投稿

1月, 2017の投稿を表示しています

「今年はじめての散財です」

THE NORTH FACE の上品な色合い、また風 合いの「 ノベルティーカシウストリクライメートジャケット 」と、同じく、 THE NORTH FACE の、トレッキングに釣りにタウンユースにと多用途に使える6Lの容量のウェストバッグ、「スウィープ」。どちらもセール品とあって、お値打ちな値段がつけられています。 To buy or not to buy, that is the question. セール品だけに、いつ売り切れてもおかしくなく、早いうちの決断を迫られています。 その後、ためつすがめつしているうちにも、心のときめきはやまず、ついに注文してしまいました。今年はじめてのとんだ散財です。届き次第、 冬枯れの湿原の散策に連れだします。

「拝復 P教授様_山行,釣行,テント泊です」

縁側のソファーに腰掛け、陽光につつまれていると、春の訪れを感じますが、春いまだ遠く、当地では二月が最も寒く気がぬけません。 今はテストとテストの谷間で、のんびりしていますが、まもなく受験一色の、子どもたちにかかりっきりの時期がやってくるかと思うと、総毛立ちます 。 「山行、釣行、テント泊」、またガスストーブで沸かして淹れたコーヒー。今年こそはと、意気込んでいます。張りきっています。 大学はもう春休みなんでしょうか。あとは卒業式を待つばかりなんでしょうね。 お便り、またこまやかなお心配り、 どうもありがとうございました。お会いできます日を楽しみにしております。 寒さ厳しき折、くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 Nさんへ_『知床流氷ダイビング」に続く第二弾ですね」

今年は網走でのワカサギ釣りですね。昨年の「知床流氷ダイビング」に続く第二弾ですね。 早朝練習後の一日三試合、その後にもまだ続きがあり驚きました。釧路から車で三時間の網走に場所を移し、テントを張り、氷に穴をあけ、石油コンロで暖をとりながらのワカサギ釣りとは粋ですね。食指が動きます。キャンピングカーで仮眠し、三時半に起床、四時から十二時まで釣り三昧とは、はじめてにしてもう立派な釣りガールですね。幾張りものテントが、雪の白、氷の白に映えてきれいですね。 キャンピングカーを自在に操り、三人の女子大生と遊ぶ、六十を過ぎたアイスホッケーのコーチは、すてきです。 ご丁寧なご挨拶、また貴重な釣行記、どうもありがとうございました。またの武勇伝を楽しみにしております。 では、では。 寒さ厳しき折、くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「これを機にコートとバッグをです」

近親者の不幸が続き、これを機に、葬祭に見合ったコートとバッグを購入しました。フォーマルでの使用にもたえるアウトドア用品というのが選択の基準でした。 コートとして、THE NORTH FACE の 「カシウストリクライメートジャケット」を購入しました。シックな黒色のいたってシンプルなデザインのアウターです。取り外し可能な中綿入りインナー付きのジャケットです。これで寒さ対策は万全です。 バッグは、GREGORY の「サッチェル S」を購入しました。7Lの容量のとてもかわいらしい黒色のショルダーバックです。はじめて買った GREGORY の製品です。バッグの内・外・中側にはポケットが備わり、使い勝手がよく、とても7Lとは思えない収納力です。縫製もしっかりしており、堅牢そのものです。 今回も悪びれることなく、「スーパースポーツゼビオ」さんで、物色、品定め、試着。その後インターネットでのお買い物、といういつもの流れを踏襲しました。

愛知県公立高校入試「自己の特性」

県教委発表の愛知県公立高等学校入学者の募集・推薦選抜の要項には、 「なお、推薦選抜の面接では、一般選抜の面接と共通の質問に加えて、自己の特性などを 1 分間程度で答える質問などをします。」 との記載があります。 「特性」とは適正な言葉づかいなのでしょうか。 『デジタル大辞泉』の解説には、 そのものだけが持つ性質。特有のすぐれた性質。特質。「素材の特性を活かす」 と書かれています。 また、『大辞林 第三版』の解説には、 あるものに特別に備わっている性質。特有の性質。特質。 「火に強い-」 と書かれています。 「自己の特性」の表記には違和感をおぼえますが、公文書ではごく普通に使われるお役所言葉なのでしょうか。 「自己の特性」について書くにあたっては、各人の「現在・過去・未来」の三部構成にするように、との指導が中学校でなされたそうです。「 1 分間程度」とは文字数にすると、「 300 字程度」です。「 100 字程度」の表現しか許されない「子どもたちの現在・過去・未来」とは、なんとも心もとなく、哀しく、気の毒になります。 今年度も高い確率で、代筆させられるものと覚悟していますが、毎年残るのは遺恨ばかりで、辟易としています。何稿かを重ねた、挙句の果ての決定稿を、先生方はとおりいっぺんに さらさらと目で追いながら、いとも簡単に朱を入れてきます。そして、子どもたちはといえば、先生のいわれるままですから、やりきれません。なかには、学校への提出用と入試用とを器用に使い分ける子どもたちもいますが、私の負担はさしてかわらず、やはりストレスになります。 「 100 字程度」ずつの、字足らずの、「子どもたちの現在・過去・未来」の作文を書くつもりは毛頭なく、 確執、いらいら、ストレスを覚悟しています。 追伸: 「 1 分間程度」とは、長くて「1分30秒」までのこと、と 当校区の中学校では説明されています。三人の先生方から同じ回答が返ってきました。県教委からの内達があったのでしょうか。私の感覚とはずれがあり、不思議な感じがしています。 その後、 豊丘高校からは、 「 1 分間程度」とは、長くて「1分30秒」までのこと、「2分」を超えると打ち切る、との通達があったそうです。なぜ、 「1分30秒」で打ち切らないので

