明恵上人「釈迦という美しい人間に恋をした」

◆ 白洲正子『明恵上人』講談社文芸文庫
    記憶のなかにある、白洲正子の幾つか文を訪ねての読書だった。

「明恵が逃れたのは、俗世間だけでなく、仏教からも、宗派からも、『出家』しようとした。そこに彼の独創性はあると私は思っています」(45頁)

「極端なことをいえば、明恵が信じたのは、仏教ではなく、釈迦という美しい一人の人間だったといえましょう」(43頁)

「明恵にとっては、ただ仏だけが真であり、その他のものはすべて、あえていうなら仏法すら、方便の一つにすぎなかった。事新しくいうまでもなく、これは明恵の一生を通じて変らぬ思想であったのです」(172頁)

「( 白上の庵室からのぞむ湯浅湾の) 美しい風景は(自然のなかに文殊菩薩を見たいと願った)彼にとって、ただ楽しむためのものではなく、たえず『見ること』をしいた過酷な存在だったかも知れないのです」(66-67頁)

「心理学者と違う所は、彼の夢は生きていることです。研究の材料ではなく、信仰を深めるための原動力なのであって、夢と日常の生活が、不思議な形でまじり合い、からみ合っていく様は、複雑な唐草文様でも見るようです」(179頁)

「『我ガ死ナムズルコトハ、今日ヲ明日ニツグニコトナラズ』明恵の仏教をついだ人はいなかったかも知れないが、明恵という一つの精神は、数は少なくともそれを伝えた人々によって、私達日本人の中に、『今日ヲ明日ニツグ』が如く生きつづけるでしょう。私はそう信じております」(186頁)


 これらの文は、白洲正子の、明恵上人についての “実感 ” である。白洲正子の明らかさを、目の当たりにした。
「韋駄天お正」の異名をもつ白洲正子の、現地に赴いての見聞は当書においても健在だった。紀行文の要素を多分にもつことは、白洲正子の作品群の大きな特徴となっている。
 最後に引用した文の、「私はそう信じております」にみられる、「おります」の言葉づかいは美しい。これほど美しい「おります」を、私は知らない。白洲正子の言葉に対する感性に敬服する者である。