河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社_はじめに

私の内では、
◇ 白洲正子『明恵上人』新潮文庫
と、
◇ 河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社
とは、ひと続きの図書となっている。が、
◇ 白洲正子『明恵上人』新潮文庫
を読み、ブログも書き終えた翌日(2022/07/15)には急遽、父の、豊橋市民病院・総合診療科の受診につき添うことになった。「抗原検査」からはじまり、会計を終えるまでに 6時間あまり、帰宅するまでには、悠に 9時間を越える長丁場だった。
 消耗し、昨日・一昨日は、読書をする気力がなかった。
 さていまから、重い腰を上げての「読み・書き」である。読書が寸断されずに済んだのは、幸いだったと思っている。


『明恵 夢を生きる』は、1987/04/25 に出版され、間もなく読んだ。学生時代のことだった。明恵上人をはじめて知り、井筒俊彦と出会い、はじめて華厳の世界に触れた。「華厳の世界」(284-290頁)の項に引かれた井筒俊彦の文章は明晰である。その後、井筒俊彦『叡智の台座 ー 井筒俊彦対談集』を求めた。『明恵 夢を生きる』には、白洲正子『明恵上人』新潮社 からのいくつかの引用があるが、白洲正子の作品に親しむようになったのは、ずいぶん経ってからのことである。またその前年には、河合隼雄『宗教と科学の接点』岩波書店(1986/05/15)を読んだ。

 明恵上人は、「十九歳より夢の記録(『夢記(ゆめのき)』)を書きはじめ、死亡する一年前までそれを続けた」。それには、「今日で言う夢の解釈に相当するものを書いている場合もある」。「明恵の『夢記』は、世界の精神史のなかにおいても稀有なものである」と河合隼雄は述べている。
 また河合隼雄は、
「明恵が信じたのは、仏教ではなく、釈迦という美しい一人の人間だったといえましょう」(76頁)
との、白洲正子『明恵上人』の中の一文を引いているが、この一文ほど明恵上人を明らかに評した文を私は知らない。
 ユングのいう「個性化」といい「自己実現」というも、死と再生の物語であり、ときには死を賭す場面もあり、困難な長く険しい道のりである。
 本書は論文調の体裁をとっており、多くの「参考文献」、また「本文索引」が付されているのはありがたい。