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「ブラックバス_’17 夏季シリーズ 第6戦〜最終戦 」

「ブラックバス_’17 夏季シリーズ 第6戦 」 2017/08/28 P池「夜間釣行」 「スピナーベイト」に突如目覚めました。釣れるまで投げ続けます。釣れるまで投げれば、釣れるはずです。命とりになるやも知れません。 ◆F1-1/2-63Xti EXPADA ◆PAGANI P300 CHAMPAGNE GOLD ◇Microcast Spool BC5252R ◇Super ERUPTION Jr. 1/4oz パールチャート アタリ1 すっぽ抜け1 目の前でのバラシ1 上々のすべり出しに気をよくしています。 ◇MOGUL CRANK 47SSR REDHEAD 釣果2 「ブラックバス_’17 夏季シリーズ 第7戦 」 2017/08/29 P池「朝まずめ」 ◆F1-1/2-63Xti EXPADA ◆PAGANI P300 CHAMPAGNE GOLD ◇Microcast Spool BC5252R ◇D-ZONEフライ シングルウィローリーフ カパーフラッシュ(F/R:コッパー) 投げ倒しましたが、生体反応はありませんでした。先が思いやられます。 ◇COMBATCRANK SSR 釣果1 ◇POPX 久々のご登場でしたが、空振りに終わりました。 「ブラックバス_’17 夏季シリーズ 第8戦 」 2017/08/29 P池「深夜釣行」 ◆F1-1/2-63Xti EXPADA ◆PAGANI P300 CHAMPAGNE GOLD ◇Microcast Spool BC5252R ◇V-FLAT POWER BONB 1/4 PHILIPPINE BANANA 依然として無反応です。バスは沈黙を守っています。持久戦です。 ◇バニー54 クラシックリミテッド クリアーイエロー/チャートドリップ ◇COMBATCRANK SSR ◇SEIRA MINNOW 70F  HLチャートクラウン 今期二回目のボウズでした。今夜もラブコールは届きませんでした。 「ブラックバス_’17 夏季シリーズ 第9戦 」 2017/08/30 P池「深夜釣行」 ◆ DESTROYER F5-510Xti(エヴォルジオン) ◆R

「ブラックバス_’17 夏季シリーズ 第5戦 」

2017/08/27 P池 20:00~23:00 「夜間釣行です。本日の第2ラウンドです」 朝まずめの「ボウズ」の連鎖を断ち切るために手堅い釣りをしました。 ◆Be Sticky Trout BST-HM57UL/C(SMITH) ◆17 CALCUTTA CONQUEST BFS HG LEFT ◇ZEAL ◇BEVY PENCIL 60 ◇BEVY POPPER 50 ともに反応がありませんでした。 ◇SEIRA MINNOW 70F  HLチャートクラウン 釣果1 安定した釣果をもたらしてくれます。 ◆HEARTLAND FINESS SPECIAL ◆CALCUTTA CONQUEST 101 ◇Microcast Spool CNQ1054 ◇Rapala CDJ-7 PW ◇Baby X-PLOSE GLX SIGNAL CHART ◆F1-1/2-63Xti EXPADA  ◆Pagani P300 ◇Microcast Spool BC5252R ◇COMBATCRANK SSR  釣果1 ◇MOGUL CRANK 47SSR 釣果1 「釣りは師をとれ」、「釣れるには釣れる訳がある」。朝まずめで出会った父子との会話、また釣法の見物は大いに役立ち、釣果につながりました。

「ブラックバス_’17 夏季シリーズ 第4戦 」

2017/08/27 P池 4:20~6:20 「ボウズでした。連鎖反応を恐れています」 ◆Be Sticky Trout BST-HM57UL/C(SMITH) ◆17 CALCUTTA CONQUEST BFS HG LEFT ◇BEVY PENCIL 60 アタリ1 ◇BEVY POPPER 50 藻の中に潜られ、トラウトロッドでは手荒なまねはできず、立ちつくしていました。「BABY POPX」発売後は、めっきり出番が減りました。久しぶりの感触でした。「BABY POPX」よりも、軽快で派手に飛沫をあげます。 ◆Pagani F1-60Xp THERESE ◆Pagani P200 ◇B'FREEZE 65SP アユ ◇Rapala CDJ-7 PW ◇D-ZONE フライ シングルウィローリーフ クラウン 生体反応がありませんでした。 ◆HEARTLAND FINESS SPECIAL ◆Plugger red right ◇GRIFFON ZERO ◇PROP DARTER 見向きもされず、敗退しました。  どのベイトリールも、いまひとつノビがなく調整が必要です。「Plugger red right」「Pagani P200」、ともに右ハンドルで、繊細な動きが演出できませんでした。選択ミスです。  行く先々で、二人の釣り人にポイント、ポイントに入られ、お手上げ状態でした。帰りがけに聞くと、父子とのことで、琵琶湖の湖西の浜で立ち込んで遠投することが多い、とのことでした。二人とも結構釣っていました。休日の朝、大人気なくも、父子の邪魔をしなくてよかった、と思っています。

「この夏のP教授との対話録です」

「研究三昧圏に突入。あとは、手とワープロに委ねるだけ」 「いよいよ三昧境ですね。あとは手に委ねるだけとは、うらやましいかぎりです」 「ところで、最近の塾長のブログでは、岡潔のものが読ませます」 「小林秀雄の『ゴッホ』を読み、私の手には負えず。気分転換にと思い『季』を読み、思いがけずも岡潔と出会いました。これもなにかのご縁と思い、たいそうな寄り道をしました。その後、『ゴッホ』を再読、三読しましたが、相変わらず、手をこまねいてばかりいます 」 「その後元気ですか? こちらは、学会報告論文の締切りを控え、毎日、崖っぷちで、天国と地獄を味わってます。 人間、崖っぷちに立たないと、物事が本当に見えてこないことが分かります。弱気になるのは簡単ですが、弱気と謙虚さは似て非なるものです。 人生の貴重な時間を学問という贅沢な遊びに費やせる幸福を実感してます。 岡潔流に、『すみれはすみれ』として咲きます」 「一生モノの作業手順を身につけられるように邁進します。 『直ぐやる、必ずやる、出来るまでやる』です」 「『思いたったらすぐ行く、必ず行く、釣れるまで釣る』。貴重な釣りの三原則、どうもありがとうございました」 「数年来関わってきた呼吸法と脳の関係が、やっと腑に落ちました。 本来『脳は積極思考です』。脳の酸欠状態で思考もパワーダウンします。この真理に到達したのが、気功でありヨガです。そして瞑想であり座禅です。 全て、呼吸法(脳への酸素の供給)をベースにしてます。 我々は、脳の3%しか使っていないということは、あとの97%が停止しているのではなく、酸欠で脳細胞の3%しか機能していないということです。 呼吸を制する者は幸いなり。 今日、呼吸法を行ったら瞬く間に幸福感に包まれ、感謝の念で満ちました。 呼吸法の充実で残りの人生は、いよいよワクワクします」 この夏も、P教授からは、いくつもの貴重なお言葉をいただいています。深謝しております。

