TWEET「一枝の春を贈らん」

◇ 井筒俊彦『井筒俊彦全集 第六巻 意識と本質 1980年-1981年』 慶應義塾大学出版会
の 166頁には、圜悟克勤禅師の、
「一葉落ちて秋を知る」
の言葉が引かれている。それは、「禅的」「あるいは華厳的」了解の言葉としての引用であるが、むしろ私は叙景詩として読んでいる。禅語は韻文である、と信じている。

 学生時代、「漢文 Ⅰ」の講義で、『詩経』の「桃夭」からはじまる、とんでもない数の漢詩を、松原朗先生に暗記させられた。松原先生には毎回弄ばれていたが、私もなかなかのものだった。あの掛け合いは楽しかった。
 以下、その中の一編である。

 陸凱(りくがい)「贈范曄(はんよう)」             
折花逢駅使   花を折りて駅使に逢ふ
寄与隴頭人   隴頭(ろうとう)の人に寄与せん
江南無所有   江南に有る所無し
聊贈一枝春   聊(いささ)か一枝(いっし)の春を贈らん

「君のもとへ行く使者に逢い、花を折ってあずけた。隴頭の人に渡してほしいと。ここ江南の地には何もないが、とりあえず一枝の春を贈りたい。」
(註)[范曄]398~445。字は蔚宗。南朝・宋の文人、歴史家。『後漢書』の著者として知られる。 
[駅使]駅馬を使う公的な使者。 
[隴頭]隴山のあたり。もとは西域の地名であるが、ここでは范曄のいる長安を指す。

しばらくの間、話題は、「一枝の春」でもちきりだった。