い空のかなたに忽然(こつぜん)と現れた霊峰の姿に、無明(むみょう)の夢を醒(さ)まされるおもいがしたのではないか。そういう時に、この歌は、一瞬にして成った、もはや思い残すことはないと西行は感じたであろう。自讚歌の第一にあげた所以(ゆえん)である。(白洲正子『西行』270-271頁)  数年来...

「井筒俊彦の存在風景を追って」〈『意識と本質』_はじめから〉

『井筒俊彦全集 第六巻 意識と本質 1980年-1981年』 慶應義塾大学出版会 「だが、イスラーム自身をも含めて、東洋哲学一般の一大特徴は、認識主体としての意識を表層意識だけの一重構造としないで、深層に向って幾重にも延びる多層構造とし、深層意識のそれらの諸相を体験的に拓きながら、段階ごとに移り変っていく存在風景を追っていくというところにある。  だから、東洋哲学においては、認識とは意識と存在との複雑で多層的なからみ合いである。そして、意識と存在のこのからみ合いの構造を追求していく過程で、人はどうしても「本質」の実在性の問題に逢着せざるをえない。その実在性を肯定するにせよ否定するにせよ、である。「意識と本質」という題の下に、私はそれをテーマとしてここまで考えを進めてきた。このままもう一歩先に行けば、「本質」論は、ごく自然に、概念論に転換するはずである。だが、私が最初から自らに課した主題からいえば、概念としての「本質」論は本論の考察の射程内には入らない。東洋思想における概念構造理論は、それ自体、一つの独立した主題として優に一書をなすに足る。  とまれ、東洋哲学の根柢的部分に直接関わる事柄であるだけに、「意識と本質」というテーマは無数の問題を提起し、限りない展開の可能性をもつのだ。この辺で本論に一応の区切りをつけることにしよう。(304頁)  上記は、『意識と本質』の掉尾の文である。それは、そっ気なく終わった。井筒俊彦の一面を垣間見たような気がする。  宗教、宗派、学派色に染まることなく、概念に転落することなく、井筒俊彦は生気に満ちた「東洋哲学」を共時的に展開した。それらは、井筒が、深層意識の「諸相を体験的に拓きながら」見た「存在風景」であり、その後、形而上学として語られたものである。    三度四度(みたびよたび)。今回 四度目の読書だったように思う。再読により理解が進んだ。途中で横槍が入り、三日の予定が 九日かかった。  私の関心は、専ら、「実在」と「生死(しょうじ )の問題」にあった。 「実在」とは、ときに「神」と崇められ、「存在」「混沌 」「太極」と呼ばれ、「空」「無」、また「毘盧遮那仏」「大日如来」、「コトバ」等と称される事どものことである。  何度となく書いたが、井筒俊彦の著作群は、私にとっては「実学」の書であり、実用の書であり、やむに止まれぬ切実な書である...

「『もの』が明らかにみえる者たちがいて_小林秀雄 読書覚書」

「私の人生観」 小林秀雄『人生について』中公文庫  西行の歌には諸行無常の思想がある、一切空の思想がある。そういう風に言うなら、そんなものは、当時の歌に、何処にでも見附かるだろう。一切は空だと承知した歌人は、当時沢山いただろうが、空を観ずる力量にはピンからキリまであって、その力量の程は、歌という形にはっきり現れるから誤魔化しが利かぬ。空の問題にどれほど深入りしているかを自他に証する為には、自分の空を創り出してみなければならぬ。こうなると、問題は、尋常の思想の問題とは自ら異ったものになる筈である。般若の有名な真空妙有、まことの空はたえなる有であるという言い方は、そういう消息を語っていると考えてよい様に思われます。西行の言葉を借りれば、虚空の如くなる心の上において、種々の風情を色どるという事がなければならぬという事になる。(21-22頁)  西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、其貫道する物は一なり、と芭蕉は言っているが、彼のいう風雅とは、空観だと考えてもよろしいでしょう。西行が、虚空の如くなる心において、様々の風情を色どる、と言った処を、芭蕉は、虚に居て実をおこなう、と言ったと考えても差支えあるまい。(28頁)  空観とは、真理に関する方法ではなく、真如を得る道なのである、現実を様々に限定する様々な理解を空しくして、はじめて、現実そのものと共感共鳴する事が出来るとする修練なのである。かくの如きものが、やがて我が国の芸術家の修練に通じ、貫道して自分に至ったと芭蕉は言うのだが、今日に至っても、貫道しているものはやはり貫道しているでありましょう。仏教によって養われた自然や人生にたいする観照的態度、審美的態度は、意外に深く私達の心に滲透しているのであって、…(29-30頁)  真如という言葉は、かくの如く在るという意味です。何とも名附け様のないかくの如く在るものが、われわれを取巻いている。われわれの皮膚に触れ、われわれに血を通わせてくるほど、しっくり取巻いているのであって、…(20頁)  正岡子規の万葉復興運動以来、西行より実朝の方が、余程評判がよろしい歌人となった様ですが、貫道するところは一つなのだ。子規の感動したのは、万葉歌人の現実尊重であり、子規は写生と言う言葉を好んで使った。斎藤茂吉氏の「短歌写生の説」によると、子規は、写生の真意...

