「神宮、松阪城跡内と英虞湾展望の旅」

2021/10/19(火)
未明に出立した。
「伊勢湾フェリー」で、伊良湖から鳥羽へ向かった。潮風に吹かれ、船首波の綾なす彩りを見つめていた。

およそ一年ぶりの、神さまについての多少の知識をもち合わせての参拝だった。
事前に、
◇ 小林秀雄『本居宣長(上),(下)』新潮文庫
を初読・再読した
「直筆」と「自画像」,「書斎鈴屋」の見学が主目的だった。蒙昧な私には、直筆を原画としてながめるしかなかった。宣長の居住まいの正しさを感じた。「旧邸」の二階にある「鈴屋」は、邸外から望む格好での見学しか許されなかった。
 山室の妙楽寺山頂にある、「本居宣長之奥墓(おくつき)」までの杣道は狭く、数少ない待避所で、対向車と譲り合ってすれ違う必要があることを、事務長さんからお聞きし、今回は断念した。
 オープンしたばかりの「ミュージアムショップ 鈴屋」さんで、
◇ 公益財団法人鈴屋遺蹟保存会,本居宣長記念館 編集発行『新版 本居宣長の不思議』
と、七種鈴(松坂万古)」を購入した。

「七種鈴」


2021/10/20(水)
◆「本居宣長記念館」
「七種鈴」を買い足し、姪の、生後四か月たらずの長女宛に送った。
で、赤ちゃんは笑うことは実証済みである。
 はたして、宣長さんの「いない いない ばあ」で、赤ちゃんは笑うのだろうか。壮大な試みである。
 これで P教授と赤ちゃんと私は、同じ音色でつながった。
P教授から送っていただいた、
◇ 小津安二郎『僕はトウフ屋だからトウフしか作らない』日本図書センター
を読んだばかりだった。また船内では、P教授から、「小津安二郎記念館」についての SMSが届き、急遽 旅程を変更した。「本居宣長記念館」と同じ、松阪城跡内にあり、コンステレーションということを思った。
 小津安二郎は、9歳から19歳までの多感な時期を、松阪で送っている。
 40分 5部立て映像「映画監督 小津安二郎 青春のまち 松阪」に見入っていた。学生時代、「銀座並木座」の「小津安二郎特集」に通ったことを思っていた。あのときと同じ気品のなかに、ひとりたたずんでいた。
◆ 中華そばの「不二屋」
「和田金」さんを尻目に食事をした。
◆「夫婦岩」
荒磯に波の花が舞っていた。

 西行は晩年、二見浦に住み、のち近くの菩提(ぼだい)山神宮寺に移ったようで」、「七、八年の長きにわたって」、「哀なるすまひ」暮らしをしながら、歌会を催すなどして、大神宮の「神主たちとの交友をたのしんで」いる。またこの間 西行は「一生いくばくならず、来世近きにあり」と、「坐臥」口ずさんでいたという。
 「『おほかた、歌は数寄のみなもとなり。心のすきてよむべきなり。しかも大神宮の神主
  は、心清くすきて和歌を好むべきなり。御神よろこばせ給ふべし』(西行上人談抄)
 西行が一生かかって達したのは、「歌は数寄のみなもとなり」という信念で、神様もお喜びになると信じていた。当たり前のようなことだが、老年に及んでそういう確信を得たことをけっしておろそかに思ってはなるまい。」(白洲正子『西行』新潮文庫,「二見の浦にて」
 西行は、大峯修行をし、熊野三山を詣で、空海を遠く仰ぎ、高野山に草庵を結び、生誕の地 讃岐に長逗留した。また、伊勢の「二見の浦」で侘び住まいをし、その後 鎌倉を経て、平泉に向かっている。

 何事(なにごと)のおはしますをば知らねども
 辱(かたじけな)さの涙こぼるゝ

  伊勢にまかりたりけるに、大神宮にまゐりて詠みける
 榊葉(さかきば)に心をかけん木綿(ゆう)しでて
 思へば神も仏なりけり

 西行は宗教についてもまた自由な考えをしていた。辱く思い、数寄心にかなうことがすべてであった。西行は無碍の世界に遊んだ。
 西行が到達した地平は「真空妙有」であると理解している。


2021/10/21(木)
夜明けを待って参拝した。歩調をゆるめることを心がけた。
◆「伊勢神宮 内宮」
「二見興玉神社」にて「無垢鹽草」を授かり、「外宮」「内宮」の順に参拝することが順序であることを、前日「二見興玉神社」で知り、それを踏襲した。
内宮の駐車場脇に、鳥居と幟を見つけ、石段を登った。意外な見つけものをした。
◆「横山展望台」
真珠筏の浮かぶ英虞湾を展望した。緑濃き島々が所なく敷かれたような景色だった。

「横山展望台から展望した英虞湾」
◆「ひまわりの湯」
怪しげな「志摩スペイン村」内にある銭湯にて入浴。


2021/10/22(金)
◆「伊勢神宮 内宮」
夜明けを待つようにして参拝した。目にした神主さんたちは皆清潔だった。
◆「伊勢神宮 外宮」
「外宮」に隣接して「せんぐう館」があるために、順序を逆にした。
再訪だった。館内の展示を目にするたびに、人生を誤ったような気がしてならなかった。
◆「豚捨」
「伊勢牛」を注文したが、「北見牛」「北見産豚」の味をしめてからというもの、急に舌が肥えてしまったようである。

 15:10 発の「伊勢湾フェリー」に乗船し帰路についた。
 下船後、「恋路が浜」の駐車場で、
を撮っている写真家の方にお話をうかがった。今夜が四日目の車中泊とのことだった。伊良湖岬の「鷹の渡り」は、万葉集、西行の歌、白洲正子の随筆にもあり、興味深く、一時間をゆうに越える長話におよんだ。
 日は暮れ、慣れぬ夜道は危うく、「鷹の渡り」ウォッチングに誘われたこともあって迷ったが、家路につき、21時に帰宅した。月の明るい夜だった。
 白洲正子『西行』を、「富士の煙」,「二見の浦にて」とさかのぼっている。次回は空海である。讃岐であり高野山である。
 2021/10/02「富嶽遥拝の旅」以来のブログである。紀行文集の様相を呈してきた。