「写真集をかたわらに、ワルターの『田園』ばかりです」

2017/01/20 に中三生の総括(学年末)テストを終え、テストとテストの谷間の時間を過ごしています。つかの間の時間を惜しんで書に耽るつもりでしたが、活字を目で追うのは苦痛で、活字から離れ、写真集をかたわらに、ワルターの「田園」ばかりを聴いています。「端正な響き」、「美しく、温かく、幸福感に包まれた演奏」に身をゆだねています。 耳福、眼福にあずかっています。 以下、写真集です。 NHK取材班『NHK 国宝への旅〈1〉』日本放送出版協会 奈良国立博物館『 国宝 鑑真和上展 唐招提寺金堂平成大修理記念 公式図録』 井上博道『東大寺』中央公論社 司馬遼太郎,井上博道『美の脇役』知恵の森文庫 芸術新潮 1996年11月号 『白洲正子 愛の明恵上人』 白洲正子『十一面観音の旅 奈良・大和路篇 (太陽の地図帖 1)』 平凡社 白洲正子『白洲正子と歩く京都(とんぼの本)』新潮社  

「慶祝!いずまいを正して記念写真です」

昨夕 郵便受に不在連絡票が入っていました。今朝早速 豊橋郵便局へ行き、つい今しがた帰宅しました。 羽織袴姿のDちゃんをはじめ、皆さんはれやかで、すがすがしく、またまぶしくもあり、いずまいを正して拝見させていただきました。父も目を細めて見入っていました。すてきな記念アルバムのご贈呈、 どうもありがとうございました。 皆様のご健康とご多幸、またさらなるご雄飛をお祈りしております。 寒さ厳しき折、くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「ラブコール_内申をすべてそろえたことへの驚き、そしてお知らせです」

この時期の熾烈な争いのなかでの好成績は立派ですね。懸念の内申をすべてそろえることができてよかったですね。 お疲れのことと拝察いたします。 一息ついてください。 ゆっくり休んでください。 毎年 公立高入試の二十日前から臨戦態勢にはいります。今年は 02/14(火) からです。それまではのんびり構えることにしています。三人には「計画」ではなく、「戦略」を立てるようにいってあります。 豊川高校のH25年度の過去問の解答を誤ってお渡ししました。明日 Pさんにお願いいたしますので、差し替えておいてください。三年間分で十分です。消化試合には、十分過ぎます。 野田塾が 02/11(土) にテレビ愛知で、愛知県公立高校入試・直前対策講座を放送すると思います。開拓塾も昨年度から放映しているようです。二番組とも確かな情報はもちあわせてい ませんが、参考にしてください。その際には、各サイト、またはインターネット上のテレビ番組表が参考になるかと思います。 愛知県教育委員会の以下のサイトのリンクをたどっていくと、願書締切日の当日の夜、また志願変更締切日の当日の夜には志願者数が確認できます。翌日の朝刊を待つ間もなく便利です。 「高等学校への入学」 http://www.pref.aichi.jp/soshiki/kotogakko/0000027366.html ご丁寧なご連絡、どうもありがとうございました。 では、では。 寒さ厳しき折、くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:私立高入試では、公民は「第5章 地球社会と私たち」(167頁)以降からの出題はしない、というのが暗黙の了解になっています。

司馬遼太郎「漱石が発明した文章語」

昨年が漱石の没後百年、今年が生誕百五十年にあたることを、うかつにも昨年の暮れ、新潮文庫のキャンペーンではじめて知りました。それは奇しくも、司馬遼太郎の 「文学から見た日本歴史」 を読んだ直後のことでした。 「文学から見た日本歴史」 司馬遼太郎『十六の話』中公文庫  明治は、革命による流血こそすくなかったのですが、徹底的な旧日本否定ということで、文化という意味では、フランス革命よりは過激だったかもしれません。  革命は、それ以前の文章、文体まで消してしまうというはげしい働きをします。スタンダール(Stendhal 一七八三~一八四二)がナポレオン民法の文章を刺激剤として自分の文体を模索したように、明治の作家たちは、あたらしい文章日本語を創り(つく)りだすために、一人一人が苦心しました。  十九世紀末の明治の作家たちの文章は、じつにまちまちで、手作りの織物の展覧会を見るような気がします。  たとえば、泉鏡花(いずみきょうか)が手作りした文章は男女の恋を語ることができても、EC の問題を語ることができません。プラティナのようなかがやきをもっているとしても、弱々しいひとすじの針金(はりがね)にすぎないのです。  また明治期の代表的な評論家である徳富蘇峰(とくとみそほう)が手作りした文章では、政治や歴史を語ることができても、男女の機微を語ることができません。  それらのすべてを文章を語ることができる文章は、むろん天才の出現を待たねばなりません。同時に、社会の成熟をも必要とします。  一八六八年の明治維新で過去のほとんどをすてた日本の社会は、三十四余年後にほぼ第一期の成熟期をむかえました。  そのとき出現したのが、作家夏目漱石(なつめそうせき)(一八六七~一九一六)でした。  漱石によって、大工道具でいえば、鋸(のこぎり)にも鉋(かんな)にも鑿(のみ)にもなる文章ができあがるのです。ということは、たれでも漱石の文章を真似れば、高度な文学論を書くことができるし、また自分のノイローゼ症状についてこまかく語ることができ、さらには女性の魅力やその日常生活をみごとに描写することもできます。  やがて社会が、漱石の文章を共有するようになります。  漱石は、日常語としては、歯切れのいい江戸弁をつかうことができる人でした。その基礎的な

