「大特集 富士山」
2021/09/16日(木)〜17日(金) に、P教授と河口湖畔の「ニューブリッヂキャンプ場」に行く予定だったが、台風 14号の接近のため、2021/09/27日(月)〜28日(火)に延期した。急遽決定し、急遽延期した。いつものことである。
この夏、
「日本人は富士山に何を感じ、どう心を動かされ、表現してきたのか。文学と自然との関わりに心を寄せる中世文学の泰斗が、『万葉集』『竹取物語』から、松尾芭蕉や小林一茶の俳句、夏目漱石や太宰治などの現代文学まで50作品余を解説する。想像の世界でその美しさを感じることのできた古えの人々と、文明の恩恵によって富士山を見られるようになった現代人。それぞれの心にある「富士山」にふれる、富士山文学鑑賞の決定版。」
◇『富士山の歴史』晋遊舎ムック
◇ 空木哲生『山を渡る -三多摩大岳部録- 4』ハルタコミックス
その間乱雑に読み継ぎ読み継ぎ、いま、
◇『山と溪谷 大特集 富士山 2019 No.1015 11』山と溪谷社
◇ 信濃川日出雄『山と食欲と私 9(鮎美の富士山リベンジ編 ①~④)』新潮社
にたどり着きました。一年前と同じ地平に立ち、威容を仰いでいます。
十六夜の月を拝しながら、ごまめの歯ぎしりです。
◇『山と溪谷 大特集 富士山 2019 No.1015 11』山と溪谷社
を読んでいる。
月刊誌「山と溪谷」は広告が多く、ときに「山と広告」と揶揄されるが、「大特集 富士山」はいつになく読みごたえがある。
私の専らの関心事は、
「信仰 霊峰としての歴史」
にあるが、思いがけずも、たとえば、
◇ 葛飾北斎「富士越龍(ふじこしのりゅう)」
というも、
◇ 伝雪舟「富士美保正見寺図(ふじみほのせいけんじず)」
この夏、
◇ 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫
◆「西行」
を読み、
◇ 白洲正子『西行』新潮文庫
を読んだ。
「「彼(西行)は、歌の世界に、人間孤独の観念を、新たに導き入れ、これを縦横に歌い切った人である。孤独は、西行の言わば生得の宝であって、出家も遁世(とんせい)も、これを護持する為に便利だった生活の様式に過ぎなかったと言っても過言ではないと思う。」(小林秀雄「西行」100頁)
「『山家集』ばかりを見ているとさほどとも思えぬ歌も、『新古今集』のうちにばら撒(ま)かれると、忽(たちま)ち光って見える所以(ゆえん)も其処にあると思う。」(小林秀雄「西行」91-92頁)
「 風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな
これも同じ年(西行 69歳)の行脚のうちに詠まれた歌だ。彼が、これを、自賛歌の第一に推したという伝説を、僕は信ずる。ここまで歩いて来た事を、彼自身はよく知っていた筈である。『いかにかすべき我心』の呪文が、どうして遂(つい)にこういう驚くほど平明な純粋な一楽句と化して了(しま)ったかを。この歌が通俗と映る歌人の心は汚れている。一西行の苦しみは純化し、『読人知らず』の調べを奏(かな)でる。」(小林秀雄「西行」106-107頁)
◆「西行」
を読み、
◇ 白洲正子『西行』新潮文庫
を読んだ。
「「彼(西行)は、歌の世界に、人間孤独の観念を、新たに導き入れ、これを縦横に歌い切った人である。孤独は、西行の言わば生得の宝であって、出家も遁世(とんせい)も、これを護持する為に便利だった生活の様式に過ぎなかったと言っても過言ではないと思う。」(小林秀雄「西行」100頁)
「『山家集』ばかりを見ているとさほどとも思えぬ歌も、『新古今集』のうちにばら撒(ま)かれると、忽(たちま)ち光って見える所以(ゆえん)も其処にあると思う。」(小林秀雄「西行」91-92頁)
「 風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな
これも同じ年(西行 69歳)の行脚のうちに詠まれた歌だ。彼が、これを、自賛歌の第一に推したという伝説を、僕は信ずる。ここまで歩いて来た事を、彼自身はよく知っていた筈である。『いかにかすべき我心』の呪文が、どうして遂(つい)にこういう驚くほど平明な純粋な一楽句と化して了(しま)ったかを。この歌が通俗と映る歌人の心は汚れている。一西行の苦しみは純化し、『読人知らず』の調べを奏(かな)でる。」(小林秀雄「西行」106-107頁)
「 あづまのかたへ、あひしりたる人のもとへまかりけるに、さやの中山見しことの昔に成たりける、思出られて
年たけて又越ゆべしと思いきや
命なりけりさやの中山 」(白洲正子『西行』265頁)