TWEET「墓碑銘」

芥川ならば確かに、こういうことでしょう。 「誰よりも大衆に媚びなかった君は、誰よりも大衆に相手にされなかった君だ」 すてきなお言葉、どうもありがとうございました。 墓碑銘にします。 我儘に、ということになると、どうしても疎外されることになります。 『侏儒の言葉』中にあってもおかしくない言葉ですね。 最近とみにさえわたっていますね!! FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「見つける天才_Air Tag」

 昨日の昼前、2021/08/26 に注文した Apple 「Air Tag」 が届きました。「見つける天才」です。刻印を依頼したため、上海からの発送となり、時間がかかりました。  日々進行する老化のため、物忘れ、置き忘れがひどく、困惑しています。財布、メガネ、車のキーの順に多く、メガネは幾つか準備し、見失っても探さないことを旨としていますが、財布とキーは、そうはいかず厄介です。  三軒の家電量販店を回りましたが、実物を見ることはできず、二つ折りの財布に納まるかどうか心配でしたが、納まらない場合にはキーホルダーにして、と思い注文しました。  上手く納まりました。  自らは恃めず、 安全神話頼みです 。 以下、「500円硬貨」と比較すると、 かなり大きいですね。 「AirTag」 直径: 31.9 mm 厚さ: 8.00 mm 重量: 11 g 「500円硬貨」 直径: 26.5 mm 厚さ: 1.8 mm 重量: 7.0 g

TWEET「仕切り直します」

九月です。さて仕切り直して、懸念の、 ◇『井筒俊彦全集 第六巻 意識と本質 1980年-1981年』 慶應義塾大学出版会 です。原点回帰です。  小林秀雄の、また井筒俊彦の話題となれば、閲覧数が激減しますが、我関せず。  しばらくの間お暇することになるか、と思っております。 残暑厳しき折、くれぐれもお大事になさってください。 ご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 

TWEET「P教授曰く」

「ゴッホと小林秀雄が絵で会話をした。小林秀雄の心眼はどの分野でも自由に闊歩できた異次元のもの。」

「P教授より『リルケの時間』」

「コクトーは当時の自分について、「沢山のことを知っていると思い込み、うぬぼれた青春の手の施しようのない無知の中を生きていた。名声が私に勘違いさせ、挫折よりも質の悪い名声があることを、この世のすべての名声に匹敵する一種の挫折があることを知らなかった」と振り返っている。  ずっと後になって、毎夜遅くまでランプが灯っていた部屋の住人がリルケだったことを知り、その頃のリルケに遙かなる友情をコクトーは抱く。リルケの部屋のランプが灯っているのをかつて見たことがコクトーを慰める。しかし、当時は、その灯りがその下で自分の思い上がりを焼き尽くせという合図だったことを理解することはなかった。」 「中川一政は50代半ばで、『リルケの時間』に気づいたわけです。」 「つまずきの石」は、いたる所に転がっていそうですね。 どうもありがとうございました。