「拝復 P教授様_いよいよ『天人』ですね」

「緊張した作業中、『真剣になっても、深刻になるな』という、天の声が降りてきました。 一気に目から鱗が落ちました。」 いよいよ「天人」ですね。 「天声人語」、どうもありがとうございました。 追伸:目下、P教授は来たる学会での発表に向けて、学術論文を執筆中です。「静中の動」、ストイックな夏を楽しまれています。

「ブラックバス_’17 夏季シリーズ 第3戦 」

「ブラックバス_’17 夏季シリーズ 第3戦 」 2017/08/26 P池 4:20~6:00 残暑の名残で、夜は蒸し暑く、短時間しか集中できません。この時期の釣行は明け方にかぎります。しかし、それは私の事情であって、バスの食いは夜間に分があるような気がしています。しかし、如何せん、如何せんと、詰め寄られれば、釣り人にもとる、へたれな私は、迷わず朝を選びます。 ◆RAYZ RZ53UL-BC(Twitchin’) ◆17 CALCUTTA CONQUEST BFS HG LEFT ◇BEVY PENCIL 60 アタリ 1 最近はバスにそっぽを向かれていますが、やはり一投目は「BEVY PENCIL 60」と決めています。 ◇SEIRA MINNOW 70 チャートバックパール 釣果 1 今朝は「S」を投げました。全幅の信頼をおいています。信頼しているからこそ、釣れるまで投げられます。釣れるまで投げるから、釣れます。 ◇BABY POPX GLOW CRACK 釣果 1 会心の一撃でした。ポッパーへの反応がよく、次回は「POPX」を投入します。 ◆HEARTLAND FINESS SPECIAL ◆Plugger red right ◇Rapala CDJ-7 PW 着水と同時にバスがアタックしてきました。そのまま右に走られ、なす術もないままに、バスは悠然と逃走していきました。役者の違いを見せつけられました。敵ながら天晴れです。 次回のお手合わせを楽しみにしています。 ◇Baby X-PLOSE GLX SIGNAL CHART 目の前でバラしました。 ◆F1-1/2-63Xti EXPADA ◆Pagani P300  ◇Microcast Spool BC5252R ◇COMBATCRANK SSR ◇BEETLE-X MEGABASS TENTOU  両ルアーとも、見向きもされませんでした。ひどい仕打ちをうけました。 貧果に喘いでいます。じり貧状態です。ボウズの日も近いということなのでしょうか。

「ブラックバス_’17 夏季シリーズの開幕です 」

「’17 夏季シリーズ 緒戦_P池での朝まずめです 」 2017/08/23 ◆Pagani F1-60Xp THERESE ◆Pagani P200 ◇MOGUL CRANK 47SSR レッドヘッド 釣果 2 ◇Baby X-PLOSE GLX SIGNAL CHART 釣果 1 ◇Baby X-PLOSE TRIGGER BELLY 釣果 1 「 Pagani F1-60Xp THERESE」のデビュー戦でした。 2017年07月15日に、 WEBショップ【@ベリーネット】さんで購入したロッドです。二世代目の 「 Pagani F1-60Xp THERESE」です。第一世代の 「Pagani F1-60Xp THERESE」は、軽率にもY君に差し上げてしまい、後悔しての再購入です。「 Pagani P200」の調整に手間どっている間に、「 MOGUL CRANK 47SSR レッドヘッド」で、 三匹バラしてしまいました。 ◆シルファー SYKSi-53UL ◆15 TWIN POWER C2000HGS ◇SEIRA MINNOW 70F  HLチャートクラウン 釣果 1 ひたすら直進するルアーに分があるようです 。 「’17 夏季シリーズ 第二戦_P池への 夜間釣行です 」 2017/08/23 ◆シルファー SYKSi-53UL ◆15 TWIN POWER C2000HGS ◇BABY POPX OC TEASER 釣果 1  久しぶりにトップで出ました。会心の一撃でした。 ◇SEIRA MINNOW 70F HLチャートクラウン 釣果 1  私の定番です。今夜も釣果をもたらしてくれました。 ◆F1-1/2-63Xti EXPADA ◆CALCUTTA CONQUEST 100 ◇Microcast Spool CNQ1054 10LB ナイロンライン ◇アライくん 釣果 1 「MOGUL CRANK 47SSR」「 Baby X-PLOSE」で、 アタリ、バラシ、藻に潜られること数回。なかなかランディングできず、また蒸し暑く、集中力が切れ、階段に座りこんで、なにを期するともなく、「アライくん」を投げて、時折ロッドを動かしていると、出ました。元気のいいバスでした。「アライくん」での初バスでした。満

「一日遅れの処暑の日に、思うのは釣りのことばかりです」

畏友 小林宜央さん(75歳)より、中二生のお孫さんの Y君に、(ブラック)バス釣りを教えてやってほしい、とのご依頼がありました。畏友のお願いとあれば、「初心者に釣りの手ほどきはしないことにしています」、「釣りは一人を楽しむゲームです」、また「『静かなることを学ぶ場』です」と、御託をならべるわけにもいかず、早速ガイド役をひき受けることにしました。 2017/08/21 に、P池に夜間釣行に出かけました。 「SEIRA MINNOW 70S」 「WANDER 60ESG」 で、二匹のバスを手にしました。ステディリトリーブで、「釣れちゃいました」という 釣 りです。 「MOGUL CRANK 47SSR」 にて、アタリがありましたが上手くのらず、 「COMBATCRANK SSR」 「Baby X-PLOSE」 「イモグラブ50」 では、ともに 敗退しました。 私は、三本のロッドを忍ばせていきましたが、車中に置きざりにして、黒子に徹しました。あまりの手持ちぶさたに、煙草をくゆらせてばかりいました。Y君のロッドを拝借し、岸際いっぱいに投げると、ねらい通りに、 「SEIRA MINNOW 70F」 にバスがとびついてきて、ちゃっかり一匹ものにしました。初心者の Y君の目の前でちょっとでき過ぎでした。格好よすぎました。  スピニングタックルのキャスティング法とその精度、またフェザリング。各種ルアーの特性とそれに見合ったロッドワーク。攻め方等々、すべてにおいてこれからの中学生アングラーです。先は長く、天を仰ぎました。  次回は自分の釣りをと思いましたが、この釣 行が呼び水になり、釣り三昧の毎日になるのは危険です。大火傷のもとですが、もはや 頭の中は釣り一色という体たらくで、釣り道具と戯れたり、次回の作戦を頭に描いたりして遊んでいます。  パンドラの箱は開けられたようです。開けられた以上は、それにしたがいます。  「ブラックバス_’17 夏期シリーズ 」のはじまりを予感しています。