「ざっくばらんに、あっけらかんと」

2016/01/12 のコピー機の検針時に、トナーとA4,B4のコピー用紙を送ってもらうようにメールでお願いしましたが、待てど暮らせど送ってくる気配はなく、昨日フジ電材さんに請求の電話をしました。 名前を告げる とすぐに、 「担当の者との連絡が不徹底で、申しわけありませんでした」 との言葉が返ってきました。用件を告げることもなく、この言葉です。見えすいた嘘であることに間違いはなく、言葉もなくやりきれないままに早々に電話をきりました。 あまりにもたびたびのことに、私ばかりが不愉快な思いをしているとはとうてい考えられず、何かにつけこの地では、「ざっくばらんに、あっけらかんと」、すべてを水に流すことが暗黙の了解になっているとしか納得のしようがありません。お国柄です。とすれば、非は私にあるのでしょう。 「あまざかる鄙」の明け暮れの、もの言わず腹ふくるることばかり、です。 「旧制三高」 深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫(337頁) 京大教授の梅棹忠夫さんが「きらいなもの」を聞かれ、「ざっくばらんが大きらい」と答えているのも面白い。ざっくばらんとは、つまり野蛮なのだろう。

「拝復 P教授様_主客が転倒しています。軟禁状態です」

仰せのとおり、「中学生の周波数にチャンネルを合わせていると、振り回されて終わり」ます。時すでに遅くもう終わっています。情けなくも、教えてくれる誰かが隣にいないと勉強できないと思いこんでいる今時の子どもたちとのおつき合いはたいへんです。また、家庭での学習はのぞめませんので、その結果塾を開けておく時間も長くなり、すべてを抱えこむことになります。時給にすると数百円程度と、とんでもないことになっています。 いちいちが子どもたちの様子をうかがっての授業です。ひとつひとつを確認しながらの授業です。中学校で の授業のように流すわけにはいきません。 受験が終わるまで、子どもたちに拘束される毎日が続きます。主客が転倒しています。軟禁状態のままに入試を迎えることになります。 仮に、私の思いのままに授業をする、そんな私塾を開いたとしても、地方都市にお住まいの狭量な方たちには見向きもされないと思っています。「小林秀雄」をもってしても苦戦するかもしれません。 「今ほどの好機はありません」。時運にのりそこねないように、心してかかります。 お便りどうもありがとうございました。 寒さ厳しき折、くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「司馬遼太郎によせて」

宗教を哲学として語ってくれることのありがたさ。歴史に生身の人間が息づいていることへの関心。歴史を見はるかす目の確かさ、またその明晰さ。今しばらく、博覧強記にして自在に言葉をあやつる司馬遼太郎の史観に沈潜します。

「拝復 Nさんへ_『招福縁起箋』によせて」

おはようございます。 「招福縁起箋」という名の、どおりで縁起ものづくしの便箋や封筒だったんですね。Nさんの祈りのこめられたお手紙を手に、これ以上の福はないものと恐縮しております。 小学校の校庭につくられた特設のスケートリンクにも、夜には水をまくなどの手がかかるんですね。先生方や保護者の方々のご苦労がしのばれます。小学生はとんでもなく元気です。小学校の教壇に立とうとしているNさんには、負けず劣らずはるかにとんでもなく元気であってほしいと思っています。毎日が祝祭のような授業をしてほしいと願っています。 お友だちの卒業旅行にちゃっかり便乗しての台湾、楽しみですね。今回の予行と来年の本番、浪人したかいがありましたね。ぜひ見聞をひろめてきてください。おおいに楽しんできてください。 教員採用試験対策には専門学校に通うのが当たり前とは、いかにも今風ですね。釧路には専門学校がないことをこれ幸いと、札幌の受験生をよそ目に、雑音に耳を傾けることなく、一人で頑張ってください。それがあるべき姿だと思っています。 ご丁寧なご返信、またこまやかなお心配り、どうもありがとうございました。中三生の総括(学年末)テストが金曜日に終わり一息ついています。 釧路は雪とのことですが、寒さ厳しき折くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「わずかばかりの知識が」

今、以下の二冊、 司馬遼太郎『日本語の本質―司馬遼太郎対話選集 2』文春文庫 司馬遼太郎 『 司馬遼太郎対談集 日本人を考える 』文春文庫 を並行して読んでいます。 社会科は昔から嫌いでした。そして、今も苦手ですが、かといって仕事柄遠ざけてばかりいるわけにはいかず、 愛知県公立高入試にまにあう程度の知識しかもちあわせていませんが、歴史や地理の、また公民のわずかばかりの知識が、理解の助けになることがあります。わずかばかりの知識から視界がひらけることがあります。いたずらに記憶することの要不要を思います。たとえ生涯にわたって一度きりしか必要にかられないとしても、その一度きりが一大事です 。その際にはインターネット上の情報ではこと足りないような気がしています。慣れ親しんでいます。血が通っています。こなれています。