小林秀雄「雪舟の明らかさ」

「雪舟」 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫  (「山水長巻」の)遠景も淡彩も装飾であるが、無論、彼は妥協なぞしているのではない。手を動かし乍ら、岩盤について瞑想(めいそう)する果てに、そういうものが自(おのずか)ら現れてくる。恐らく最も正しい意味での装飾である。茫漠(ぼうばく)たる遠景は、確固とした全景を再感させる。清楚(せいそ)な衣装(いしょう)によって、堂々たる体軀に気附く様に、淡彩は施されている。淡彩は、確かに四季の推移を語っているが、それは、まことに静かな移ろいであり、遂に四季の循環という岩の様に不動な観念に導かれる様である。何処(どこ)も彼所(かしこ)も明晰(めいせき)だ。恐らく作者の精神と事物の間には、曖昧なものが何にもないという事だろう。分析すればするほど限りなく細くなって行く様なもの、考えれば考えるほどどんな風にも思われて来るもの、要するに見詰めていれば形が崩れて来る様なもの一切を黙殺する精神、私は、そういう精神が語りかけて来るのを感じて感動した。私には、これを描いた画家が、十年後には、「慧可断臂」を描かねばならなかったのが、よく理解出来る様な気がした。(193-194頁)  今、私の机の上には、「慧可断臂図」の極くつまらぬ写真版がある。私は、それで満足である。 (中略) 壁を眺めているうちに、両足が身体にめり込んで了った男、たった今切った自分の腕を、外れた人形の腕でも拾った様な顔で持っている男、これは伝説であろうか。ところが、絵は全く逆のことを言う。益田兼尭(ますだかねたか)よりは人間である、と。  ここにも曖昧(あいまい)な空気はない。文学や哲学と馴れ合い、或る雰囲気などを出そうとしている様なものはない。達磨は石屋の様に坐って考えている、慧可は石屋の弟子の様に、鑿(のみ)を持って待ってる。あとは岩(これは洞窟(どうくつ)でさえない)があるだけだ。この思想は難しい。この驚くほど素朴な天地開闢(かいびゃく)説の思想は難しい。込み入っているから難しいのではない。私達を訪れるかと思えば、忽(たちま)ち消え去る思想だからである。  雪舟の思想は、もはや私達から遠いところにあるか。決してそんな事はないと思う。それは将来への予言かも知れないのである。ただ現に生きているという理由で、その人の言葉を、その人の顔を、現代人は信用し過ぎている。信用し過...

TWEET「一枝の春を贈らん」

◇ 井筒俊彦『井筒俊彦全集 第六巻 意識と本質 1980年-1981年』 慶應義塾大学出版会 の 166頁には、圜悟克勤禅師の、 「一葉落ちて秋を知る」 の言葉が引かれている。それは、「禅的」「あるいは華厳的」了解の言葉としての引用であるが、むしろ私は叙景詩として読んでいる。禅語は韻文である、と信じている。  学生時代、「漢文 Ⅰ」の講義で、『 詩経』の「桃夭」からはじまる、とんでもない数の漢詩を、松原朗先生に暗記させられた。松原先生には毎回弄ばれていたが、私もなかなかのものだった。あの掛け合いは楽しかった。  以下、その中の一編である。   陸凱(りくがい)「贈范曄(はんよう)」               折花逢駅使   花を折りて駅使に逢ふ 寄与隴頭人   隴頭(ろうとう)の人に寄与せん 江南無所有   江南に有る所無し 聊贈一枝春   聊(いささ)か一枝(いっし)の春を贈らん 「君のもとへ行く使者に逢い、花を折ってあずけた。隴頭の人に渡してほしいと。ここ江南の地には何もないが、とりあえず一枝の春を贈りたい。」 (註)[范曄]398~445。字は蔚宗。南朝・宋の文人、歴史家。『後漢書』の著者として知られる。  [駅使]駅馬を使う公的な使者。  [隴頭]隴山のあたり。もとは西域の地名であるが、ここでは范曄のいる長安を指す。 しばらくの間、話題は、「一枝の春」でもちきりだった。

