「『天平の甍』に仮託したもの」
井上靖『天平の甍』新潮文庫
ブログ上に「謎解きの答え(?)」を載せるのはためらわれ、著者へのまた読者に対して礼を失するのは明らかで、これ以上のことはさしひかえさせていただきます。実際に手にとってご覧になってください。
「二十日の暁方(あけがた)、普照は夢(ゆめ)とも現実ともなく、業行の叫(さけ)びを耳にして眼覚(めざ)めた。それは業行の叫びであるというなんの証(あか)しもなかったが、いささかの疑いもなく、普照には業行の叫びとして聞こえた。」(181頁)
以下に続く描写はあざやかです。一見冴えない端役の業行への井上靖の目配りは細やかで、また透明感をともなったありありとした筆致が哀しみを誘います。
『空海の風景』での司馬遼太郎に比すれば、『天平の甍』の井上靖の筆の運びは軽妙で、二作品を日数をおかずに読み、『空海の風景』という「異色」の景色に親しんだ私にとっては、『天平の甍』での時の経過は早く戸惑いを覚えました。
滔々と時は流れ、私たちは当代という歴史に抗うことはできず、どうしようもなく歴史の内に位置づけられている、との思いを強くしました。
春 奈良大和路へ、と思っています。