「拝復 Nさんへ_たびたびの父へのお便りに感謝しております」

便箋やら封筒やら、記念 切手やらシールやら、なにからなにまでが新春にふさわしく、おめでたく晴れやかな父へのお便り、どうもありがとうございました。 家族そろって新年を迎えることができよかったですね。 氷点下19℃という凍てつくなか、小学校の校庭につくられた、手づくりの特設リンクでの、アイスホッケーの練習とは、たくましくもあり勇ましくもあり、その何百分の一かでも、Nさんにあやかりたいような気もしますが、やはり生気なく枯れた私の出る幕ではなく、このまま冬眠を決めこむことにします。 後期試験の最中かと拝察いたします。無理を強いられることもあるかと思われますが、くれぐれもご自愛ください。試験後には長い長い春休みですね。釧路の地では、いまだ春遠く、冬休みの続編ですね。教員採用試験の準備の合間合間には、釧路の凛とした冬を存分に謳歌してください。人の世に生を享けたからには楽しむ義務がある、幸せになる義務がある、と誰かがいっていたような、いっていなかったような気がしています。 たびたびの父へのお便り、どうもありがとうございました。感謝しています。 では、では。 極寒、酷寒の候、くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE. 北海道にお住まいの方たちにおかれましては、とんだお笑い種ですが。以下、ブログより、「今年はじめての雪」です。 2017/01/14 昨夕は、一匹のメジロが庭に飛来し、花をつけた山茶花の枝をさかんにゆらしていました。 今 雪が降っています。今年はじめての雪です。風もなくしんしんと降っています。静かな時が流れています。 2017/01/15 今年はじめての積雪です。障りのない数センチほどの積雪です。陽が射し、粉雪が舞っています。陽光を浴びた甘夏の木の冠雪、葉、果実が光彩を放っています。登山靴を履き、雪を踏みしめ、遠くどこまでも歩きたい気分です。 2017/01/15 その後 雪片が舞っています。上昇しまた下降し、あるいは宙をたゆたい、それぞれがさまざまな軌跡を描いています。 陽が射し、青空がのぞき、ひとひらひとひらの雪を目に、すてきな雪景色をのぞんでいます。

「大寒の日に思う」

今日で中三生の総括(学年末)テストが終わります。これですべての成績が出そろいます。2016/12/23 にはじめた冬期講習の実質的な終わりです。当日までの日をカウントダウンしながら過ごす日の経過は早く、時の流れに押し流されるままです。 その間(かん)には、従兄弟にお別れを告げ、伯母にお別れをし、何冊かの本を読み、冬の夜空を見上げ、新しい年を迎え、雪景色を目にしました。しかし、そのほかにはこれといって記憶もなく、冬眠中に時折目を覚まし、その際には寝ぼけ眼で、うつらうつら外の世界を遠くに見やるといった、なんとも心もとない毎日を送っていました。 私立高入試、愛知県公立高入試に向けての新たなカウントダウンのはじまりです。冬眠から覚める日までの、子どもたちの春のとびっきりの笑顔に寄せての、新たなカウントダウンのはじまりです。

「拝復 P教授様_お別れが続きます」

論文連載時のレベルまでご快復とは、たいそうなことで、手ばなしで安心しております。 つい今しがた、伯母にお別れを告げ、今マクドナルドでなにをするということもなく、ただぼんやりとしています。今回は曹洞宗でのお導きでした。読経中には、お二人の導師が唱和する場面もあり、音楽を聴くようにして詞(ことば)を聴いていました。只管打坐の賜物か、禅僧の立居振舞の美しさを見つめていました。 昨年末からお別れが続きます。覚悟を強いられています。準備を急かされています。 寒中につきくれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

白洲正子「たえず『見ること』をしいた過酷な存在」

芸術新潮 1996年11月号 『白洲正子 愛の明恵上人』 ( “明恵さんのお寺” 施無畏寺からのぞむ湯浅湾の) 美しい風景は彼にとって、ただ楽しむためのものではなく、たえず「見ること」をしいた過酷な存在だったかもしれないのです。( 29頁)

「今年はじめての 拝復 P教授様です。酩酊のはての不始末です」

湯船に水没したとのことですが、携帯電話のデータがマイクロSDカードに移行できたとうかがい安心しました 。 電源を入れてもかまわないと思います。微弱な電流が流れるだけだと思います。ドコモショップでは、電源が入らない場合には、了解の下、強い電圧をかけ通電を試みます。 釣りの最中に、川に、池へと二度 “滑落” しました。 川に落ちた際には、これ幸いにと、遊泳し、また川面に浮いて夏空を見上げたりと、ひとり悦に入っていましたが、池に落ちた際には、濡れ鼠になるは、かすり傷を負うは、泥にまみれるはで、あられもない姿で帰路につきました。いずれもいずれも酔ったあげくのはての不始末です。携帯電話は使いものにならなくなりましたが、 データはバックアップしてありましたので無事で した。また、こんなこともあろうかと、docomo の「携帯補償サービス」に加入していましたので、こちらの方もことなきを得ました。以来水泳とは縁がなく、遊泳はひとえにアクシデント恃みと心得ています。今夏には過ぎし夏の日の再来を、またその際には生還を、と秘かに念じております。 年明け早々の座談です。悪しからず! では、では。 寒中につき、くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「今年はじめての積雪です。その後」