白洲正子「お能はお能にも執着してはならないのだ」

井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書 「しかし考えてみれば、自我が無化したといっても、その無化された自我の意識そのものが残存している限り、無もまた一種の「他者」であるわけですから」( 井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書  166頁)、「無もまた無化され」なければならず、また、「仏教でもよく「空」が現成したところで、その「空もまた空され」なければならないなどと申しますが、(166頁)  「無の無化」,「空の空化」が達成されたとき、はじめて自我の意識が完全に消失するのである。 「現成(げんじょう)公案」 道元『正法 眼蔵 (しょうぼうげんそう)』 「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、萬法に証せらるるなり萬法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」  上記の一節を読み、「お能はお能にも執着してはならないのだ」といった、白洲正子の言葉を思い出した。 白洲正子「吉越立雄_梅若実『東岸居士』2/4」 「吉越立雄(たつお)能の写真」 白洲正子『夢幻抄』世界文化社  あるとき、吉越さんは、ふとこんなことを口走った。  ー 舞台と見物席の間で、カメラを構えていることはたしかに辛い。またさまざまの(お能以外の)制約にしばられることも、忍耐が要(い)る。が、それとは別にシャッターを「押してりゃ写っちゃう」ときもある。  そして、その一例として、梅若実の『東岸居士(とうがんこじ)』をあげた。これは実の晩年、老人だから面をつけないでも構わないだろうといって、直面(ひためん)で演じた、そのときの写真である。  『東岸居士』というのは、十五、六歳の少年の能で、それを八十になんなんとする老人が、面なしで舞うというのだから、ずいぶん思い切った演出である。が、『東岸居士』という曲が、そもそも皮肉な着想なので、年端(としは)も行かぬ少年が、老僧のような悟りを得ており、世の中はすべてこれ「柳は緑、花は紅」、本来空(くう)なれば家もなく、父母もなく、出家してわざわざ坊さんになるまでもない。されば髪もそらず、衣も着ず、飄々として自然のままに生き、興にのったときは羯鼓(かつこ)を打ち、笛を吹いて舞い遊べば、それが即ち極楽ではないか。 「何とたゞ雪や氷とへだつらん、万法みな一如なる、実相(じ...

井筒俊彦「イスラームの根源的思惟形態」〈『イスラーム哲学の原像』_はじめから〉

待望の、 ◇ 井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書 を、つい今し方 読み終えました。 『イスラーム哲学の原像』は、イスラームの神秘主義(スーフィズム)を代表する、イブン・アラビーの実在体験と、その後の哲学的思惟によってなった、「存在一性論」的形而上学についての論考を主題としている、といってしまえば簡単だが、内容はそんなに浅薄なものではない。  神の「 慈愛の息吹き」といい、「至聖溢出(いっしゅつ)」,「神聖溢出」, 「神の自己顕現」といい、 「有無中道の実在」というも、 イブン・アラビーの手になる、 「詩的言語(術語)」であり、いきおい感銘があり、安心(あんじん)がある。 「イブン・アラビー」 若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会 「存在はコトバである」という井筒俊彦の一節は、彼の思想的帰結を闡明しているだけではない。自らがイブン・アラビーの血脈に連なるものであることの宣言でもある。この神秘哲学者に出会うことがなければ、井筒の思想は全く違ったかたちになっていただろう。(280頁)  井筒はイブン・アラビーをイスラームの伝統に縛りつけない。彼がいう「東洋」に向かって開かれた位置に置く。そうした認識が、現象的には交差の痕跡がないイブン・アラビーと老荘という二つの大きな東洋神秘哲学の潮流を「共時的構造化」する Sufism and Taoism の形式を選ばせたのである。また、後年、彼は、この神秘哲学者と華厳の世界、道元の時間論、プロティノス、ユダヤ神秘主義との共時的交差を論じることになる。(285頁) 「『構造』と構造主義」 若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会 絶対的超越者をイブン・アラビーは「存在(ウジュード)」と呼び、老荘は「道(タオ)」と呼んだ。文学的過ぎるとの誹りを恐れずにいうなら、この長編論考( Sufism and Taoism )は「存在」と「道」の叙事詩だともいえる。主役は著者である井筒俊彦でないばかりか、彼が論じた東洋哲学の先達でもない。超越的絶対者である「存在」であり「道」なのである。序文(Sufism and Taoism )に著者自身が記しているように。試みられたのは、東洋哲学における「存在」論的構造の論究に他ならない。井筒の視座もイブン・アラビー、あるいは老荘といった人間に据えられているのではない。むしろ人...