小林秀雄「文化という、身にまとった服は脱ぐことはできない」

小林秀雄『人生について』中公文庫  「お月見の晩に、伝統的な月の感じ方が、何処からともなく、ひょいと顔を出す。取るに足らぬ事ではない、私たちが確実に身体でつかんでいる文化とはそういうものだ。古いものから脱却する事はむずかしいなどと口走ってみたところで何がいえた事にもならない。文化という生き物が、生き育って行く深い理由のうちには、計画的な飛躍や変異には、決して堪えられない何かが在るに違いない。私は、自然とそんな事を考え込むようになった。年齢のせいに違いないが、年をとっても青年らしいとは、私には意味を成さぬ事とも思われる。」(「お月見」177頁)  「大分以前の事だが、ある時、田舎にいて、極めて抽象的な問題を考えていた事があった。晩春であった。夜、あれこれと考えて眠られぬままに、川瀬の音を聞いていると、川岸に並んだ葉桜の姿が心に浮んで来た。その時、私たち日本人が歌集を編み始めて以来、「季」というものを編み込まずにはいられなかった、その「季」というものが、やはり、私の抽象的な考えの世界にも、川瀬の音とともにしのび込んで来る、そういう考えが突然浮び、ひどく心が騒ぎ、その事を書いた事がある。私の思索など言うに足らぬものだが、岡(潔)氏の文章を読んでいて、ふと、それが思出され、私の心は動いたのである。」 (「季」181頁)  「(『沈黙の春』の著者である、レイチェル・ルイーズ・)カーソンの眼は、生きた自然の均衡に向けられている。この観念は、自然詩人の誕生とともに古いのである。こういう私達の情緒や愛情に基く観念、と言うより私達の生得の直観と言っていいものが、現代科学者の分析的意識のただ中に顔を出して来るとは面白い事だ。この、私なら審美的と呼びたい単一な直観を、科学者は、自然の複雑な分析や計量によってDDTを発明するように、発明する事は出来まい。恐らく、それは、そっくりそのまま、意識の深部から、意識の表面に顔を出したもの、顔を出してその抵抗性を示したものと言うより他はあるまい。原形質生物から、幾億年もの間、育てられて来た生物の、自然環境に生きる為の動的均衡に酷似した働きが、私達の心的世界にも存する事は疑えないように思われる。」 (「DDT」198-199頁)  各作品とも短編である。そして、三文とも各作品の末尾におかれた結論に相当する部分である。私が三つの文章を並べた意図

小林秀雄「武装しないような間抜けな奴は一匹もいなかった」

小林秀雄「DDT」 小林秀雄『人生について』中公文庫  「DDT(殺虫剤、農薬)の撒布に対して、昆虫界は、突然、前代未聞の反抗を示した。適者生存を説いたダーウィンも、これを見たら胆をつぶしたに違いない。実際、昆虫達は、(『沈黙の春』の著者である、レイチェル・ルイーズ・)カーソンに言わせれば、眼もくらむような早さで武装し始めた。DDTで虱を退治すれば、やがて虱は、DDTの上に卵を生み、子供を平気で育てるようになる。伝染病の媒介者、ペストの蚤、チフスの虱、睡眠病の蝿、熱病のダニにしても、人間が日に毒性を強める薬剤に対して、武装しないような間抜けな奴は一匹もいない事が判明した。そして、この勝負では、というよりこの悪循環ではどうやら、昆虫の方が、いつも一ラウンド先を走っている。DDTの大規模な生産は、医学に於ける抗生物質の多量生産とほとんど時を同じくしたが、決定的と思われたどちらの勝利も、直ぐあやしげなものとなった。」(198頁) レイチェル・カーソンについては、中三生の英語の教科書で知った。中学校の英語の教材としては、高級な内容のものだった。早速『沈黙の春』新潮文庫 を求めたが、積読したままで今にいたっている。 "Silent spring" means "a spring without life.” 「沈黙の春」とは、「生命なき春」を意味する。 という一文が印象に残っている。下記、その抜粋である。懐かしく読んだ。 『NEW HORIZON 3』東京書籍(平成14年2月10日 発行) 「She’s(Rachel Carson) the scientist who wrote Silent Spring. (中略) It's a book about environmental pollution. Carson was a scientist who wrote about the danger of farm chemicals. Few people worried about it in the 1950s. In 1962 she finished her book Silent Spring. "Silent spring" means "a spring witho

「拝復 Nさんへ_知床の大自然を満喫してください」

たらいの中には金魚と水草、外にはムラサキツユクサでしょうか。涼しげなお手紙、どうもありがとうございました。 父は入院中のため、早速私が開封し、読ませていただきました。父には明日届けます。こまやかなお心配り、どうもありがとうございました。 二か月間にわたっての長すぎる夏休みと、あったのか、なかったのか、よくわからない釧路の夏に頭が混乱しています。 今頃は食事を終え、部屋でくつろいでいるころでしょうか。ひき続き、知床の大自然を満喫してください。 Dちゃんに、またお父さんに、よろしくお伝えしてください。 では、では。 学生時代最後の夏をぞんぶんにお楽しみください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 P教授様_今日の発句は明日の辞世」

「きのうの発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世、我れ生涯に言い捨てし句、一句として辞世ならざるはなし」 芭蕉 「おくのほそ道」は、命懸けの旅だったんですね。道中で見た「天の川の風景」にも、予感するものがあったのでしょう。 気合が違いますね。「懸命」なることを心がけます。 ひき続きストイックな夏を、お楽しみください。 どうもありがとうございました。 「人生のサイズは、思考のサイズ」 「思考は現実化する」ですね。 「人は、その思考にふさわしい人生にしか遭遇しない」 小林秀雄も似たようなことをどこかでいっていましたね。 思考を見つめ直します。デザインし直します。 今日もまた、どうもありがとうございました。 「たちまちのうちに論文の全体像がみえ」とは、いよいよ三昧境ですね。あとは手に委ねるだけですね。うらやましいかぎりです。 小林秀雄の「ゴッホ」を読み、途方にくれ、気分転換にと思い、「季」を読み、思いがけずも岡潔に出会いました。これもなにかのご縁と思い、たいそうな寄り道をしました。その後、「ゴッホ」を再読、三読しましたが、あいかわらず、如何せん、如何せんと、手をこまねいています。 ブログをご覧になっていただき、どうもありがとうございました。 盛夏をやり過ごし、すこし過ごしやすくなりましたが、ひき続き自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「いまだ改悛の念は抱かず」