雪片が舞っています。上昇しまた下降し、あるいは宙をたゆたい、それぞれがさまざまな軌跡を描いています。 陽が射し、青空がのぞき、ひとひらひとひらの雪を目に、すてきな雪景色をのぞんでいます。

「今年はじめての積雪です」

今年はじめての積雪です。障りのない数センチほどの積雪です。陽が射し、粉雪が舞っています。陽光を浴びた甘夏の木の冠雪、葉、果実が光彩を放っています。登山靴を履き、雪を踏みしめ、遠くどこまでも歩きたい気分です。

「雪降る丑三時の、大江健三郎さんと武満徹さんの奇想天外」(音声ファイル)

雪降る夜に、再掲です。 大江健三郎『時代と小説、信仰を持たない者の祈り』新潮カセット講演 武満徹さんのことを書いていて、大江健三郎さんの講演を思い出しました。雪降る丑三時の、大江健三郎さんと武満徹さんの奇想天外、のことです。どうしてこんな下世話なことばかりを覚えていて、肝心の講演の内容のことは忘れているのでしょうか。我ながらあきれています。1988/07/03 に発行されたものです。ノーベル文学賞を受賞される以前の講演です。大江健三郎さんの朴訥とした語り口が、心にしみわたります。CD化されていないようです。CD化を切に希望いたします。その際には廉価でお願いいたします。「新潮CD 講演」はいずれもいずれも高すぎます。 雪降る丑三時の、大江健三郎さんと武満徹さんの奇想天外」 (音声ファイ ル)

「今年はじめての単行本です。河合隼雄『明恵 夢を生きる』です」

河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社  『明恵 夢を生きる』は、1987/04/25 に出版され、間もなく読みました。学生時代のことです。明恵上人をはじめて知り、井筒俊彦を知り、はじめて華厳の世界に触れました。そして、井筒俊彦『叡智の台座 ー 井筒俊彦対談集』を求めました。『明恵 夢を生きる』には、白洲正子『明恵上人』新潮社 からのいくつかの引用がありますが、白洲正子の作品に親しむようになったのは、その後数年経ってからのことです。また、その前年には、河合隼雄『宗教と科学の接点』岩波書店(1986/05/15)を読みました。  大切なことをそのままに、疎かにしてきたような気がしてなりません。手元にある本を見直します。「第七章 事事無礙」(272-298頁)を読みました。「華厳の世界」(284-290頁)の項に引かれた井筒俊彦の文章は明晰です。もう一度読み直すことからはじめます。

「今年はじめての雪です」

昨夕は、一匹のメジロが庭に飛来し、花をつけた山茶花の枝をさかんにゆらしていました。 今 雪が降っています。今年はじめての雪です。風もなくしんしんと降っています。静かな時が流れています。

「今年のはじめての雑誌です。芸術新潮『白洲正子 愛の明恵上人』です」

芸術新潮 1996年11月号 『白洲正子 愛の明恵上人』 鎌倉時代が生んだ高僧達は、そういう荒野の中から咲き出でた花でしたが、明恵はその誰にも似ていない。道元や親鸞のように宗派もつくらず、一遍や空也のような聖(ひじり)の生活にも徹せず、重源(ちょうげん)のような事業家でも、文覚・日蓮のような荒行者でもなく、歌をよんでも西行には遠く及ばなかった。彼がほんとうに打込んだのは何であったか、次の詞はその心の内を明かしてくれるように思います。 『ワレハ天竺ナドニ生マシカバ、何事モセザラマシ。只五竺処々ノ御遺跡巡礼 シテ、心ハユカシテハ、如来ヲミタテマツル心地シテ、学問行モヨモセジトオボユ』(却廃忘記)  古今に名僧は多くても、自分の信仰について、誰もこのような告白をした人はいない。極端なことをいえば、明恵が信じたのは、仏教ではなく、釈迦という美しい一人の人間だったといえましょう。この詞には、キリストの足に油を塗るだけで、何もしなかったマグダラのマリアを想わせるものがありますが、末世に生れた悲しさは、自分の力で、「一体の仏像を造る思い」に堪えねばならなかった。西行が歌の上に表現したことを、明恵は日々の生活の上で行なったといっていいのですが、「修行」という言葉は、彼の場合、そういう意味を持つので、それは経文に通じることでも、仏教の思想を研究することでもなかったのです。 (中略) 明恵が逃れたのは、俗世間だけでなく、仏教からも、宗派からも、「出家」しようとした。そこに彼の独創性はあると私は思っています。(24頁)  それから二、三年、彼の病気は一進一退で、歓喜三年(一二三一・五九歳)、紀州施無畏寺の落慶供養から帰った後、「不食の病」に倒れ、今度はほんとうに死を覚悟せざるは得なかった。といっても、死は幼少の頃から身近なものであったので、そのために生活が変るということはありませんでした。遺言もしなければ、辞世の句も残さない。生死というものについて、明恵は人とは少し違う考え方をしていたのです。たとえば、 『近来の人は、何としたるらん。尋常なる定(じょう)、生死を出づると云ふ ばかりを以て、仏教と知りたり。…法滅といふは、仏法の欠失するを法滅と云ふ にあらず。是体の事の興ずるを、法滅と云ふなり』(伝記) また、別れを惜しむ人々に向っては、