井筒俊彦「コスモスとアンチコスモス」

「コスモスとアンチコスモス ー 東洋哲学の立場から」 「『コスモスとアンチコスモス』後記」 『井筒俊彦全集 第九巻 コスモスとアンチコスモス 一九八五年 ― 一九八九年』 慶應義塾大学出版会  このようなコスモス(「有意味的存在秩序」)観にたいして、東洋哲学は、おそらくこう主張するだろうと思います。たしかに、「有」がどこまでも「有」であるのであれば、そういうことになるでもあろう。しかし、「有」が究極においては「無」であり、経験世界で我々の出合うすべてのものが、実は「無」を内に抱く存在者(「無」的「有」)であり、要するに絶対無分節者がそのまま意味的に分節されたものであることを我々が悟る時、そこに自由への「開け」ができる。その時、世界(コスモス的存在秩序)は、実体的に凝り固まった、動きのとれない構造体であることをやめて、無限に開け行く自由の空間となる、と。なぜなら、一々のものが、それぞれ意味の結晶であり、そして意味なるものが人間意識の深層に淵源する柔軟な存在分節の型であるとすれば、「無」を体験することによって一度体験的に解体され、そこから甦った新しい主体性 ー 一定の分節体系に縛りつけられない融通無碍な意識、「柔軟心」 ー に対応して、限りなく柔軟なコスモス(限りなく内的組み替えを許すダイナミックな秩序構造)が、おのずからそこに拓けてくるであろうから、であります。  東西の哲学的叡知を融合した形で、新しい時代の新しい多元的世界文化パラダイムを構想する必要が各方面で痛感されつつある今日の思想状況において、もし東洋哲学に果すべきなにがしかの積極的役割があるとすれば、それはまさに、東洋的「無」の哲学が、今お話したような、内的に解体されたアンチコスモス的なコスモス、「柔軟なコスモス」の成立を考えることを可能にするというところから出発する、新しい「柔軟心」の思想的展開であるのではなかろうか、と私は思います。(343-344頁)  上記は講演の掉尾の部分である。自分の覚え書きとして引用した。何の説明もなく、ただこれだけを読んで解るとはとても思えないが、ご寛恕を請うことにする。  「カオス」をめぐるこの現代的特異事態は、勿論、さまざまに異なる説明を許容するであろうが、なんといっても先ず第一に指摘されなければならないのは、「カオス」あるいは「カオス的なもの」が最近、とみに異常な攻撃的性...

TWEET「萩の花くれぐれ迄もありつるが」

 いま 5人のシルバーさんに庭の除草をしていただいています。  毎年植生が変わり、今夏は庭一面「ヌスビトハギ」で覆われ、大変なことになっています。はじめてのことです。   萩の花くれぐれ迄もありつるが月出でて見るになきがはかなさ  実朝  花期を前にしての狼藉に胸が痛みます。除草を依頼する時期を誤りました。無粋でした。  小径をはさんだ西隣りでは、建築工事が盛んに行われ、けたたましく、ノイズはキャンセルするに如くはなく、しばし活字から離れ、目を閉じ、耳を澄ますことにしました。 「瞳を閉じて」 「耳をすませば」 秋の胎動とともに、恨めしくも、「明月」と繊美な「白萩の花」のことがしきりに思われます。