 このごろでは、まず、病院の喫茶室で、アイスコーヒーを注文し、読書をしたり、作文の構想を練ったり、推敲をしたり。ときには、なにをするともなくボーッとしながら、一時間ほど過ごしています。その後、いったん外に出て、域内禁煙の駐車場の片隅にて一服し、父の病室へと向かいます。  あくまでも、喫茶、喫煙が先、見舞いは後です。これが私の順当な順位です。  この順位は早くも習い性となり、もちろん父は、そんなこととはつゆ知らず、毎日のこととて、しきりに恐縮しておりますが。そんな父の姿をみて、多少の後ろめたさは感じるものの、いまだ改悛の念を抱くまでにはいたっておりません。

Anniversary「閲覧数が 8,0000 件を超えました」

前略  閲覧数が 8,0000件を超え、8,0005 件になりました。    最近では、EU加盟各国の方々の閲覧が増え、時差が気になるようになりました。  24時制ならぬ、33時制で計算しています。33時とは、 33時=24時間+9時間(英国と日本の時差) のことです。現在の日本時間を、33時制で、x 時とすれば、 x−9 で、英国時間が簡単に求められますが、まだ面倒なので、 x−10+1 という計算式で求めています。フランスならば、2を足すことになります。  これで「時差ボケ」が解消されたかといえば、そうとばかりもいえず、各国の現地での生活時間を思い、また、日本は常にフランスの8時間先をいき、日本人がみすみすやり過ごしてしまった8時間を、フランス人は、不甲斐なく思い、優位な位置に立って過ごすことができるのか。収支はあっているのか。その間にも日本の時計はやすみなく時を刻み、と思うと、いよいよ「時差ボケ」は悪化し、頭は混乱をきたすばかりです。 とにもかくにも。 今後ともよろしくお願いいたします。 草々

岡潔「たちまちのうちに解るとき」

岡潔「宗教と数学」 岡潔『春宵十話』角川文庫 岡潔は、「数学的発見」をするためには、「発見の前」の「緊張と」、「それに続く一種のゆるみが必要ではないかと」述べている。そして、八つの体験をあげている。(33頁) 「もう一つはレマン湖畔のトノム村から対岸のジュネーブへ日帰りで見物に行こうと船に乗ったときで、乗ったらすぐわかってしまった。自然の風景に恍惚としたときなどに意識に切れ目ができ、その間から成熟を待っていたものが顔を出すらしい。そのとき見えたものを後になってから書くだけで、描写を重ねていけば自然に論文ができ上がる。」(34頁) 岡潔は上記のような発見を「インスピレーション型の発見」とよんでいるが、以下の発見は、様相を異にしている。 「終戦の翌年宗教に入り、なむあみだぶつをとなえて木魚をたたく生活をしばらく続けた。こうしたある日、おつとめのあとで考えがある方向へ向いて、わかってしまった。このときのわかり方は以前のものと大きくちがっており、牛乳に酸を入れたときのように、いちめんにあったものが固まりになって分かれてしまったといったふうだった。それは宗教によって境地が進んだ結果、物が非常に見やすくなったという感じだった。だから宗教の修行が数学の発展に役立つのではないかという疑問がいまでも残っている。」(35-36頁)  「文化の型を西洋流と東洋流の二つに分ければ、西洋のはおもにインスピレーションを中心にしている。 (中略) これに対して東洋は情操が主になっている。 (中略) 木にたとえるとインスピレーション型は花の咲く木で、情操型は大木に似ている。  情操が深まれば境地が進む。これが東洋的文化で、漱石でも西田幾多郎(にしだきたろう)先生でも老年に至るほど境地がさえていた。」(36頁) 私もささいなことならば何度か経験しているが、要諦はつかず離れずということだと思っている。残念ながら「情操が深まれば境地が進む」という経験はまだない。要諦は、「どうしようもない哀しさ」とのつき合い方の問題で あると感じている。

岡潔「数学に最も近い職業は百姓だといえる」

岡潔「自然に従う」 岡潔『春宵十話』角川文庫  「数学は語学に似たものだと思っている人がある。 (中略) 語学と一致している面だけなら数学など必要ではない。それから先が問題なのだ。人間性の本質に根ざしておればこそ、六千年も滅びないできたのだと知ってほしい。  また、数学と物理は似ていると思っている人があるが、とんでもない話だ。職業にたとえれば、数学に最も近いのは百姓だといえる。種をまいて育てるのが仕事で、そのオリジナリティーは「ないもの」から「あるもの」を作ることにある。数学者は種子を選べば、あとは大きくなるのを見ているだけのことで、大きくなる力はむしろ種子の方にある。これにくらべて理論物理学者はむしろ指物師に似ている。人の作った材料を組み立てるのが仕事で、そのオリジナリティーは加工にある。理論物理はド・ブローイ、アインシュタインが相ついでノーベル賞をもらった一九二0年代から急速にはなばなしくなり、わずか三十年足らずで一九四五年には原爆を完成して広島に落した。こんな手荒な仕事は指物師だからできたことで、とても百姓にできることではない。いったい三十年足らずで何がわかるだろうか。わけもわからずに原爆を作って落としたのに違いないので、落とした者でさえ何をやったかその意味がわかっていまい。」(47頁) 小林秀雄「季」 小林秀雄『人生について』中公文庫  「私は、氏の言うところを、はっきり理解したとは言わないが、これは、数式ではなく文章なのである。極めて専門的な数学的表現の生れる境地を語るのに、岡氏が何ら専門的な工夫を必要としていない限り、私には、その境地の性質が直覚できる。数という種子をまき、目を閉じて考える純粋な自足した喜びを感ずる事が出来る。数学の極意は、計量計算の抽象的世界にはないらしい。岡氏の文章は、瞑想する一人の人間へ、私を真っすぐに連れて行く。そういう人間の喜びを想 っていると、ひたすら事実と行動との尊重から平和を案じ出そうとする現代の焦燥は、何か全く見当が外れているようにも思われて来る。」(180頁) 下記、 小林秀雄「瞑想という純粋な自足した喜び」 です。