「『天平の甍』に仮託したもの」

井上靖『天平の甍』新潮文庫  「天平の甍」の意味するところは、と終始そんなことを考えながら読みました。唐招提寺の甍。東大寺の甍。日本国を鎮め、庇い、護るために身命を屠して 渡日した、鑒真和上の表徴としての甍。井上靖が「天平の甍」に仮託したものが、最後に具体的な形をとって現れるとは思いもよらぬことでした。突然さしだされた「解答」にあわてました。 推理小説を読んでいるかのようでした。やはり 『天平の甍』は「天平の甍」であり、それがすべてであって、一切はこの一語につきます。  ブログ上に「謎解きの答え(?)」を載せるのはためらわれ、著者へのまた読者に対して礼を失するのは明らかで、これ以上のことはさしひかえさせていただきます。実際に手にとってご覧になってください。  「二十日の暁方(あけがた)、普照は夢(ゆめ)とも現実ともなく、業行の叫(さけ)びを耳にして眼覚(めざ)めた。それは業行の叫びであるというなんの証(あか)しもなかったが、いささかの疑いもなく、普照には業行の叫びとして聞こえた。」(181頁)  以下に続く描写はあざやかです。一見冴えない端役の業行への井上靖の目配りは細やかで、また透明感をともなったありありとした筆致が哀しみを誘います。 『空海の風景』での司馬遼太郎に比すれば、『天平の甍』の井上靖の筆の運びは軽妙で、二作品を日数をおかずに読み、『空海の風景』という「異色」の景色に親しんだ私にとっては、『天平の甍』での時の経過は早く戸惑いを覚えました。 滔々と時は流れ、私たちは当代という歴史に抗うことはできず、どうしようもなく歴史の内に位置づけられている、との思いを強くしました。 春 奈良大和路へ、と思っています。

「今年はじめての文庫本です。井上靖『天平の甍』です」

今年はじめての文庫本です。井上靖『天平の甍』新潮文庫 です。探しても見あたらず、新たに購入しました。 平成九年三月に唐招提寺を訪れた季節、また 平成十四年二月に名古屋市博物館で開かれた  「 唐招堤寺金堂平成大修理記念『国宝 鑑真和上展』」 で 鑑真和上坐像を拝した時節のことが思い出されます。また、 奈良国立博物館『 国宝 鑑真和上展 唐招提寺金堂平成大修理記念 公式図録』が手元にあります。 井上博道『東大寺』中央公論社 で、毎月六日には戒壇院千手堂にて、「鑑真講式(がんじんこうしき)」の法会が行われていることを知りました。 「鑑真講式」については、 「戒壇院をきずいた鑑真和上の命日(天平宝字七年〔七六三〕五月六日寂)に、唐招提寺に伝わる講式を移し、法会が行われる。和上の渡航の苦心や、伝戒の様子が説かれる。」 との説明があります。月に一度の法会です。鑑真和上への思いがしのばれます。

「シリーズ授業_紙飛行機で無邪気に遊ぶ」

一昨夜、女の子が紙飛行機を折って飛ばしていました。紙つぶてを力まかせに投げつけているも同然の景色に、アルソミトラの種子からヒントを得て作られたという紙飛行機を折って披露しました。紙飛行機を高く掲げ、機首を下げ、手を離すと、紙飛行機は上手に空気をとらえて飛んでいきます。その飛行姿勢はみごとです。種の保存のためにアルソミトラが身につけた智恵です。飽くこともなく、繰り返し紙飛行機を飛ばし、無邪気に遊びました。 「実はこの世のどんな現象にも数学がつまっている。しかもなぜか美しい。この不思議を、神を持ち出さずにうまく説明した人はまだいない。」 「この世は数学だらけ」 藤原正彦『祖国とは国語』新潮文庫(116頁) を、思い出します。 以下、 「空飛ぶ種子」アルソミトラ・マクロカルパの飛行機つくり です。 また、ウィキペディア には、 アルソミトラ (学名 : Alsomitra )は、ウリ科の一属。東南アジア、オーストラリア、南アメリカに生息するつる植物で、 12 種が確認されている。 インドネシアに生息するハネフクベ( Alsomitra macrocarpa )は、熟して割れた果実からグライダー状の羽根を付けた種子が落下・飛散することで知られる。 と書かれています。