「井筒俊彦における実存的経験と言語アラヤ識について」

第九章『意味と本質』 若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会   和歌における「見る」働きに、実存的ともいえる特別な意味を込めて論じたのが、白川静だった。新古今あるいは万葉にある、「眺め」、「見ゆ」という視覚的営為に、二人(白川静と井筒俊彦)が共に日本人の根源的態度を認識しているのは興味深い。この符合は、単なる学術的帰結であるよりも、実存的経験の一致に由来するのだろう。  井筒俊彦が根本問題を論じるときはいつも、実存的経験が先行する。むしろ、それだけを真に論究すべき問題としたところに、彼の特性がある。プラトンを論じ、「イデア論は必ずイデア体験によって先立たれなければならない」(『神秘哲学』)という言葉は、そのまま彼自身の信条を表現していると見てよい。 (351-352頁)  「種子」は、すなわち意味であると井筒はいう。彼は(仏教の)唯識思想を単に焼き直し、踏襲しているのではない。その伝統に彼もまた参与しているのである。彼にとって、真実の意味における継承は深化と同義だった。  「唯識哲学の考えを借りて、私はこれ〔言語アラヤ識〕を意味的『種子(ビージャ)』が『種子』特有の潜勢性において隠在する場所として表象する」としながら、阿頼耶識の奥、「コトバ(実在、絶対的超越者、超越的普遍者、絶対無分節者)」が意味を産む場所を「言語アラヤ識」と呼び、特別の実在を与えた。「言語アラヤ識」と命名すべき実在に彼が遭遇し、それに論理の体を付与したとき、井筒は「東洋哲学」の伝統の継承者から、刷新者の役割を担う者となった。(380-381頁)  井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書 「要するに、神秘家たちの哲学的立場は、ヤスペルスの表現を使えば一つの「哲学的信仰」(philosophischer Glaube)であります。しかしここまでくれば、どんな哲学もそれぞれの「哲学的信仰」の基礎の上にうち立てられたものといわざるを得ません。」(109頁)  信仰を広義にとらえたとき、世に信仰なき者はないといえよう。私は井筒俊彦の解釈する「哲学的信仰」にしたがう。宗教、宗派、学派色からきっぱりと袖を分かった井筒による東洋「哲学的信仰」である。

井筒俊彦「異文化間対話の究極的な理想像_3/3」

「文化と言語アラヤ識」 『井筒俊彦全集 第八巻 意味の深みへ 1983年-1985年』 慶應義塾大学出版会  異文化の接触とは、根源的には、異なる意味マンダラの接触である。我々が既に見たように、意味マンダラは、特にそのアラヤ識的深部(「言語アラヤ識」)において、著しく敏感なものだ。刻々に消滅し、不断に遊動する「意味可能体」は、それ自体において既に、本性的に、かぎりない柔軟性と可塑的とをもっている。まして、異文化の示す異なる意味マンダラに直面すれば、鋭敏にそれに反応して、自らの姿を変える。だから、異文化の接触が、もし、文化のアラヤ識的深部において起るなら、そこに、意味マンダラの組みかえを通して、文化テクストそのものの織りなおしの機会が生じることはむしろ当然のことでなくてはならない。文化の新生。新しい、より包括的でより豊富な、開かれた文化の誕生する可能性が成立する。そこにこそ、我々は、異文化接触の意義を見るべきなのではないか。そして、それこそ異文化間対話の究極的な理想像であるべきなのではないか、と私は思う。(181頁) 〈対談〉井筒俊彦 司馬遼太郎「附録 二十世紀末の闇と光」 司馬遼太郎『十六の話』中公文庫  当対談は、お二人が挨拶を交わされた後、司馬遼太郎の、 「私は井筒先生のお仕事を拝見しておりまして、常々、この人は二十人ぐらいの天才らが一人になっているなと存じあげていまして。」(399頁) の発言にはじまり、また司馬の、 「やっぱり哲学者は違うなあ(笑)。だから、われわれは世界に対して光明を求めあう。そういうことが今日の結論ですね。」 の言葉で幕を閉じた、井筒俊彦 生前最後の対談を思い出す。  感動的であり美しくさえある帰結である。「深層意識的言語哲学」者である井筒俊彦の面目躍如である。 以下、 井筒俊彦「コトバの、また文化の圧制的側面_1/3」 「井筒俊彦が散文詩で綴った『言語アラヤ識』、そして『意味可能体_2/3』 です。ご参考まで。