岡潔「情緒、その人の中心をなすもの」

岡潔『春宵十話』角川ソフィア文庫  「その私が急に少しお話ししようと思い立ったのは、近ごろのこのくにのありさまがひどく心配になって、とうてい話しかけずにはいられなくなったからである。その結果がこの小冊子となった。」(3-4頁) と、岡潔が「はしがき」に記したのは、1963年、63歳のときのことである。翌年には東京オリンピックが開かれ、東海道新幹線が開通し、高度経済成長まっただ中のことだった。  下記、「春宵十話」より、教育に関する岡潔の発言である。図らずも長い引用になってしまったが、かりそめにも教育界の端くれに位置する私の、岡潔の真意に触れていただきたいという願いの表れである。  「人の中心は情緒である。情緒には民族の違いによってろいろな色調のものがある。たとえば春の野にさまざまな色どりの草花があるようなものである。」(「はしがき」3頁)  「人に対する知識の不足が最もはっきり現われているのは幼児の育て方や義務教育の面ではなかろうか。(中略)早く育ちさえすればよいと思って育てているのがいまの教育ではあるまいか。(中略)成熟が早くなるということに対してもっと警戒せねばいけない。すべて成熟は早すぎるよりも遅すぎる方がよい。これが教育というものの根本原則だと思う。」(10頁)  「どうもいまの教育は思いやりの心を育てるのを抜いているのではあるまいか。そう思ってみると、最近の青少年の犯罪の特徴がいかにも無慈悲なことにあると気づく。これはやはり動物性の芽を早く伸ばしたせいだと思う。学問にしても、そんな頭は決して学問には向かない。」(11-12頁)  「いま、たくましさはわかっても、人の心のかなしみがわかる青年がどれだけあるだろうか。人の心を知らなければ、物事をやる場合、緻密さがなく粗雑になる。粗雑というのは対象をちっとも見ないで観念的にものをいっているだけということ、つまり対象への細かい心くばりがないということだから、緻密さが欠けるのはいっさいのものが欠けることにほかならない。長岡半太郎(ながおかはんたろう)さんが寺田寅彦先生の緻密さについてふれていたが、文学の世界でも、寺田先生の「藪柑子集(やぶこうじしゅう)」特にその中の「団栗」ほどの緻密な文章はもういまではほとんど見られないのではなかろうか。」(12頁)  「頭で学問をするものだという一般の

小林秀雄「瞑想という純粋な自足した喜び」

小林秀雄「季」 小林秀雄『人生について』中公文庫 「瞑想という言葉があるが、もう古びてしまって、殆ど誰も使わないようになった。言うまでもなく瞑とは目を閉じる事で、今日のように事実と行動とが、ひどく尊重されるようになれば、目をつぶって、考え込むというような事は、軽視されるのみならず、間違った事と考えられるのが当然であろう。しかし、考え詰めるという必要が無くなったわけではあるまいし、考え詰めれば、考えは必然的に瞑想と呼んでいい形を取らざるを得ない傾向がある事にも変わりはあるまい。事実や行動にかまけていては、独創も発見もないであろう。そういう不思議な人間的条件は変更を許さぬもののように思われる。(179頁) 「数という種子をまき、目を閉じて考える純粋な自足した喜びを感ずる事が出来る。数学の極意は、計量計算の抽象的世界にはないらしい。岡(潔)氏の文章(「春宵十話」)は、瞑想する一人の人間へ、私を真っすぐに連れて行く。そういう人間の喜びを想っていると、ひたすら事実と行動との尊重から平和を案じ出そうとする現代の焦燥は、何か全く見当が外れているようにも思われて来る。(180頁)  小林秀雄のいう「事実」とは、視認可能なもの、手を伸ばせば届くもの、即物的なもの、間にあわせのもの、既製の品、科学的事実、といったほどの意であろうか。また、「行動」の対義語は、「徐(しず)かなること林の如く」とでもいえば解りやすいかと思う。  「 目を閉じて考える という純粋な自足した喜び」とは、至福のときである。こういった喜びを知らない人たちを、気の毒に思う。私ごときが、大仰に構えるわけにもいかず、口幅ったいことをいうのも気がひけるので、「気の毒に思う」とだけ申し上げておく。

岡潔「一つ季節を廻してやろう、という岡潔の気宇壮大」

小林秀雄「季」 小林秀雄『人生について』中公文庫 岡潔「発見の鋭い喜び」 岡潔「自然に従う」 岡潔『春宵十話』角川文庫 「数学の世界で、大戦前からそうであったが、戦後著しくなったのは、仕事がいよいよ抽象化される傾向だそうである。『風景で言えば、冬の野の感じで、カラッとしており、雪も降り、風も吹く。こういうところもいいが、人の住めるところではない』と岡氏は言う。『そこで私は一つ季節を廻してやろうと思って、早春の花園のような感じのものを二、三続けて書こうと思い立った。その一つとして、フランス留学時代の発見の一つを思い出し、もう一度とりあげてみたが、あのころわからなかったことが、よくわかるようになり、結果は格段に違うようだ。これが境地が開けるということだろうと思う。だから欧米の数学者は年をとるといい研究が出来ないというけれども、私はもともと情操型の人間だから、老年になればかえっていいものが書けそうに思える。欧米にも境地が深まっていく型の学者がいるが、それをはっきりとは自覚していないようだ』」(181頁) 地球を鷲づかみにし、その運行を冬から春まで、1/4 周進めようという岡潔の構想は気宇壮大である。 その凄腕は、「ピカソの腕力」( 「小林秀雄、梅原龍三郎とピカソの腕力を語る」 )に匹敵するものである。  上記の岡潔の文章は、新聞紙上に連載された「春宵十話」からの、小林秀雄による引用である。「春宵十話」は、「毎日新聞社の松村洋(まつむらひろし)君がまとめて文につづった」、岡潔の聞き書きである。  早速購入し、角川文庫で読んだ。  「数学は語学に似たものだと思っている人がある。 (中略) 語学と一致している面だけなら数学など必要ではない。それから先が問題なのだ。人間性の本質に根ざしておればこそ、六千年も滅びないできたのだと知ってほしい。」(47頁)  「春宵十話」には「情操」という言葉が頻繁に登場する。  「情操が深まれば境地が進む。これが東洋的文化で、漱石でも西田幾多郎(にしだきたろう)先生でも老年に至るほど境地がさえていた。」(36頁)  数学が、「人間性の本質に根ざして」いるものならば、それは「情操」の学問であるといえよう。数学から、人間の「境地が深まっていく」過程をみることは、私にはできるはずもないが、これは他の学問領域にも敷衍できる

