「拝復 P教授様_河上肇『老後無事』」

「羨む人は世になくも、
 われはひとりわれを羨む」
河上肇の「老後無事」という題名の詩ですが、所収の詩集を探しています。ご存知ありませんか。



満ち足りた、自足した者の詩(うた)ですね。早速 探してみます。

以下、古書です。お高いですね。

『河上肇詩集』筑摩叢書

「青空文庫」にありました。

◇ 河上肇『閉戸閑詠』
「六月十九日」の日付があります。


以下、引用です。副産物です。蛇足です!?
たとひ力は乏しくも 出し切ったと思ふこヽろの安けさよ。
捨て果てし身の なほもいのちのあるまヽに、
飢ゑ来ればすなはち食ひ、
渇き来ればすなはち飲み、
疲れ去ればすなはち眠る。
古人いふ無事是れ貴人。
羨む人は世になくも、
われはひとりわれを羨む

岩波ジュニア新書『詩のこころを読む』(茨木のり子著)より

 「アンタになんかアタシの気持ちわかんないよ、フン!」
と言われて、ムッとした経験を多くの人が持っていると思う。
 私も一度、友達にそれを言ってしまったことがある。もう何年も前のことなのだが、 友達はそれをずっと悲しんでいたけれど、私はそれを口にしたこと自体、忘れていた。 そのことを友達から伝えられてもやっぱり思い出せず、
「そういや、そんなこともあったような気がする。」
と思った。 その頃、いろいろと落ち込んでいたのを表に出さないようにしていたのに、 私の普段の振る舞いを友達に「乱暴である」と指摘されて切なかった。
 私と友人では環境が違うので、悩んでみせるのも悪いかと、言いかけた愚痴を途中で止めた。 どうしたのかと聞く友達に、私は、
「あなたにはわからないからいいわ。」
と一言つぶやいた。それが友達の胸には重く沈んだ。

 人はそれぞれの社会的背景や家族構成を持っている。 自分にとっては今自分が居る環境が「普通」だから、その感覚で、他人を見ると、奇妙で、納得行かない。

 どんな社会にもヒエラルヒー(階級組織)がある。図にすると、それは三角形で、 下の階層ほど人口が多く、頂点はまさしく「点」なのだ。生きていく前提として、 人は先ず不平等に生まれる。世の中に、完全な横並び社会は存在しない。
 こういう書き方をすると差別肯定論者、 あるいは反資本主義社会的運動団体の回し者と誤解されそうだが、 是非は関係なく、これは今ある「事実」なのだ。

 理想論ではあるが、階級が上なほど、社会的影響力を持っているので、上に位置する人には それを持たない下の人を配慮する「当然の義務」が生じる。

 私は「横並び」が平等だとは思わない。 大金持ちと貧乏人が同じ社会でそれぞれの幸福を求めてあくせくしている。 それが「普通」だと思う。ところが、別階層に属する人の幸不幸を眺めては、 劣等感、優越感を抱く。他人の幸も不幸も、自分を否定している気がするのだ。
「アンタになんかわかんないよ!」
私は敢えてこのセリフは真実だと言う。 日本人に、紛争地域で餓死した人の気持ちはわからない。 飢えた経験がないからだ。経験したことのないものを、真に「わかる」ことなどあり得ない。
 基本的に、人間は自分の気持ちしかわからない。相手の心を読みとる超能力でもない限り、 自分の知識と経験を軸にして、相手の立場を推察するしかない。そして自分自身の深層意識も、 自分では計り知れないのだ。「好き」の本音は「優越感」かもしれず、 「嫌い」の本音は「嫉妬」の可能性もあり、それを自覚することは少ない。
 また、いくら経験をしても何も受け取らず、知識の応用も利かない場合もある。
 言葉で他人を下げれば、相対的に自分が上がる。自分の気持ちの中だけでは、 自分の価値が上がるが、実質的に自分の価値が上がったわけではない。
 「所詮人間なんてそんなもの」
とその卑屈を振り回すこともできるが、私は、
「古人いふ無事是れ貴人。
 羨む人は世になくも、
 われはひとりわれを羨む」
そう思える一瞬を目指していたい。
 著者は戦前活躍した経済学者。左翼の地下活動で約五年の獄中生活を体験した。 出獄後も経済学者としての活動を禁止された。絶望してもおかしくない状況で、この清しい心を保つ強さに憧れる。 「アンタになんかわかんないよ!」
と、言ってしまうのも人間だが、そういう自分を、 より良くしたいと願わずにいられないのも人間らしさである。


上記の、「ジュニア」向けに書かれた文章の意味を解しかねています。寄る年波には勝てない、という証左です。

「二文」の力です。
たいそうなご挨拶、どうもありがとうございました。
くれぐれもご自愛ください。
FROM HONDA WITH LOVE.