TWEET「活字離れ解消の特効薬」

「白川静」で検索し、表示された 31個のブログを、昨日読んだ。断片的な、曖昧な記憶しかなく、新鮮だった。「物むつかしきをり」には鈴を振った。
 長田弘は「再読は友情の証」(日本放送出版協会)と書いているが、私はブログに対し友誼までは感じていないが、少なからず親しみはある。
「ブログを読み直す」という読書で、活字離れは容易に解消されそうである。
 今日は「小林秀雄」である。

2021/02/28
の感想文、
「梅原猛が、『孔子伝』は絶対入れんならん、と言っているのは興味深い。『孔子伝』は絶対読まんならん、と思っている。「けったいな」『山海経』はちょっと横に置いておくとして、「違った神は信仰しない」「その神にあらざれば祀らず」とは潔く、殷も周も「神話を統一するという、そういう要求を持たなかった」のは、純粋な形として神話が残される格好になり、幸いだった。
 神話の喪失はどういった事態を招くか、それは神話の存在意義を解することでもある。
 共通の神々を戴くことで集合していた結束を失い、あるいは離散し、畏れ畏(かしこ)まることを忘れ、矜持は薄れ民度は低くなる。寄る辺なく寄す処(よすが)なく、活力なく、心的な安定を欠くようになる。日々神々とともに暮らしていた古代人にとって、神話の喪失は致命的であったといえよう。」
には、
「まる一日を費やし、辛酸を嘗めた。」
と書かれていて、おかしかった。