「前略 H君へ_残暑、また陣中お見舞い申し上げます」

おはようございます。 昨夕お父さんから電話があり、少しだけお話を聞きました。 以降、(高校球児から受験生へと )急激な生活環境の変化にともない、脳内は混乱をきたし、体は戸惑い、いまだそのざわめきはおさまらず。落ち着きを欠いていることと推察しております。身体の悲鳴が聞こえてくるような感触を抱いています。自己嫌悪、焦燥、劣等感。自分をいじめることはすべて禁物です。もちろん過度の負荷も禁忌事項です。長丁場です。くれぐれもご自愛ください。 受験時には、また、根をつめて仕上げる必要にかられた際には、朝起きると、 「今日もまた、昨日と同じような日の繰り返しか!」 「今日もか!」 「明日もか!」 「毎日か!」 とよく思ったものです。受験勉強一色の毎日はつらいですね。 「TAKE IT EASY!」 「GOOD LUCK!」 「TAKE CARE!」 とだけ書き添えておきます。 ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 P教授様_今年もまたお盆がきます」

たびたびのお見舞い、どうもありがとうございます。 父は安静にしていることが唯一の治療法です。完治後、転院してのリハビリに時間がかかりそうです。看護師の皆さん方は、そろってきれい好きで、容赦なく、おかまいなく。おかげで、洗濯ばかりの毎日です。病院内の喫茶室で、一時間ほど読書をしています。さすがに清潔です。 P科受診後、帰路 P池のご機嫌をうかがいにいきました。「法師蝉(つくつく法師)」が鳴きしきり、堤の草原を歩くと、行く先々で「精霊バッタ」がみごとな跳躍をみせ、今年もまた「お盆がきます」。 ストイックなお盆休みを、有意なものにしてください。 お便り、どうもありがとうございました。 残暑きびしき折、くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

中原中也「ああ、ボーヨー、ボーヨー」

小林秀雄「中原中也の思い出」  小林秀雄『人生について』中公文庫 「晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠の散るのを黙って見ていた。花びらは死んだ様な空気の中を、まっ直ぐに間断なく、落ちていた。樹蔭の地面は薄桃色にべっとりと染まっていた。あれは散るのじゃない、散らしているのだ、一とひら一とひらと散らすのに、屹度順序も速度も決めているに違いない、何んという注意と努力、私はそんな事を何故だかしきりに考えていた。驚くべき美術、危険な誘惑だ、俺達にはもう駄目だが、若い男や女は、どんな飛んでもない考えか、愚行を挑発されるだろう。花びらの運動は果しなく、見入っていると切りがなく、私は、急に厭な気持ちになって来た。我慢が出来なくなって来た。その時、黙って見ていた中原が、突然「もういいよ、帰ろうよ」と言った。私はハッとして立上り、動揺する心の中で忙し気に言葉を求めた。「お前は、相変らずの千里眼だよ」と私は吐き出す様に応じた。彼は、いつもする道化た様な笑いをしてみせた。   二人は、八幡宮の茶店でビールを飲んだ。夕闇の中で柳が煙っていた。彼は、ビールを一と口飲んでは、「ああ、ボーヨー、ボーヨー」と喚いた。「ボーヨーって何んだ」「前途茫洋さ、ああ、ボーヨー、ボーヨー」と彼は眼を据え、悲しげな節を付けた。私は辛かった。詩人を理解するという事は、詩ではなく、生れ乍らの詩人の肉体を理解するという事は、何んと辛い想いだろう。彼に会った時から、私はこの同じ感情を繰返し繰返し経験して来たが、どうしても、これに慣れる事が出来ず、それは、いつも新しく辛いものであるかを訝った。彼は、山盛りの海苔巻を二皿平げた。私は、彼が、既に、食欲の異常を来している事を知っていた。彼の千里眼は、いつも、その盲点を持っていた。彼は、私の顔をチロリと見て、「これで家で又食う。俺は家で腹をすかしているんだぜ。怒られるからな」、それから彼は、何んとかやって行くさ、だが実は生きて行く自信がないのだよ、いや、自信などというケチ臭いものはないんだよ、等々、これは彼の憲法である。食欲などと関係はない。やがて、二人は茶店を追い立てられた」(72-73頁) 「ボーヨー、ボーヨー。前途茫洋」とは真理であり、「自信がある」といい、「自信がない」というも、「自信などという」つまらないものは、いつも「ケチ臭い」。中原中也の口をついて出ることば

小林秀雄「中原中也の思い出」

「中原中也の思い出」 小林秀雄『人生について』中公文庫  「中原に最後に会ったのは、狂死する数日前であった」(74頁)とは、凄絶な一文である。    汚れつちまつた悲しみに    今日も小雪の降りかかる    汚れつちまつた悲しみに    今日も風さへ吹きすぎる  中原の心の中には、実に深い悲しみがあって、それは彼自身の手にも余るものであったと私は思っている。彼の驚くべき詩人たる天資も、これを手なずけるに足りなかった。彼はそれを「三つの時に見た、稚厠(おかは)の浅瀬を動く蛔虫(むし)」と言ってみたり、「十二の冬に見た港の汽笛の湯気」と言ってみたり、果ては、「ホラホラ、これが僕の骨だ」と突き付けてみたりしたが駄目だった。言い様のない悲しみが果しなくあった。私はそんな風に思う。彼はこの不安をよく知っていた。それが彼の本質的な抒情詩の全骨格をなす。彼は、自己を防禦する術をまるで知らなかった。世間を渡るとは、一種の自己隠蔽術に他ならないのだが、彼には自分の一番秘密なものを人々と分ちたい要求だけが強かった。その不可能と愚かさを聡明な彼はよく知っていたが、どうにもならぬ力が彼を押していたのだと思う。 (中略) 汚れっちまった悲しみに…これが、彼の変らぬ詩の動機だ、終りのない畳句(ルフラン)だ」(74-75頁) 「詩もとうとう救う事が出来なかった彼の悲しみを想うとは。それは確かに在ったのだ。彼を閉じ込めた得態の知れぬ悲しみが。彼は、それをひたすら告白によって汲み尽くそうと悩んだが、告白するとは、新しい悲しみを作り出す事に他ならなかったのである。彼は自分の告白の中に閉じこめられ、どうしても出口を見附けることが出来なかった。彼を本当に閉じ込めている外界という実在にめぐり遭う事が出来なかった」(76頁)  「彼を本当に閉じ込めている外界という実在にめぐり遭う事が出来なかった」とは、人やもの、こととの関係を著しく欠いていたということであろう。身体の感覚が怪しく、たゆたうような人生を送ったことがうかがえる。時に救いの対象ともなる「外界という実在」と没交渉のままに、心の内奥に巣くった「汚れつちまつた悲しみ」と対峙し続けた生涯。  「驚くべき詩人たる天資も」「手なずけるに足りなかった」「 得態の知れぬ悲しみ 」を、目の前にさし出されると、いたたまれなくなる。  三十歳という若

