小林秀雄「文化という、身にまとった服は脱ぐことはできない」

小林秀雄『人生について』中公文庫

 「お月見の晩に、伝統的な月の感じ方が、何処からともなく、ひょいと顔を出す。取るに足らぬ事ではない、私たちが確実に身体でつかんでいる文化とはそういうものだ。古いものから脱却する事はむずかしいなどと口走ってみたところで何がいえた事にもならない。文化という生き物が、生き育って行く深い理由のうちには、計画的な飛躍や変異には、決して堪えられない何かが在るに違いない。私は、自然とそんな事を考え込むようになった。年齢のせいに違いないが、年をとっても青年らしいとは、私には意味を成さぬ事とも思われる。」(「お月見」177頁)

 「大分以前の事だが、ある時、田舎にいて、極めて抽象的な問題を考えていた事があった。晩春であった。夜、あれこれと考えて眠られぬままに、川瀬の音を聞いていると、川岸に並んだ葉桜の姿が心に浮んで来た。その時、私たち日本人が歌集を編み始めて以来、「季」というものを編み込まずにはいられなかった、その「季」というものが、やはり、私の抽象的な考えの世界にも、川瀬の音とともにしのび込んで来る、そういう考えが突然浮び、ひどく心が騒ぎ、その事を書いた事がある。私の思索など言うに足らぬものだが、岡(潔)氏の文章を読んでいて、ふと、それが思出され、私の心は動いたのである。」
(「季」181頁)

 「(『沈黙の春』の著者である、レイチェル・ルイーズ・)カーソンの眼は、生きた自然の均衡に向けられている。この観念は、自然詩人の誕生とともに古いのである。こういう私達の情緒や愛情に基く観念、と言うより私達の生得の直観と言っていいものが、現代科学者の分析的意識のただ中に顔を出して来るとは面白い事だ。この、私なら審美的と呼びたい単一な直観を、科学者は、自然の複雑な分析や計量によってDDTを発明するように、発明する事は出来まい。恐らく、それは、そっくりそのまま、意識の深部から、意識の表面に顔を出したもの、顔を出してその抵抗性を示したものと言うより他はあるまい。原形質生物から、幾億年もの間、育てられて来た生物の、自然環境に生きる為の動的均衡に酷似した働きが、私達の心的世界にも存する事は疑えないように思われる。」
(「DDT」198-199頁)



 各作品とも短編である。そして、三文とも各作品の末尾におかれた結論に相当する部分である。私が三つの文章を並べた意図を理解していただけると思う。
 「故きを温ねて」という、いまでは手垢のついた感のある言葉を思った。手垢にまみれているのは私たちの頭の方であって、深層には「故きこと」がいまも息づいている。私には「新しきを知る」といった欲ばりな考えはない。心身の風通しをよくし「故きを温ねる」ことができれば、それで満足である。

大学時代にお世話になった、文化人類学がご専門の西江雅之先生は、
「文化は遺伝する」
「文化という、身にまとった服は脱ぐことはできない」
とよく言われた。
「サルには『サルの檻』
があり、ヒトには『ヒトの檻』がある」
ともよく口にされた。
(西江雅之,吉行淳之介『サルの檻、ヒトの檻―文化人類学講義』朝日出版)

青山二郎は、口癖のように「俺は日本の文化を生きているのだ」と言っていたという。「ヒトの檻」の中で、「日本の文化という服」をまとい、窮屈に思うどころか、自在に生きた青山二郎の賢明さを、また天才を思う。

下記、
です。