「井筒俊彦が散文詩で綴った『言語アラヤ識』、そして『意味可能体_2/3』」

「文化と言語アラヤ識」 『井筒俊彦全集 第八巻 意味の深みへ 1983年-1985年』 慶應義塾大学出版会   だが、実は、言語は、従って文化は、こうした社会制度的固定制によって特徴づけられる表層次元の下に、隠れた深層構造をもっている。そこでは、言語的意味は、流動的、不動的な未定形性を示す。本源的な意味遊動の世界。何ものも、ここでは本質的に固定されてはいない。すべてが流れ、揺れている。固定された意味というものが、まだ出来上っていないからだ。勿論、かつ消えかつ現われるこれらの意味のあいだにも区別はある。だが、その区別は、表層次元に見られるような固定性をもっていない。「意味」というよりは、むしろ「意味可能体(「意味種子」)」である。縺れ合い、絡み合う無数の「意味可能体」が、表層的「意味」の明るみに出ようとして、言語意識の薄暮のなかに相鬩(せめ)ぎ、相戯(たわむ)れる。「無名」が、いままさに「有名」に転じようとする微妙な中間地帯。無と有のあいだ、無分節と有分節との狭間(はざま)に、何かさだかならぬものの面影が仄かに揺らぐ。「意味」生成のこの幽邃な深層風景を、『老子』の象徴的な言葉が描き出す。曰く、(後略)(172頁)  このような観点から見られたアラヤ識は、明らかに、一種の「内部言語」あるいは「深層言語」である。辞書に記載された形での語の意味に固定化する以前の、多数の「意味可能体」が、下意識の闇のなかに浮遊している。茫洋たる夜の闇のなかに点滅する無数の灯火にでも譬えようか。現われては消え、消えては現われる数かぎりない「意味可能体」が、結び合い、溶け合い、またほぐれつつ、瞬間ごとに形姿を変えるダイナミックな意味関連の全体像を描き続ける。深層意識内に遊動するこの意味関連の全体が、日常的意識の表面に働く「外部言語」の意味構造を、いわば下から支えている。我々の経験的「現実」の奥深いところでは、「意味可能体」の、このような遊動的メカニズムが、常に働いているのである。(178頁)

井筒俊彦「コトバの、また文化の圧制的側面_1/3」

「 文化と言語アラヤ識」 『井筒俊彦全集 第八巻 意味の深みへ 1983年-1985年』 慶應義塾大学出版会  コトバの意味作用の機構そのもののなかに、権力、強制が組み込まれている。コトバは、何を、いかに言うべきかを、人に強制する。そして(ロラン・)バルトは、コトバは、もともとファシスト的なものだ、という、一見、極端とも思えるような発言をする。 (中略)  私はこれに更に次の一言をつけ加えたい。すなわち、コトバは、何を、どう言うべきかを強制するだけでなくて、何をどう見るべきかをも強制する、と。コトバが分類様式であるならば、個々の言語(ラング)は、それぞれ特殊な(存在)分類のシステムでなくてはならない。それは、その言語を語り、その言語でものを考える人々に、ある一定の世界像を強制する。一つの言語は、一つの自然的解釈学の地平を提供する。我々はそれによって「世界」を見、それによって「現実」を経験する。経験するように強制されるのだ。(170頁)  一体、バルトがコトバの本源的分類性について語り、コトバのファシスト的圧制を云々する時、彼は主としてそれの社会制度的表層を見ているのである。たしかに、独立した一つの社会制度としてのコトバ、すなわち各個別言語は、意味論的には、一定数の意味分節単位(いわゆる単語)の有機的連合体系であって、それらの意味単位は、それぞれ、本質的に固定されて動きのとれないようになっている。このようなレベルで働くコトバの意味形象機能は、当然、固定して動きのとれない事物、事象からなる既成的世界像を生み出す。出来合いの意味形象が描き出す出来合いの存在絵模様だ。無反省的な日常生活において、人は誰でもそんな出来合いの「世界」に生きているのである。  だから、もしコトバが、このような社会制度的表層レベルに見られるものだけに終始するものとすれば、そして、もし文化が、言語表層で形成される「現実」だけに基礎づけられているものだとすれば、文化は、社会制度的因襲によってかっちり固定され、力動的な創造性を喪失した紋切り型の思惟、紋切り型の感情、紋切り型の行動のパターンにすぎないことになるだろう。言い換えれば、文化は、決まりきった型にはまった、実存的に去勢された意味、人間生活の社会制度的表面にようやく生命を保つ、憔悴した意味のシステムであることだろう。(171-172頁)  文化はコト...