「2017/08/03_Anniversary_Two Years Old」

大切な「記念日」さえ忘れるままに、惚(ほう)けていました。また、翌日には父が入院し、あわただしく、めまぐるしく、顧みることもなく、今日にいたってしまいました。六日遅れの「誕生日」です。うかつでした。不覚でした。 ブログを書きはじめて、もう二年。まだ二年。やはり、早二年の感慨があります。なにをしても、なにをしなくても、時の流れは容赦なく、非情です。 今春、懸念の、「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」(卒業論文)の活字化を終えたことは、大きな収穫でした。塾を畳んだ合い間を縫っての、三か月間のやっつけ仕事でした。さすがに消耗しました。 模様替えが必要なことは、承知しています。自覚しつつ幾星霜、馬齢ばかりを重ねる愚かさを思います。「埋め草原稿」ばかりを書いていてもなにもはじまりません。着手のときです。 要は、定期的にのぞいてくれる訪問者数であり、検索した際に、最上位または上位に位置するブログの数です。書籍からの引用を極力ひかえようと考えています。引用によって、インターネット空間をより豊かなものに、といった殊勝な考えは、分不相応であり、私の柄ではありません。 このごろでは、閲覧者の方たちの顔ぶれが多彩になってきました。EU加盟各国の方たちの閲覧が増えました。理由は定かではありませんが、ありがたいことです。 しばらくお休みを余儀なくされていた、今夏の課題、「小林秀雄とその近辺」についての感想文を書き継ぎます。 投稿総数:1414 閲覧総数:79591 です。 今後ともよろしくお願い申し上げます。また、残暑きびしき折、くれぐれもご自愛ください。

「一日遅れの立秋の日に思う」

昨日は「立秋」でした。思いがけずも、台風が脇を通過し、夜来暴風雨に見舞われました。台風5号が秋をもたらす、とはとても考えられず、時候の挨拶こそ、「暑中見舞い」から「残暑見舞い」にかわりましたが、いぜん「夏季見舞い」は、「夏季見舞い」のままです。 今夜は満月です。 月の出が「19:09」 日の入りが「18:49」 です。 季節こそ違え、 「菜の花や月は東に日は西に」 与謝蕪村 の構図がのぞまれます。 「東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ」 柿本人麻呂 の壮大な光景は、まだ明けやらぬ時節のことでしたが、眠り呆けていました。 最後になりましたが、 残暑きびしき折、くれぐれもご自愛ください。

「小林秀雄、梅原龍三郎とピカソの腕力を語る」

「梅原龍三郎 美術を語る」 『直観を磨くもの ー 小林秀雄対談集 ー』新潮文庫(321-325頁) 小林 ぼくはピカソという人は、だいたい文学的な人だと思うんですがね、初めからの画を見ると。 梅原 そう。初めごろの画は、文学的というか…。 小林 一種センチメンタルなものがあるでしょう。一種の妙な、浪漫派文学みたいなものがね。 梅原 やっぱりスペイン人の血っていうものが、ハッキリとあるんじゃないかと思うんだけどね。(後略) 小林 ぼくはピカソのああいうセンチメンタルな、浪漫派文学みたいな、若いころのものは、あの人が何をやろうが、決して消えていないと思うんですよ。 (中略) 小林 ピカソという人は、もっと眼が悪いとか手が悪いとかなら別だけれども、手と眼がたいへんな技巧だもんだから、あれだけやれるんじゃないかな。 梅原 とにかく何をやっても人をひきつける力があるんだから、やはり腕力の物凄(ものすご)いやつだと思うな。(笑う) (中略) 梅原 デッサン力は非常に強くてね、デッサンがうまいのは、近世で一番て言っちゃヘンだけど、現代で一番うまいと思うな。 小林 あたしもそんなふうな気がする。実にうまい。 梅原 写実的なものを描くと、そのうまさがハッキリするな。ずいぶんヘンテコなものを描いてもうまいんだしね。その点、あれは恐ろしいやつだと思うな。 小林 魔法使いみたいな腕ですな。あの腕は確かに純粋に画書きの腕で…。何んでも出来るから何んでもやっちゃった、ということでしょうね、あの人はそういう腕があるから画書きとしているんでね。案外、ぼくは詰らん男みたいな気がするんです。そういうふうにぼくは考えるんですがね、どうも言葉が足りない。 梅原 いや、ぼくにはその気持ちは判るな。 (中略) 梅原 みんなと同じようなことをやってるのは面白くない、というようなことを、若いころから言っていて、それがね、あいつ、腕力が強いから、余裕をもって何んでもやれるんでね。 小林 そういう所は偉いな。あの線というのは、ぼくは偉いものだと思う。ほんとに、物を見たまま手が動いちゃうようなものですな。 梅原 そういうものだ。 小林 眼と同じような早さで動いてるような線ですな、あの線は。 梅原 一代の化けものみたいなやつだと思うけどね、あれは。 小林 ぼくはある人のピカソに関する本を読んでいたら、若いころ

「拝復 Nさんへ_過酷な試験でしたね」

集団・個人面接では、しっかりした受け応え、また自分の意見をきちんと述べることができて、よかったですね。それにしても過酷な試験でしたね。僕ならば間違いなくスルーします。 ご存知かと思いますが、父は一昨日の夕方転倒し、骨盤の左右の下部に4か所ヒビが入り、目下入院療養中です。痛みのひくのを待って、リハビリ専門病院へ転院することになっています。なにをするわけでもなく、安静にしていることが唯一の治療法です。119番に電話をするのも、救急車で搬送していただくのも、ご近所の方々の好奇の目にさらされるのも、すっかり慣れっ子になってしまいました。 とにかく、ゆっくりしてくださいね。一気に緊張から解かれ、どっと疲れがでるような気がしています。くれぐれもおだいじになさってください。ご自愛ください。 お疲れのなか、ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 「出世払い」という名の、「ぼったくり」の「無銭旅行」の行方を楽しみにしております。 とにかく無事終わってよかったですね。教員採用試験の勉強に費やした時間を、この夏に一気にとり返してしてください。収支を合わせて下さい。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 P教授様_『新(あらた)しき夏』を模索す、です」

ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。だいぶ痛みがひいた、とのことでした。安静が唯一の治療法です。 私にできることは、父のご機嫌うかがいと洗濯だけです。 ご難つづきで、なかなか融通無碍とはいきません。不自由な生活を強いられています。 が、みすみす夏をやり過ごすわけにはいかず、父の入院生活を最優先に、「新(あらた)しき夏」を、模索します。 では、では。 すてきな週末をお過ごしください。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