「司馬遼太郎『空海の風景』から展がる景色」

大岡信「解説」 司馬遼太郎『空海の風景』中公文庫(376頁) 書きあげられた『空海の風景』は、まさしく小説にちがいなかったが、伝記とも評伝ともよばれうる要素を根底に置いているがゆえに、空海を中心とする平安初期時代史でもあれば、密教とは何かに関する異色の入門書でもあり、最澄と空海の交渉を通じて語られた顕密二教の論でもあり、またインド思想・中国思想・日本思想の、空海という鏡に映ったパノラマでもあり、中国文明と日本との交渉史の活写でもあるという性格のものになった。   これらはすべて、司馬遼太郎という作家において最もみごとに造形されうる主題であっただろう。 本書は、丹念な考証の積み重ねとその間隙を埋めるべく、司馬のたくましい想像と創造によって織りなされた、司馬遼太郎の目に映った『空海の風景』です。「異色」の小説です。たいそうな「入門書」です。真言密教、大日経に関する記述が少なく、残念な思いもしましたが、「入門書」と考えれば十分に納得がいきます。 『空海の風景』を一月四日に読み終え、その後、 司馬遼太郎『十六の話』中公文庫 を読み直しています。特に、 「華厳をめぐる話」(99-146頁) 「対談 司馬遼太郎 井筒俊彦 付録 二十世紀末の闇と光」(397-441頁) は、示唆に富んでいます。今、真言密教が、華厳経が、鑑真和上、明恵上人、そして井筒俊彦が、ことさらに気になっています。『空海の風景』から展がる景色を楽しみたいと思っています。

「四日遅れの小寒の日に思う」

寒中お見舞い申し上げます。 当地でもいよいよ寒さが厳しくなりました。築五十年あまり経つ木造家屋の拙宅は、なにかにつけ夏向きにできており、暖房が入っていない空間は外さながらです。入浴の際には、勇気と覚悟が必要です。昨年末より入浴中に時折、ボイラーの耐震装置が誤作動し、主電源が切れます。その際には裸同然で屋外に出なければならず、震えあがります。感度がよすぎるのも考えものです。 年が明けて九日が経ち、今日で冬休みが終わります。この間 これといった記憶もないままに時が流れ、このまま対処しなければ、時に翻弄されるままに The End ということにもなりかねません。早い時期の一工夫が必要です。 では、では。 寒さ厳しき折、お風邪など召さぬようくれぐれもご自愛ください。

「今年二冊目の写真集です。司馬遼太郎,井上博道『美の脇役』です」

司馬遼太郎,井上博道 『美の脇役』 知恵の森文庫 産経新聞 は、 「華厳をめぐる話」 司馬遼太郎『十六の話』中公文庫(99頁) で知りました。 今年二冊目の写真集です。つい今しがた注文しました。 以下、Amazon の内容紹介です。 司馬遼太郎が新聞記者時代に企画した好評連載を復刻! 目立たずとも悠然と光る美の世界。 四天王に踏まれる邪鬼、灯篭に彫られた兎、書院ふすまの引き手、山道に佇む石仏……。注目されずとも、特異な存在感を放つ「美」がここにある。京都・奈良を中心に、黙々とそろった百の「脇役」。鮮烈で精緻な写真とともに、作家・俳人・学者・僧などがその魅力を語る。作家・司馬遼太郎氏が産経新聞記者時代に手がけた好評企画、待望の文庫化。 写真は 井上博道です。詳細は以下のサイトをご覧になってください。 「今年はじめての写真集です。井上博道『東大寺』中央公論社 です」

「今年はじめての写真集です。井上博道『東大寺』です」

「華厳をめぐる話」 司馬遼太郎『十六の話』中公文庫  ところで、写真家井上博道氏は、幼いころから上司海雲氏に親しみ、長じては境内を歩きつくし、東大寺の一塵一露まで愛してきた人なのである。  私とは八つ下らしい。  兵庫県日本海岸の但馬(たじま)・香住(かすみ)の臨済宗南禅寺派の末寺にうまれ、昭和二十年代の初期に龍谷大学に入った。(138頁)  ともかくも井上博道の写真は、そのころ(司馬遼太郎が産経新聞の記者だったころ)から個性的だった。建物を撮った写真が多かったが、指頭でたんねんに蠟質をのばしたように粘りのある翳をもった作品で、ときにヴラマンクの名画を思わせた。  ときに、構図の中に人物がまじることもあった。動作からつぎの動作に移ろうとするときの微妙な充実がゆったりととらえられていた。(140頁)  ときに、千数百年集積された日本人の美意識が、この人ひとりでもって代表されているのではないかと思ったこともある。この人における美意識とは、味覚から、根来塗(ねごろぬり)の朱、あるいは舞いおちてゆく落葉の色にいたるまで及ぶ。  不覚にも、私は、このひとがながい歳月をかけて東大寺のくらしを撮りつづけていることに気づかなかった。  なにしろ、東大寺には、奈朝の盛時の天平のくらしが、華厳とともにそのまま息づいている奇跡の場所なのである。  ある意味では、日本のなにかが純粋に棲息しているといっていい。  そういう精神の大洞窟に、井上博道氏は、半世紀ちかくともに棲息することをゆるされてきた。ゆるされることにあたいする理由は、以上のとおりである。  今後、私は、もし外国人から、もっとも純粋な日本とはなにかときかれた場合、きっとこの写真集を広げてみせるに違いない。(145-146頁) 今年はじめての写真集は、司馬遼太郎をしてここまでいわしめた、井上博道の写真集『東大寺』です。明日届く予定です。古書です。楽しみにしています。

「ラブコール_どこかで春が」

入試は「覚悟」の問題だと思っています。受験とて戦いです。白黒がはっきりつきます。「真剣」勝負です。生半可な気持ちでのぞめば一刀両断、切って捨てられるだけです。 今後の過ごし方如何で結果は大きく左右されます。 少しの我慢で実力はつきます。 入試は目の前です。 そして、春は確実に足音を立てて近づいて来ています。 常に「覚悟」をもって毎日を過ごしてください。

「今年はじめてのラブコールです」

総括テストに向けて、 上手く仕上げてくださいね。 我慢のしどころです。 辛抱のしどころです。 もうひと頑張りに期待しています。 健康管理も実力のうちです。くれぐれもご自愛ください。 GOOD LUCK! FROM HONDA WITH LOVE.

