TWEET「喉もと過ぎれば」

白洲正子『現代日本のエッセイ 明恵上人』講談社文芸文庫
「仏法に能く達したりと覚しき人は、いよいよ(くの字点)仏法うとくのみなるなり」(「遺訓」124頁)
「我れ常に志ある人に対していふ。仏になりても何かせん。道を成じても何かせん。一切求め心を捨てはてて、徒者(いたづらもの)に成り還りて、ともかくも私にあてがふことなくして、飢え来たれば食し、寒来れば被(かぶ)るばかりにて、一生はて給はば、大地を打ちはづすとも、道を打ちはづすことは有るまじき』(125頁)

『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社
「(竜樹の説くように)仏教要語のすべてにわたって、これを一辺としか認めず、したがって仏・菩薩・菩提・般若波羅蜜までもこれを一辺として、どこまでも「無量般若波羅蜜の相」に迫らなければやまない」( 41頁)

 明恵上人の言葉にしろ、竜樹の、また空外先生の言葉にしろ、ともに味わい深い。喉もと過ぎれば、それらは方便にすぎなかった。
 真理とは身辺にあった。明恵上人にとって、それは生活信条だった。
 行き着く先を、私たちはよくわきまえておく必要があると思っている。(483文字)