柳田國男「小屋の口一ぱいに夕日がさして居た」

小林秀雄「信ずることと知ること」 小林秀雄『人生について』中公文庫  柳田さんの話になったので、ついでにもう一つお話ししましょう。柳田さんに「山の人生」という本があります。山の中に生活する人の、いろいろな不思議な経験を書いている。その冒頭に、或る囚人の話を書いている。それを読んでみます。 「今では記憶して居る者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であつた年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞(まさかり)で斫(き)り殺したことがあつた。  女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あつた。そこへどうした事情であつたか、同じ歳くらゐの小娘を貰つて来て、山の炭焼小屋で一緒に育てゝ居た。 其(その)子たちの名前はもう私も忘れてしまつた。何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかつた。最後の日にも空手で戻つて来て、飢ゑきつて居る小さい者の顔を見るのがつらさに、すつと小屋の奥へ入つて昼寝をしてしまつた。  目がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさして居た。秋の末の事であつたと謂ふ。二人の子供がその日当りの処にしやがんで、頻りに何かして居るので、傍へ行つて見たら一生懸命に仕事に使ふ大きな斧を磨いて居た。阿爺(おとう)、此(これ)でわしたちを殺して呉れと謂つたさうである。さうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たさうである。それを見るとくらくら(表記は「くの字点」です)として、前後の考も無く二人の首を打落してしまつた。それで自分は死ぬことが出来なくて、やがて捕へられて牢に入れられた」 「山の人生」は大正十四年に書かれているが、その当時の思い出が「故郷七十年」の中で語られている。明治三十五年から十余年間、柳田さんは法制局参事官の職にあって、囚人の特赦に関する事務を扱っていたが、この炭焼きの話は、扱った犯罪資料から得たもので、これほど心を動かされたものはなかったと言っている。「山に埋もれた人生」を語ろうとして、計らずも、この話、彼に言わせれば、「偉大なる人間苦の記録」が思い出されたというわけだったのです。(240-241頁)  子どもたちの姿は終始静かである。  「みんなと一緒に生活して行く為には、先ず俺達が死ぬのが自然であろう。自然人の共同生活のうちで、幾万年の間磨かれて

柳田國男「その時鵯が高空で、ぴいッと鳴いた」

小林秀雄「信ずることと知ること」 小林秀雄『人生について』中公文庫 「その時鵯が高空で、ぴいッと鳴いた。その鵯の声を聞いた時に、はっと我に帰った。そこで柳田(國男)さんはこう言っているのです。もしも、鵯が鳴かなかったら、私は発狂していただろうと思う、と。  私はそれを読んだ時、感動しました。柳田さんという人が分ったという風に感じました。鵯が鳴かなかったら発狂したであろうというような、そういう柳田さんの感受性が、その学問のうちで大きな役割を果たしている事を感じたのです。柳田さんには沢山の弟子があり、その学問の実証的方法は受継いだであろうが、このような柳田さんが持って生れた感受性を受継ぐわけにはまいらなかったであろう。それなら、柳田さんの学問には、柳田さんの死とともに死ななければならぬものがあったに違いない。そういう事を、私はしかと感じ取ったのです。」(238頁) 「柳田さんは、後から聞いた話だと言って、おばあさんは中風になって寝ていて、いつもその蠟石を撫でまわしていたが、お孫さんが、おばあさんを祀るのなら、この珠が一番よろしかろうと考えて、祠に入れてお祀りしたと書いている。少年が、その珠を見て怪しい気持ちになったのは、真昼の春の空に星のかがやくのを見たように、珠に宿ったおばあさんの魂を見たからでしょう。柳田さん自身それを少しも疑ってはいない。疑っていて、こんな話を、「ある神秘な暗示」と題して書ける筈がないのです。」(238-239頁) 「尤も、自分には痛切なものであったが、こんな出来事を語るのは、照れ臭かったに違いない。だから、布川時代の思い出は、「馬鹿々々しいといふことさへかまはなければ、いくらでもある」と断って、この出来事を語っている。こういう言い方には、馬鹿々々しいからと言って、嘘だとは言えません、という含みがあります。自分は、子供の時に、一と際違った境遇に置かれていたのがいけなかったのであろう、幸いにして、其後実際生活の上で苦労をしなければならなくなったので、すっかり布川で経験した異常心理から救われる事が出来た、布川の二年間は危かった、と語っている。」(239頁) 「自分が確かに経験したことは、まさに確かに経験した事だという、経験を尊重するしっかりした態度を現したものです。自分の経験した直観が悟性的判断を越えているからと言って、この経験を軽んずる理由に

「実朝の天凛と小林秀雄の天才の交感」

小林秀雄『実朝』 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫 「いかにも独創の姿だが、独創は彼の工夫のうちにあったというより寧(むし)ろ彼の孤独が独創的だったと言った方がいい様に思う。自分の不幸を非常によく知っていたこの不幸な人間には、思いあぐむ種はあり余る程あったはずだ」(124頁) 「彼は確かに鋭敏な内省家であったが、内省によって、悩ましさを創(つく)り出す様な種類の人ではなかった。確かに非常に聡明(そうめい)な人物であったが、その聡明は、教養や理性から来ていると言うより寧(むし)ろ深い無邪気さから来ている。僕にはそういう様に思われる」(136頁)  「彼の歌は、彼の天凛の開放に他ならず、言葉は、殆ど後からそれに追い縋(すが)る様に見える。その叫びは悲しいが、訴えるのでもなく求めるのでもない。感傷もなく、邪念を交えず透き通っている。決して世間というものに馴(な)れ合おうとしない天凛が、同じ形で現れ、又消える。彼の様な歌人の仕事に発展も過程も考え難い。彼は、常に何かを待ち望み、突然これを得ては、また突然これを失う様である」(141頁) 実朝の「天凛」と、小林秀雄の天才の感応はおもしろく、読みごたえがある。一人置いてきぼりをくった恰好だが、綺羅星は遠くに望むほかない。   散り残る岸の山吹(やまぶき)春ふかみ此ひと枝をあはれといはなむ  (140頁)   萩(はぎ)の花くれぐれ迄もありつるが月出でて見るになきがはかなさ (117頁)   吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蟬(せみ)鳴きて秋は来にけり  (138頁)

TWEET「僕は我慢がならなかった」

僕は我慢がならなかった。ただ、それだけのことです。 「教える」とか「諭す」とか「指導する」とか、そんな大それたことは考えておりません。それは神々の領域のことです。