司馬遼太郎『空海の風景』中公文庫_途中経過です。

本書は、丹念な考証の積み重ねとその間隙を埋めるべく、司馬のたくましい想像と創造によって織りなされた、司馬遼太郎の目に映った『空海の風景』です。 三が日中には、と思っていましたが、かないませんでした。 3/4 程度まで読み進めましたが、真言密教、大日経に関する記述が少なく、拍子ぬけもし、また今後に期待もしています。 今 真言密教が、華厳経が、鑑真和上、明恵上人、そして井筒俊彦が、ことさらに気になっています。学生時代への回帰です。 下記、ご参考まで。 司馬遼太郎 『十六の話』中公文庫 「附録 二十世紀末の闇と光」 〈対談〉井筒俊彦 司馬遼太郎

「2017年 初春の湿原を行く」

枯葉をよけ、まっ先にイワタカンアオイが花をつけているのを確かめました。初春(はつはる)の花です。昨春の一月四日にGさんに教えていただいた花です。 やわらかな土の感触の、枯葉の散りしいた、木道の、凹凸のある道を久しぶりに歩きました。指のつけ根で地面を押すようにして歩くと、足の指が伸びやかに広がり、その心地よさを味わいながら足を運びました。 湿原の南面は、 植生回復作業のため雑木が切られ、ざれ場さながらでした。湿原をぬけ、急登を登りきり、登山道とぶつかる地点までを目標に歩きました。あっけなく登ることができ、あわてました。疲れを感じないほど鈍感な体になったとしか考えられませんでした。哀しいかな、 思いがけずも、 初春早々老いを目のあたりにしました。 帰りには、アピタ(大規模小売店)の立体駐車場の屋上に立ちすくみ、「山のは」に沈む夕日を ながめました。山なみの「山ぎは」にかかった雲が朱に煙っていました。WALTZ(珈琲専門店)の福袋を提げて車にもどると、コンパスで引いたような、新月から一日目のか細い月が、西の空にかかっていました。

小池民男「座 力」 2002/01/01 天声人語

いろいろな力があるもので、「座力」というのがあるのを知った。学者や芸術家はたいへんな体力を必要とする。重い本や道具を移動させることのほか、何といっても長時間椅子(いす)に座っている能力が欠かせない。それを「座力」という▼国語辞典には載っていない。日本にはなかった言葉なのだろう。古くからのヘブライ語で「コーアハ・イェシヴァー」というそうだ。(池田裕『旧約聖書の世界』岩波現代文庫)。かの地では、幼いころから聖書の勉強などで「座力」が鍛えられる。ユダヤの人々から優れた学者や芸術家が輩出する一因かもしれない▼詩人の長田弘さんの近著に「読書のための椅子」という章がある(『読書からはじまる』NHK出版)。この読書の達人が「読書のためにいちばん必要なのが何かと言えば、それは椅子です」といって椅子を論じている。「いい椅子を一つ、自分の日常に置くことができれば、何かが違ってきます」▼寝そべって読む癖がついたのはいい椅子に巡り合わなかったせいか。そう思ったりもする。いずれにしても正月というのはこの「座力」を試すいい機会には違いない▼ことしも世界は揺れ動くことだろう。「座視」するに忍びないことも多々起きるだろう。しかし、右往左往はしたくない。こんなときにこそ、「座力」を養っておかねば、と思う▼長田さんの結語を借用すれば、こうだ。「すべて読書からはじまる。本を読むことが、読書なのではありません。自分の心のなかに失いたくない言葉の蓄え場所をつくりだすのが、読書です」 以下、 長田弘「読書のための椅子」_ジョージ・ナカシマ「ラウンジ アーム」 です。

長田弘「賀状」

賀 状  古い鉄橋の架かったおおきな川のそばの中学校で、二人の少年が机をならべて、三年を一緒に過ごした。二人の少年は、英語とバスケットボールをおぼえ、兎の飼育、百葉箱の開けかたを知り、素脚の少女たちをまぶしく眺め、川の光りを額にうけて、全速力で自転車を走らせ、藤棚の下で組みあって喧嘩して、誰もいない体育館に、日の暮れまで立たされた。  二人の少年は、それから二どと会ったことがない。やがて古い鉄橋の架かった川のある街を、きみは南へ、かれは北へと離れて、両手の指を折ってひらいてまた折っても足りない年々が去り、きみたちがたがいに手にしたのは、光陰の矢の数と、おなじ枚数の年賀状だけだ。  元旦の手紙の束に、今年もきみは、笑顔のほかはもうおぼえていない北の友人からの一枚の端書を探す。いつもの乱暴な字で、いつもとおなじ短い言葉。元気か。賀春。 長田弘『深呼吸の必要』晶文社