「小夜の中山の歌と、富士の歌は、私にはひとつづきのもののように思われてならない。昼なお暗い険阻な山中で、自分の経て来た長い人生を振返って「命」の尊さと不思議さに目ざめた西行は、広い空のかなたに忽然(こつぜん)と現れた霊峰の姿に、無明(むみょう)の夢を醒(さ)まされるおもいがしたのではないか。そういう時に、この歌は、一瞬にして成った、もはや思い残すことはないと西行は感じたであろう。自讚歌の第一にあげた所以(ゆえん)である。(白洲正子『西行』270-271頁) 数年来の望みだった富士山の遥拝が、「霊峰」の懐に抱かれて一夜を明かす希望が、唐突に降って湧いた。「さやの中山」も視野に入っている。一夜の旅寝では納まらず、浮寝の旅に身をやつし、というのが私の願いである。
また、富士山に関する文学作品に触れようと、以下の書籍を注文した。
◇ 千野帽子『富士山』角川文庫
「川端康成、太宰治、新田次郎、尾崎一雄、山下清、井伏鱒二、夏目漱石、永井荷風、岡本かの子、若山牧水、森見登美彦など、古今の作家が秀麗富士を描いた小説、紀行、評論を一堂に集めました。」
◇ 久保田 淳『富士山の文学』角川ソフィア文庫「日本人は富士山に何を感じ、どう心を動かされ、表現してきたのか。文学と自然との関わりに心を寄せる中世文学の泰斗が、『万葉集』『竹取物語』から、松尾芭蕉や小林一茶の俳句、夏目漱石や太宰治などの現代文学まで50作品余を解説する。想像の世界でその美しさを感じることのできた古えの人々と、文明の恩恵によって富士山を見られるようになった現代人。それぞれの心にある「富士山」にふれる、富士山文学鑑賞の決定版。」
◇『富士山の歴史』晋遊舎ムック
◇ 空木哲生『山を渡る -三多摩大岳部録- 4』ハルタコミックス
TWEET「大特集 富士山」
2019/10/16
予約しておいた、
◇『山と溪谷 2019 No.1015 11』山と溪谷社
が昨日届いた。
「大特集 富士山」
「富士山」の「大特集」とあらば、読まねば日本人の沽券に関わると大仰なことを思い、予約した。何項かに目を通した。以降が楽しみである。
そして、これを呼び水に、「信仰の対象と芸術の源泉」である霊峰について思いを巡らせ、裾野を広げたいと思っている。
私には「新春特別号」のように思えてならない。
そして、
◇ 信濃川日出雄『山と食欲と私 9(鮎美の富士山リベンジ編 ①~④)』新潮社
を注文した。
TWEET「大特集 富士山_登拝,遥拝」
2019/10/21
◇『山と溪谷 2019 No.1015 11』山と溪谷社
の、「大特集 富士山」におおよそ目を通した。
「大特集」だった。
「登拝(とはい)」,「遥拝」という言葉を知った。「登拝」はとうていかなわないとしても、P教授から招待券をいただいた、
「白洲正子のライフスタイル 暮らしの遊(すさ)び展」
の往復には、新幹線の車窓から、ぜひ「遥拝」したいものである。
TWEET「ごまめの歯ぎしり」
2020/12/31
このひと月あまり、煤払いをしています。毎日塵埃にまみれています。塵芥(ちりあくた)の類と呼ばれるもまたよし、と思っています。その間乱雑に読み継ぎ読み継ぎ、いま、
◇『山と溪谷 大特集 富士山 2019 No.1015 11』山と溪谷社
◇ 信濃川日出雄『山と食欲と私 9(鮎美の富士山リベンジ編 ①~④)』新潮社
にたどり着きました。一年前と同じ地平に立ち、威容を仰いでいます。
十六夜の月を拝しながら、ごまめの歯ぎしりです。
TWEET「美、その明らかなること」
2021/01/02
昨年来、◇『山と溪谷 大特集 富士山 2019 No.1015 11』山と溪谷社
を読んでいる。
月刊誌「山と溪谷」は広告が多く、ときに「山と広告」と揶揄されるが、「大特集 富士山」はいつになく読みごたえがある。
私の専らの関心事は、
「信仰 霊峰としての歴史」
にあるが、思いがけずも、たとえば、
◇ 葛飾北斎「富士越龍(ふじこしのりゅう)」
というも、
◇ 伝雪舟「富士美保正見寺図(ふじみほのせいけんじず)」
というも、
◇ 棟方志功「富嶽頌 赤富士の柵(ふがくしょう あかふじのさく)」
というも、また、
◇ 横山大観「耀八紘(ようはっこう)」
を見るにつけ、美とは明らかなることである、とつくづく思う。
富士の裾野は広く、この先に広がる沃野を楽しみにしている。
◇ 横山大観「耀八紘(ようはっこう)」
を見るにつけ、美とは明らかなることである、とつくづく思う。
富士の裾野は広く、この先に広がる沃野を楽しみにしている。
◇ 竹谷靭負『富士山文化 ― その信仰遺跡を歩く』祥伝社新書
を注文した。