TWEET「あれから幾星霜かが過ぎ」

 中学校・理科「天体分野」で、伝えたいことが上手く子どもたちに伝わらず苦戦している。明日三回目の授業に挑む。「天体分野」は立体的、相対的な観点に立って眺めなければならず、時間を要する。
「せめて私だけの時間と労力を費やせば、理解できるはずです」
といってみたところで、今時の子どもたちに「自学自習」といった心がけはみられず、
「私はなんでも解っているような顔をして授業をしていますが、実のところなにも解っていません。私が揺らげば君たちが動揺しますので、ただ精一杯突っ張っているだけのことです」
と、本音を口にしてみたところで、家庭学習ゼロ、受験勉強はすべて塾任せ、といった安易な学習態度は改まらず、先々には、私が揺らぐか、時間切れでやむなく出題予想に奔走するか、といった結末は見え透いており、先の見えたゲームほどつまらないものはない。


小林秀雄『学生との対話』国民文化研究会・新潮社編
「小林秀雄はかくも親切で、熱く、面白く、分かりやすかった!
「まあ、学問をしたいというのは、人間の本能ですからな。学問をしたいのが本能じゃなくなったのは現代ぐらいのもんです。(会場笑)。今は、ただ黙っていたって教えてくれるのだから、学問への欲望がなくなるのですよ。」(75頁)
 私が教えているのは決して学問ではないが、その入り口へと導くもの、との認識はある。
学問をしたいのが本能じゃなくなったのは現代ぐらいのもんです」。それ(昭和36年8月15日 於 長崎県雲仙)から幾星霜かが過ぎ、「現代」とは永遠の今のことであり、小林秀雄のそれを見越しての発言は正しかった、ということなのだろうか。
追伸:「昭和36年8月15日 」とは、私が生まれて間もなくのことであり、決して他人事ではなく、慌てて自戒の言葉とした。

以下、
小林秀雄「学問をしたいというのは、人間の本能ですからな」
です。